中学を卒業して 受験から解放された気持ちと
高校への期待を膨らませていた春休み
いつもよりゆっくり起きて
遅めの昼ごはんを食べながらテレビのチャンネルを回した
興味のないワイドショーを眺めていた
緊急地震速報の文字
焦りを浮かべたアナウンサーの顔
画面に映るこの黒くうねる波は それを背に走る車は 人は 現実か
飲み込まれた地面はもう元の形を留めず
必死な顔のまま消えていく人
真っ赤に点滅する東日本
耳を刺すアラート音
「高いところへ逃げろ」と機械のように繰り返す
山の上で膝から崩れ落ちる
張り付いた表情に血の気はない
名前を呼ぶ声はもう 届いていない
毎年この日になると思い出す私の記憶です
10年も経つとその時の気持ちや光景など褪せていくと思っていましたが
時間が過ぎるほどに、脚色されるんじゃなくて
理解が深まるようになった気がします
帰れなくなった人
帰らなかった人
現地の方々がこの10年をどう思って生きたのか
あの日から隣にいるのは死か 非日常か
私が尽くす言葉では稚拙にしかならないですね
形は違いますが、同じように多くの人を亡くした歴史を持つ広島で私は被爆3世の命があります
私が経験していない記憶を祖父は繰り返し繰り返し伝えてくれました
忘れさせない努力が今の場所を守っています
東北の 被災した方々の伝え続ける姿が
私には祖父と重なります
血縁や親戚ではなくても
他人事に思ってはいけない気がして
10年前を忘れない
防災・減災の心得と
遠い地で名前もわからない誰かに
想いを馳せる
その気持ちに寄り添う
私は私の出来るところから支援を続けていきます
広島は今日 桜が咲きました