月別アーカイブ / 2016年11月

_DSC9819
自分が好きで「やりたいこと」に集中できると、他人のことが気にならなくなる。

自分がインディペンデントな存在であると思っている人は、属しているコミュニティに多くを望まない。会社員であれば会社に不平や不満を持つものだけど、それは「属している自分」がいつの間にか空中に浮いて、俯瞰で眺めてしまう間違いを起こす。これは客観性とは違っているし、集団のジレンマはそこにある。

昔から文壇バーなどという言葉を聞くと不思議な気がしたんだけど、小説家という孤独な職業だからこそ同業者と語る場が欲しいんだろう。独立した個人が集まってもデパート自体に意味はなく、全国物産展に出店しているお隣さんって関係なのかな。

もちろん自分がやりたいことは社会と直結しているから何かしらの集団やイデオロギーに接触するんだけど、繋がりながらも切り分ける、というスタンスにこそ個人の能力や倫理が問われる。

ネットの世界がそれをより加速させている。俺は自分のダメさを誤差の範囲にとどめようという姑息な戦略をとっている。1000回くらい何かを言うと、7回くらいの間違いは赦してくれるんじゃねえか、という方式。7/1000あの人は気にくわないってことで。

でも、年に2回だけ自分が得になる宣伝や告知をしたりすると「あいつ告知しかしねえな」というゴリ押した印象だけが残ってしまう。2/2、そう思われてしまう。

働きかけの有効性は、その人のプレゼンスにある。毎日会議に出ている人たちは、3年に一度会議に出てくる人の提案を素直には受け入れない。これはストラテジーなんて話じゃなくて「人情」ってヤツだ。いつもこういうことを主張している人のイベントに行く、という根拠はわかるが、イベントだけを放り込まれても誰も行かない。

小学生が言う友達というのは、たまたま同じ教室で毎日会ってるヤツのことで、決して唯一無二の存在ではない。大人もそれと大差ないよね。おはようございます。

810_0747
誰の責任を問うつもりもなく、ひたすら切ない気持ちで一日を過ごした。お子さんを亡くした親御さんは当然のことながら、あの展示を行った学生たちも想像できないほど辛いはずだ。

俺はここ数日間、毎日「TDWに来てくれ」とここに書いてきた。休日はお子さん連れも多く、その人たちが事故に巻き込まれる可能性があったかと思うとやりきれないし、責任も感じる。

俺は現場ブースで人物撮影をしていたが、自分の目の届かないところは責任が持てないので、何もないとは思うが毎日モノブロックストロボを持ち帰っていた。最近のストロボは発火・爆発などはほぼしないんだけど、知らない誰がどう触るかわからないところに機材を放置することはできない。これは無意識の行動に近く、撮影の現場で微かな危険の兆候を感じた何十年かの経験によっている。

撮影でもタングステンなどの加熱しやすい照明機材に可燃物は決して近づけないものだけど、後から「あれは引火しやすかった」と批判するよりも、学生などアマチュアの展示にはプロの経験によるサポートが必要だったのだろうと、結果が悔やまれる。

台北のタツヤからメッセージが来て、何も言わずサプライズで最終日に観に行こうとしていた、と言われた。サプライズの種類が変わってしまったが、遠くからわざわざ来てくれたたくさんの人たちと、いいイベントだったと言って終われなかったことが残念でならない。

写真は向かいのブース、中国から来たプロダクトデザイナーのチーム。おはようございます。

_DSC8153
とても暗い気持ちで週末が終わった。

昨日はウーマン村本くん、平松さん、森さんのおかげで、人が生きていくことを真剣に考えた。二人は病気があるからこそ惰性で生きている時には気づかない時間の貴重さを意識しながら行動している。

ボクは生きている。

この主語+動詞のシンプルさの中に、我々は修飾する言葉を挟もうと必死になっている。ボクは豪邸に生きている、ボクはブランドモノをまとって生きている。

主語と動詞の間に挟まっているモノは、命と比べるべき状況が来たらすべて無意味になる。TDWで亡くなった幼いお子さんは、その大事な動詞がなくなってしまった。

しかしTDW運営側の発表には、人の命が失われたこと、それに対する悔やみが何ひとつ書かれていない。事故があったのでイベントは中止、本日の入場はできません、とだけ書かれていた。

俺はできるだけシンプルに生きていようと心がけている。ここで言うシンプルさは何もオーガニックに断捨離しようみたいなことではない。自分が大事だと思っていることだけを、自分の責任において最重要視する、ということだ。

それは協調を否定することにも繋がるから摩擦も生むんだけど、そんなことは何も気にしない。命令されなくていい環境を何十年もかけて作ってきた。生命はスマホの中にはないし、お金とも地位とも関係がない。自分が大事だと思うことだけをする。五歳の子供が安全に生きられることより優先することなんて何もない。

俺が事態の深刻さも知らずにTDWの会場を出たとき、テレビ局がたくさん来ていた。「誰か映像を撮っていた人はいませんか」「火事の現場を見てた人、いない?」と声を張り上げていた。

君たちがテレビ局から給料をもらっていることはわかるよ。それで家族を養っていることもわかる。でも、それって自分にも子供がいるってことだろ。これ以上は何も言わないけどね。

↑このページのトップへ