VzUKc38SHJ.jpg

朝の後悔
このところ朝目が覚めても起きられずにいた。我が家では11ヵ月になる息子が最初に起きている。次に家内が朝食の支度を始め、出来上がる頃に1階から元気な息子の声が聞こえる。ここで私の身体がはじめて縦になる。そのような毎日が、ふと駄目な気がした。内弟子修行中、舞台が忙しくない日などは、きまって朝5~6時に御所へ散歩に出かけたものだ。師のもとから独立し3年目に突入した今、日々の生活には慣れたものの、どこか弛んでいる。無常迅速という言葉があるように、時は少しも待ってはくれないのだ。欠落した朝の時間を取り戻すべく、私は朝活を始めることにした。

坐禅との出会い
私は京都の堀川付近に住まいしている。車もないので移動手段は徒歩か自転車かバス。仕事場の舞台(金剛能楽堂)は歩いて10分、必要なものも近くで手に入る。バス停も徒歩3分。何とも便利な立地である。そのすぐ近くのお寺で座禅を始めることになった。十数年前、高校を卒業したての私は東京から京都へ住まいを移した。当初、お能の仕事でもお邪魔したことがあり、門前を幾度となく通り過ぎている。それが、つい先日のこと ” そういえば「坐禅 毎日」という看板がかかっていたな ” という具合にふと思い出したのである。これは誠なるご縁。早朝の坐禅を始めれば朝起きなければいけない理由ができるな、といった純粋な坐禅願望からではない心が動いてしまった。思い立ったが吉日、早速問い合わせを済ませた。決して、坐禅で己の心を見つめたい、などという優等生な理由からではないのが、浅ましいこと。

己との出会い
いざ朝6時過ぎに門前へ行く。和尚さんから直々に坐禅の説明を受けた後、数名の方々と共に坐禅を始めた。まず、無理なく足を組み、最悪しびれたら組み替えても良いとのこと。されど、足を組み替えるなど言語道断。1時間も2時間も座る能楽師にとっては譲れないところ。そして、背筋を伸ばして頭から一筋天に突き抜けるように、頭上を引っ張られるような姿勢を取る。手を輪っかにしてオヘソの前に楽に構え、息は鼻から吸い最後まで吐ききるそうだ。よく、煩悩が108などと聞くが、初めての座禅では色々なことを考えてしまうことが普通のようだ。コツは、己の姿勢の事を考えてゆっくりと呼吸をするそうだ。同じ座るにしても、能楽の舞台の間は何も考えていないことなど皆無と言ってよい。稀に舞の最中などは身体が勝手に動くこともあるが、地謡や後見など、舞台を補助する仕事の場合は実際色々なことを考えている。
さて、はじめての坐禅は本当に気持ちがよかった。言われた通り、何も考えないという境地は難しいので、ひたすら良い姿勢を保つことに専念した。これは能楽の修行と思えば耐えられることだと思った。それでも、同じ格好で同じ呼吸をするなど、改めて難しいことだと認識した。実際、頭の中には昨夜覚えた謡の文句や、回想、先ほどの和尚さんの顔など、次から次とふつふつ湧いてきてしまう。己の集中力というのか、無になれない凡庸さを知った。
坐禅生活一日目に感じた事ととしては、これが生活態度の改めのみならず、己を見直す良い機会なのだと知り、暫く頑張ってみようと決意した。



SD7a9kV8Ie.jpg


img_dairen2.jpg

「金剛流 能楽大連吟」 本公演
≪2018年12月8日(土)≫

●能楽大連吟では、プロの能楽師の演技に、参加者による大連吟を加え、能「高砂」(半能) を上演します。 また、別の部分の謡を 参加者が舞台にあがって大連吟するプログラムもあります。8月からお稽古を始められた参加者の50名強の方々は、12月に本番を迎えます。

●高砂のシテ(主役)は 山田伊純 が務めます。 金剛流の能面や能装束もご覧いただけます。"舞金剛"の 動きが豪快で華やかな舞台をお楽しみください。 

●ご興味のある方、お能を観るのが初めての方、もちろんお能通の方へも、お勧めです。是非、年末は金剛能楽堂へお越しいただき、大連吟による能楽をお楽しみください!

