月別アーカイブ / 2016年03月

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この際、俺の旅に対する誤解を解いておきたいと思ってこの文章を書きます。なぜヒマさえあればどこかに行くのか、そこで写真を撮るのか。誰からも求められていないけど聞いて欲しいのです。

今、代々木八幡のNEWPORTというカフェで写真を展示し、台北、Paris、東京の3冊のzineを並べています。これは「どこの街を眺め、どんな写真を撮って来たか」をできるだけタイムラグなしにまとめたくて始めたプロジェクト。今後も続けていきます。

http://nwpt.jp/event/8605

これを見てもらった人にはもしかして伝わるのかもしれないけど、俺は何かを見るためにどこかへ行ってはいません。表現が難しいんですが、東京でも起こりうる、自分に関わる出来事の場所(ステージと役者)を変えているだけ。

恥ずかしい性癖を暴露しますけど、到着した最初の日にはホテルのベッドに全裸で寝ることにしています。なんというか、これからそこを自分の部屋にするための儀式で、これを「部屋とチューニングする」と呼んでいます。ベッドメイクの方にはシーツに妙なモノをこすりつける結果となって申し訳なく思います。

今回の展示にも含まれているParisには数十回行っていますが、一度もエッフェル塔に登ったことがありません。名所や旧跡は時間が止められた場所なので、次に来たときでも行けるだろうと先送りにしてきた結果です。しかしそれで何も困ってはいません。

ワールドカップがあった1998年、俺は一ヶ月ほど何もせずにParisにいました。昼頃のんびり起きて、ホテルのフロントのお兄さんとロビーでワールドカップを見て、街にご飯を食べに行き、飽きると戻って来てまたテレビを見て話し、部屋で何もせず、窓から夜の街を眺める。その繰り返しでした。あまりにやることがなくて、なぜか髪を金髪に染めてしまったりもしました。

あなたはいつもどこか外国にいますね、と言われることもよくありますが、それほどでもありません。海外はだいたい年に7回くらいで、できれば今の倍は行きたいと考えています。

文化が違う国に行くと面白いのは、子供に帰れるということです。初めての街では電車の乗り方も食事の頼み方もわからない。それをひとつずつ知っていくのは、まるで5歳の子供が学ぶように新鮮で希有な体験です。東京ではもう味わいようがありません。

だから「パリに来たらまずエッフェル塔に登るのはマストでしょ」と考えてしまうと、情報を持った大人の「解決の旅」になってしまうんです。5歳の子供ならエッフェル塔を発見し、なんだあれは、と驚いて周囲をグルグル回って見上げてみる、みたいなことになるでしょう。それがいいんです。

旅はすでに自分が知ってしまった知識をリセットして、ゼロに戻すことができるタイムマシーンとも言えます。人は次にまた会えるかわからないので、そこで出会う人を撮影することも楽しい。1998年のときによく行っていたクレープ屋さんがあって、とても美人な店員さんがいました。その次に行ったときにはもういなかった。その頃俺はまだ写真を撮っていなかったので、その人の写真は1枚もありません。旅はセンチメンタルなのです。

名所や旧跡をスタンプラリーしていく旅とは違うので、俺には俺独自の旅があります。ですから、誰かと独自の旅の話をするのはとても楽しいのです。今まで訪れた国は25程度ですが、それをテーマにトークでもしたら,少なくとも25回分は話せるでしょう。(続く)

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答えに辿り着く楽しみのために、情報を隠す。解読に面白さを感じるタイプにとって「それがあると見えないよ」とスタートライン以前のことを言われるほどつらいことはない。その場合は「うるせえバカ」と言うしかない。ある人がとてもうまいことを言っていた。

テレビドラマに喫煙シーンが出てくることについて上層部が会議をしている。「子供に悪影響だとクレームが来るのでカットしろ」とディレクターに命令する。言われた方は「前半に殺人のシーンがありますけど、どうしましょう」「それはオッケー」

もはや何が倫理なのかわからない。身近でリアルなものだけにしか想像が及ばないのかもしれない。俺はできるだけ誰にでも共有できる概念として抽象的なことや大げさなフィクションを書くようにしている。

たとえば「青森のリンゴ農家が」と書くと「青森でもそのあたりはリンゴ作ってないっすよ」などと指摘される。抽象だからそんな精度は誰も求めていない。その人は青森かリンゴに詳しくて、トピックがその二つに近づいた瞬間だけ反応するようにできている。他は無視で。

わかりやすいことや事実は決して正義ではないし、理屈では計りきれないことの方が人の気持ちを揺さぶる。そうじゃなければ音楽や文学が存在する意味がない。でもそれも「ラノベ化」してるんだろうな。軽さを極めたライト・ライフ、ラライフだ。学問の神様である天満宮から遠く離れてしまったなあという駄洒落を言いたいだけだと見透かされつつ、おはようございます。

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なぜフェラーリが必要なのかと言えば、世界中がプリウスみたいなクルマだけじゃつまらないからです。高価で二人しか乗れなくて荷物も積めず燃費も悪い。でもクルマにはそういう楽しみ方があるから、それを「悪」と決めつけてしまわない方がいい。

知人がフェラーリを買ったとき、周囲の人から嫌みを言われて困ったという。「やっぱり稼いでいる人は違いますね」みたいな。その発言の何がダサいかというと、ツッコミとして面白くないから。出来事への反応が典型的すぎて、つまらないんですよ。

笑えない上に、ひがむことで人を傷つける。何もいいことない。ちなみにフェラーリを買った人もバカじゃないから「私らには一生かかってもドアくらいしか買えませんよ」という反応があることはわかっていた。

だから「色を決めかねて、2台買った」ことは黙っていたらしい。

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