月別アーカイブ / 2015年10月

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出来事の善悪なんてカメラを持ってる人にはどうでもいいことだ。とにかく目の前にあるモノを撮るだけ。東京には出来事が多いから住んでいる。田舎は住み心地がいいかもしれないけど、俺は東京で楽しく「消耗している」。

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「お前は偽善者か」と言いたくなるほど、真っ当なムードで書き散らしておりますが、一旦冷静に聞いてください。

自分が若い頃にしてきたことは、まともな努力をしなかったり、恩を仇で返したり、人を傷つけたり、それはそれは悪魔のような酷い有様でした。頭髪の後退とともに反省と言う名の生え際はどんどん前に出て行き、なんとかまともなことを見よう見まねでできる人間くらいまでにリハビリできました。

これはすべて周囲の人のおかげです。きちんとした人を見れば反省し、ダメな人を見れば過去の自分を恥じるように反省しました。なので、俺がくそ真面目なことを言うときは「間違いもあるさ、人間だもの」なんてゆるい話じゃなくて、すでに治っているカサブタをはがして血を出しながら書いているとわかっていただけるととても有り難いです。

それで「それは都合がいいな」と思ったらご意見をいただけるとありがたい。ダメ出しは一生欲しいですが、ホメられることは、多くの場合求めていません。なんで突然こんなことをいうかというと理由はなくて、なんとなくです。

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自分の中で何かが大きく変わったと意識したのは、初めてベトナムに行ったとき。写真を撮るのは技術じゃなくてコミュニケーションだと今でははっきりとわかるけれど、肉体的に理解できたのはサイゴンだった。

街の雰囲気に驚くのもつかの間、ここで何をどう撮ろうかとテンションが上がりまくっていた。「カメラは水平に」が俺のモットー。上からでも下からでもなく、つまり差別も憧れも両方持たないということ。

俺が撮る写真は、道ばたでボンヤリしているおっさんでも子供でも有名な人でもひとつも変わらない。俺と同じ時間と空間を共有している一人の人に価値の差はない。

ベトナムで最初に話した市場のおばさん。俺は暑いので大きな木の日陰に座っていた。おばさんは俺の隣(それも日本で言う隣じゃない)、横パイが当たるほどの「恋人たちの距離」に座ってきた。おばさんは何も話しかけては来ず、ただミカンを剥いていた。綺麗に白い筋を取り除いたところで、黙って俺に差し出す。俺がそれを食べると次は自分の。それを繰り返す。

日本でこんな関係を持ったことがない。どこから来たのかとか、お前は誰だなどと聞く前に、日陰に座っている同士というだけでミカンを食べている。その人以外も、サイゴンの人はフレンドリーな人が多く、とても居心地が良かった。ハノイ出身の人からは「サイゴンが気に入ったんだったらハノイにも行くといいよ。また違うベトナムが見られる」と言われたのでその次はハノイに行った。

自分が考えつく事なんて偏見だし先入観しかない。だから人から言われたことには素直に従うようにしている。もちろんハノイも素晴らしい街だった。カメラを向けると誰でもいい顔をしてくれる。変なポーズもとらず自然に。

ハノイから帰った数日後、渋谷で知らない人に写真を撮らせてもらおうと思ったら「媒体は何?」と言われた。

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