●ご覧いただくための チケットは1000円です。お求め頂く方は、山田伊純HPの問い合わせフォーム、または大連吟公式サイト、各講師より直接おもとめください。大連吟の詳細は こちら


img_dairen3.jpg
img_dairen4.jpg

チケットのお問い合わせは 山田伊純HPの問い合わせフォーム まで

大連吟の詳細は こちら


WKXQuCFjlm.jpg

歩けば清風を感じる良い季節になってまいりました。お空は曇りばかりで、まあるい光も見えつ隠れ致しますが、そろそろ美しくお顔をお出しになることでしょう。月は、日本中どこから見上げても同じものを見ることができ、また、毎晩と拝むことができます。いつでも夜になると現れるお月様は、たった一つしか世に存在しません。不変の真理といった、いつも変わることのなき正しい物事の道筋を、昔の人はこの月の光に例えることが多くございました。

現代の高層ビル群などから見ると、月の光はネオンの光に負けてしまい、実に微弱で非常にか弱い。月の光を知らない人がどれだけいるのだろうか。私も東京生まれで半分東京育ち、18の頃より京都におりますが、やはりこれには鈍感だと思う。

子供の時分に、山梨県の山奥にある知人宅にお泊りをしていたことがありました。そのあたりの道には街灯一つなく、夜になると出歩くことが困難なので、懐中電灯の光と、月の光だけが頼りです。山奥には虫が多く、イノシシ除けの大きい爆竹のような音が鳴り響き、部屋の電気を消すと目が慣れない程の闇を感じ、当時は非常に怖い思いをしたものでした。今考えれば、人が自然に生かされていることを感じた良い経験だったのだと思います。

昨今では数多の光が出現し人々はそれに魅せられております。また惑わされることも多いでしょう。時にそれは凶暴となり、何よりも恐ろしいと思います。昔、2000年問題や、やれエイリアン侵略などが騒がれていた時代がありましたが、恐らくはケータイ・スマートフォンの正体がそれだと確信しています。私自身も侵されつつあり、どうしたものかと頭を悩ませております。

人は光に向かって歩く習性があり、光を求める生き物といっても過言ではないでしょう。時にそれが姿を変えた侵略者であっても。このままでは、古人が見た月の光はもう二度と帰ってくることは無いのだろうと思います。


SxEc_JCgrm.jpg

さて、昨日は能のお仕事にて一休寺に参りました。この橋わたるな等、とんち話で有名な一休さんのお寺です。この日は雨がさらさらと降りましたが、多くのお客様にお越しいただいておりました。夜のお能というのも、雰囲気が静まり風情のあるものだと思いました。

_var_mobile_Media_DCIM_115APPLE_IMG_5021.JPG

写真のように、楽屋に入りましたら鞄を置いて自分の場所といものを確保いたします。お寺や神社でのお能も、本舞台同様、気が引き締まります。

…この頃、涼しくなってまいりましたが、まだまだ水分補給などしながらお仕事をしなければいけません。気が抜けますと、夏の疲れがたたりますので、くれぐれも皆様もお気を付けください。

QOODsp7Cjr.jpg首途八幡宮例大祭奉納2018
夏もそろそろ勢いを無くして参りまして、いよいよ秋の気配を感じさせます。昨日は首途八幡宮例大祭(純之会としては第2回目)の能楽奉納でございました。日々の稽古で身につけた芸を1人ずつご奉納いたしました。
jsK5D52Kgt.jpg
社中の皆様を中心に、能の謡や仕舞をご奉納致しました。前日から続いた雨も始曲前には降りやみ、お越しいただいたお客様にもゆっくりとご覧いただけたかと思います。今回は私が在学中2年間入部していた同志社大学能楽部金剛会の方々にもお声を掛け、お越しいただきました。
_var_mobile_Media_DCIM_114APPLE_IMG_4866.JPGこの首途八幡宮は源義経が奥州へ下る際に旅の安全祈願として立ち寄られた場所として有名です。義経の大河ドラマのときは観光客が多くいらした事でしょう。

