先日、息子が産まれた。私は分娩室の扉を一枚隔てたところに居た。御守と共に家内の頑張りをひたすら受け留めていた。
女性の"産む"という大役に対して、男は何もできないのだよと、多くの人が話したことを思い出した。誠そう感じた。

なるほど男にできることは、それを支えることだけなのだ。余ほど頑張らなければならぬと思った。
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父親になったという実感が湧かぬが、いつか一緒に舞台に立ちたいと、身勝手な欲心だけは湧き始めた。この新しい生命のために、そして未来のために私のやらなければならぬ課題は多い。

祖父は酔うと色々な話を始める。大抵は耳にタコを作った話ばかりであるが、そのなか1割位は凡そ80年間で学んだ人生論があり、この時だけは真剣に聞くようにしている。
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そういえば先日に私の流儀の金剛流若宗家と宝生宗家が合同で会をされた。その時の能「蝉丸」の謡に、世の中は〜という謡を思い出した。王子様だった蝉丸は盲目が故に捨てられて藁屋の生活(今だったらダンボール?)を余儀なくされる。その時に蝉丸は、「世の中というのはどこに住んでも同じことだ」と言う。豪邸に住んでもダンボールで寝ても結局は変わらないということなのだと。
これには、人間の欲には際限がないから、どちらにしても欲は湧くばかりで満足はしないから、そこに人間的な幸福感の差は無いという深い意味が込められている。
祖父の話に戻ると、同じことを言っていた。"結局、人間の幸福というものは、心の豊かさにより決まる。決して、表面的・物理的な豊かさは心の豊かさには繋がらないのだ"と。

世の中は 
とにもかくにも
ありぬべし
宮も藁屋も果てしなければ

昨日は東京の山田家の社中会がございました
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私の稽古教室"純之会"からは初の舞囃子の舞台が出ました。東京稽古場の三浦伊織君は「高砂」、京都稽古場の北沢美白君は「猩々」を勤め上げました。お二人とも若者です。天晴れでした

舞囃子というのは、字の如く、お囃子の演奏付きの舞のことです。お囃子はプロの先生方をお呼びして、お相手をしていただきます。ですから、ある一定の水準までお稽古を進めなければ、勤めることができぬのです。舞うことを許されるのは素晴らしいことです

また曲の途中では、謡の無い囃子のみで舞う部分があります。この舞の部分を知ると、能の観方や楽しみがグッと広がるのです。舞い勤めたお弟子さんの中には、中毒になる方もいるくらい、気持ちの良いものだそうです

打ち上げでは、能は最高ですね、なんて話をしながらグラスを傾け、気持ちの良い時間を過ごしました

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栗まろ。近所にある鶴屋吉信さんのお菓子。家内の大好物の一つということで、去年そのお味やいかにと試食をした。これが実に美味なお菓子であることを知り、栗のお菓子は丸太町のくりやさんの金の実だけではないことを勉強したのであった。もう秋ですね、なんて言うてる間に冬の到来を感じつつある昨今。朝晩は完全に冷え切って、庭のメダカたちは二匹しか姿を現さない。冬眠が始まるのだろうか。

足の治りは良い方向で、無理をせずに大事を取った成果ですねと言われ、ホッとしている。まだ体重を十分にのせた正座は完全にはできぬため、油断は禁物である。何だかんだと今の私にとって高い薬となった訳だが、この先の人生を考えれば、怪我の休養期間は良い経験として後で購入するより安いかも知れない。なんせ現金では買えないからね。

桃栗三年柿八年。齢を重ね、いよいよ明日を気にせねばならない頃には、この諺も成るほどと思える時が訪れるのだろうか。スーパーで手軽に買える柿だから、成るのに八年も掛かるとは今日び誰も信じぬのではないか。人が各々の社会で大成することも、サクセスストーリの溢れるこの世の中では、まさか時間の掛かることとは思わないのであろうか。私もこの世のスーパーのお客さんに成りつつある。自分の努力が結果に比例しないなんて理不尽だと嘆いているうちは、まだまだ青い柿なんだと心得えた。しかし、その様などん底の中ひとつだけ判ったことは、"自分の身体は嘘をつかない"ということである。


先日の東京への郷帰り

読み取れぬ程の案内表示の山に目を奪われつつ、前方から押し寄せる沢山の人集りを掻き分けながら、時刻通りの四角い箱の中に荷物の如く押し詰められる。


そのたび思う


黒い猫さんに輸送してもらう方が意外と快適やも知れぬ…と。
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何はともあれ。本日の舞台復帰、第1戦目は事無きを終えた。謡の心配よりも、足への気掛かりがあり、万全の体制で臨めなかったことは残念である。しかし新作能である為に以前から何度か事前稽古していた為に実演に関しては問題なく、である。来月からの押し寄せてくる舞台の数々、一つずつ確実にこなせる様、今日も早寝をしなければなるまい。

ご来場のみなさま、有難うございました。

※ 能は、全体での事前稽古というものはなく、ぶっつけ本番か、本番前に一度だけの申し合わせと呼ばれるリハーサルが一度あるだけが常である



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