ぽつりぽつり、あめです。


(平成26年6月28日 「殺生石」 山田夏樹 /潤星会 於 国立能楽堂)

鏡の間 (かがみのま)という場所での写真をご紹介します。ここは、シテ※1を勤める能楽師が装束を着まして、出番直前に能面と向き合う場所です。こちらで精神統一を致してから幕の前へ立ちます。

※1 シテとは主役のこと

  (同上)

能面を「かける」と言います。


衣服掛け等に服を掛けるのと同じく、
人間である自分に対して面を掛けます
能面の方が人間よりも優位です。


ものに対する敬意の心


人だけでなく、自然万物に対する日本人の心掛けは美しいと思います。


心の豊かさを感じます。




むかしむかし、中国の王に仕えていた少年がおりました。少年は王の枕をまたいでしまい、罰として山に捨てられました。王 は可哀想に思いまして、偈(げ)という、仏様をたたえる言葉を書いた徳の高い 枕を渡しました。少年は山の中の 菊の葉にそれを写しました。すると、そこのうえに"露"(つゆ)が溜まってゆくではありませんか。これは不老不死の薬となりました。少年はそれを飲みつづけ、 七百年もの長いあいだ 生きることができました。めでたしめでたし。

能では、七百余歳の少年(主役=シテ)に
勅使が出くわすところから話が始まります。



上の写真は 京都 亀廣永さん
"したたり"という御菓子です。私の好物御 菓子一覧の上位にあります。

もとは祇園祭の菊水鉾町で頂ける御菓子でありましたから、是れを戴くのにはちと気が早うございます。

私の居ります金剛能楽堂 (現在は上京区の烏丸通中立売通上る)は移転前、四条室町を上るところに御座いまして、"したたり"は、祇園祭のお茶会を催された際の献上菓子でございました。現在では年間を通してご購入いただけるようです。


黒砂糖とざらめと糸寒天と水で作られた、綺麗な御菓子です。つるりとした食感で程よき甘さ、必ず一棹独り占めをする贅沢が毎年夏の楽しみなり。

菊水鉾の名は、"菊水の井"という名水の湧き出る井戸より取られ、さらに菊水の井は、能の題材である謡曲「枕慈童」に因んでいると聞いております。


即ちこの文(もん)菊の葉に 
悉(ことごと)く顕(あらわ)る
さればにや
雫(しずく)も芳(こおば)しく
滴(しただ)りも匂ひ



美味しいものを頂ける今日に感謝






今日は少し曇り。

本日はお家元による若手能楽師のお稽古。先生により稽古方法に違いはございますが、基本的には手取り足取り教えて頂くものではなく、改善点のみを注意して頂きます。技術習得の"練習"は己でやりたまえよ、と言うことです。

「いにしへ(古)を考える(稽)」

稽古は練習と違う。古書などを読んで学ぶ意味から派生したと聞いております。単に方法や技術を学ぶのではなく、その先に何を致すのか、どの様に力を注ぐのか。


"これから先、そして今、
      為すべきことは何かを考える"


能楽師のみならず常に一発勝負の舞台人にとりまして、練習ではなく稽古が大事なのです。本来、最良の勉強は本番の舞台であることは言を俟たず、中々其れは難しいことです。鞍掛馬の稽古にならぬよう。
昔の先生方の言葉を読みますと、

一に稽古、二に稽古、三に稽古


などと書いてあります。


トマトが青く大きく膨らみました。赤くなる前にどれだけ養分を吸収できるか。


今日も有難う御座いました。


今日も雨は降らず
晴れ間がさしました
私は雨が好きです
つまり天気が宜しくない

こちらは「羽衣」という曲に出てくる
天女の役です。今年の5月、豊橋における能楽講座第3回目の際の写真(全4回)

一昨年初めて"ワークショップ"という形式で能楽講座を催しました。ワークショップとは、一般的に体験講座という意味です。お能の試食会のようなものだと、あるお方の能楽講座の記事に掲載されており、成る程と思いました。

(去年12月 姫路 妙行寺)

日本に限りませぬが、この世はとても恵まれており、得られぬものは無い程、モノやコトで溢れています。

今ではモノやコトから人間様に近寄るということが鉄則のようで、確かにワークショップ形式が効果的なことを感じております。

勉強中の我が身にて僭越なことではありますが、能楽の良きとするところ、この世界に身を置いて感じること、細くとも多くの方々に繋がる糸筋を提供できればと思い、今年も活動を続けます。


  (今年5月 みたけ幼稚園)
  ※金剛龍謹若宗家の助手
  (去年2月 奈良 今西家邸宅 重要文化財)

 (一昨年2月 京都 わざ永々棟)
 これが初めてのワークショップ


すべての皆様に感謝

京は梅雨のひと休み

今日はお弟子様のお稽古教室

家紋、桔梗の色の美しきかな 


忙しなき日常のほんの数時間でも、お稽古を通して、自身のからだこころと対峙する機会をお持ち頂ければ、と考えております。

能のお稽古では、まだ見たこともなき景色を想像することもあらゆる ヒト や モノの気持ちに浸ることも致せます。

実際のお稽古では、すり足の勉強を致します。能の用語では、運足(うんそく)・運び(はこび)などと言います。

普段はあるく・あゆむという行為を意識することは少ないかと思いますが、先ず、その難しさを覚えます。そして日々の生活の中、歩けることの有り難さを知ることが致せると思います。


照顧脚下(しょうこきゃっか)とは、有名な禅語です。脚元こそが自分の存在根拠である、という意味。外から学べなければ自身に問いなさいということでもあります。

"脚実地を踏む"

という言葉があるように、人生も一足ずつ確実に歩まなければなりませぬ。

実家では、祖父の部屋の襖に書いてあります。またお寺などの玄関にも書いてあるのを良く見かけますが、靴を揃えよということですね。

今日一日に感謝。

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