普段は社務所の間をお借りして社中のお稽古をしております。能は老若男女を問わず、誰でもが習うことができます。現在、お社中さんの中では最高齢が70歳で、最年少は4歳の方が稽古をしています。各々目標を持ち、楽しみながら稽古に励んでおります。
XqfEAHxZeR.jpgもう少しお稽古に関してお話をすると、お能のお稽古を始めるにあたり、各自色々な動機があるのかなとお察しします。それは、もちろん能の技術の習得であったり、何か別の芸の為の勉強、観能のためまたは健康の為、エクササイズ、ストレス発散、なんとなく、先生のファン…等々。

個人的には動機は何でも良いし、また入門後の目的も何でも良いと思っております。勿論お稽古場に来られている方でプロを目指す方は殆どいらっしゃいません。

そして私も、ひたすらお能しかお教えしません(できない)から、お社中の方々は能の稽古を通じて、またはお能の作品から、はたまた稽古に通うという習慣から、何かを得ているのだろうと思います。
_var_mobile_Media_DCIM_114APPLE_IMG_4871.JPG
それでは、お稽古だったらお能でなくても何でも良いかも、と言われてしまえば、そうでしょう。
ただ一つ、お能の良いところを紹介すると、お能では見えないものを非常に大切にするところです。特に、 "心を込める" といった人間の内なる働きかけは、見ようとしなければ本当に見えない部分だけれど、人の所作の中では極めて美しいところだと思います。お稽古を通じて、身をもって知ることになると思います。

aCVy4aXc9h.jpg
最後に私も奉納いたしました。船弁慶のキリです。今回の番組は、お能をご存知の方はお気づきになったかと思いますが、義経に関わる曲をなるべく選曲しました。
_49uM3OzSu.jpgそしてお楽しみの… 奉納の後は、後席を設けて皆んなで乾杯。能のお稽古を通じて知り合った仲間との "ひととき" は何にも代えがたい、大切な時間となりました。値千金とはこのことですね。

6Exmnw499y.jpg
笹の葉さらさら なんて題名のブログを書きかけて、下書き保存にしたまま時が流れておりました。この一週間、灼熱のように暑い毎日が続いて外の植物も我が体も干からびている。皆様はいかがお過ごしでしょうか。
f0734LDdBS.jpg
私は先日から、芸術センターで行われている夏の子ども教室の講師を勤めている。これは能楽の普及事業として、小学生から中学生の子どもを対象に毎年募集されているそうだ。1日90分の5日間の稽古を経て舞台に立つことができる、正に夢の企画である。

求められる内容は、仕舞や囃子を舞台までに繰り返しくりかえし稽古をして、ひたすら覚える事。

もしかすると子どもには能の本質部分を理解することは困難かもしれない。しかし、いずれ彼らが大人になってこの体験を思い出し、"能に触れてみよう"なんて思わせたらば、この事業はそこで成功したといえる。

その後、彼らは能を観に能楽堂もしくは薪能へ行く。そのとき初めて能楽師の真価が舞台上で問われる…決して今ではない。嗚呼、なんて遠い道程。いつも能の舞台はそこにあるのに、という悲しさ。普及とは何ぞや。

今はわからずとも、いつかはわかる。そういう世界はきっと存在する。

この普及は遠くもあるが近道でもある。私はこの催しが数ある能楽の普及事業の中では結構価値の高いものだと思う。折角の普及事業なので、是非多くの方々に参加をしていただきたいものである。


それにしても子どもの吸収、呑み込みの早さには驚かされ、また元気に圧倒されている。己の老いを一瞬感じてしまったことは悔しい。残りの2日分の稽古も、負けじと頑張ろう。




↑このページのトップへ