月別アーカイブ / 2015年08月

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生理的な好き嫌いってあるでしょ。ほぼ理由がないヤツ。俺はスゴくある。

「正しいのかもしれないけど、なんかキライだ」という幼稚な感情を表に出さないのが大人の振る舞いなんだろうだけど、俺はムリだ。

嫌いなことを言い始めたら色々ありすぎて、2泊3日のトークショーができるほどだけど、もう出かけるのでひとつだけ言うね。それは「得をしたい人」。

利益とか、得とか、無料とか、稼ぐとか、儲けるとかの言葉は、それぞれすべて意味が違う。たとえば「稼ぐ」のは自分が汗を流した分だけ。「儲かる」のは汗をかいたより多くのモノが入ってくることを求めている。

だから人が使う言葉をよく聞いていると、その人が何を求めているかの哲学が隠そうと思っていても丸見えになっちゃう。哲学と人生哲学と経営哲学だって、チワワとLEDと電気スタンドくらい違うモノだしね。

もうひとつだけ追加しておくと「言葉の違いとか細かいことをチマチマ言うなよ」という人。自分を表現する方法に鈍感な人と俺は話さないし、愛さないからいいけどな。

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今日の昼、打ち合わせと打ち合わせの間の数十分で食事をしようと思い、よく知らないチェーンの定食屋に入ってメニューを見た。

目に入ってきたのは「インジェクション加工肉」という言葉。どう考えても食べ物に使われる用語じゃないよなと日頃から思っているインジェクション加工。そこに「遺伝子組み換えしていません」のように「していません」の文字を探したが、ない。

「インジェクション加工肉を使用しています」威風堂々、肉の写真の横にそう書かれていた。言っておくけど俺たちは添加物とか着色料をふんだんに体内に取り入れて成長してきたジャンク世代だ。この期に及んで「クリーンな食べ物を」なんて綺麗事は言わないさ。

でも、加工肉ですと書かれたモノを「よっしゃ」と言って食べるのかと思ったらちょっと気分が悪くなって、失礼を承知で店を出てしまった。ジャンク世代にあるまじき失態。近くのそば屋で(多分インジェクションされてない)ざる蕎麦を食べた。

食の安全なんて、自分にとっては「選択可能なモノ」としか捉えていなかったんだけど、これは本当に寒気がした。問題は経済に向かうよ。森喜朗元総理は「料理っていうのは料亭で食べるモノでしょ」という名言を残したけど、無農薬、無添加の綺麗な食べ物はそういう限られた場所でしか出なくなっていて、我々庶民は経済的な理由で工業製品みたいな野菜や肉を食べ、因果関係は分からないと責任を逃れたおかしな病気にかかり「喜朗だけ妙に元気」とまあこういう構図になりますよね。

俺はお酒を飲まないので、その分の経済は徹底的に食べ物に回そうと思っている。だからもしかしたら同年代のオジサマたちと比較すると、やや喜朗じみた肉や野菜を食べているのかもしれない。ここ10日ほど体重を気にする生活をしてきて、カロリー表示を見る機会が増え、その横にこれでもかというほどの添加物の羅列を見せられるとウンザリしますね。

その日のうちに萎びてしまう野菜をフレッシュなうちに食べる。健康的な食生活はそうあるべきだけど、流通や賞味期限の都合で防腐剤や調整剤がガンガン使われる。その表示を読みながら知っていて買うというのはやっぱりどこかおかしいんだよな。

小人に毎日ボディブローを食らっている感じ。一人ずつのダメージは見えないほど小さいし責任も取らないけど、あとあとそれが命取りになるみたいな。

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どの世界にも業界というものがある。本人たちは無自覚もしくは大マジメだが、はたから見ると滑稽なことも多い。よく言われる「業界」はテレビやスコミに関わるもの。情報の出口がマスであることを、自分自身がマスへの影響力を持っていると勘違いしていることからおかしなことが起こる。

専門分野は業界の内部でしかわからない符牒を使うことで排他的になるが、それは外に流出してはいけないものだ。意味を悟られては符牒にならない。たとえば、とんねるずがテレビの業界に入って「外部から見た内部」「内部に入ってしまった外部の人」を面白がっていたことで「知らなかった内部」が一般に流通し始めた。

マスコミだけではない。電力会社は原子炉が爆発したことを「爆発のような事象」ということや「永田町雀」というのは鳥ではなく、ハゲたおっさんであるらしいことも一般に知られている。

木を見て森を見ずと言うが、人は自分の半径数メートルしか見ていないから自分が森に属していることを忘れたり、身の回りの木がすべてだと思っている節がある。

ある喫茶店にて。数組の客がいる。

「今月のゲツハイ、読んだか」
「とっくに読んだよ」
ゲツハイとは月刊配管工事のことである。
「北千住の石元さんのグラビアがな」
「あれ、かっこいいよな。切り抜いて部屋に貼ったよ」
「石元さんの国技館二期工事の配管はすごかった」
「ああいう配管工になりたいよね」

となりの席。

「おい、シュウタク読んだか」
「読んだ。ヤマトVS佐川の仁義なき抗争な」
「面白かったなあ、あの記事」
「今週のカリスマ配達員、一日で三百軒回ったらしいぞ」
「ありえねえよ」
「俺たちも民営化からの逆風に耐えていかないとな」

となりの席。

「教授、今月のゲツアカに原稿、載ってましたね」
「ああ、読んだかねキミ」
「金原教授の『中心性の欠如と限界分析』はどうでしたか」
「あんなのケンブリッジに擦り寄り過ぎだと思わないかね」
「僕はそうは思いませんけど。教授の『空海とジョブズとの近似性』もけっこうありがちだと思いましたけど」
「あれはいいんだよ、たまには俗っぽいネタで緩急つけないと」

マスターはヒマそうに「季刊・喫茶店経営」を読んでいる。

このように世界は無関係の細かい業界の集合で成り立っている。そこで起きていることは、いわば自分の家庭の問題のように他人から興味を持たれることはない。

カランコロンと、昔ながらの喫茶店に必ずあるヤツ(喫茶店業界用語で何というかは知らない)が鳴り、一人の初老男性が入ってきた。

「おい、あれ見ろ。伝説のカリスマ配管工・石元さんだ」
「マジか、本物だあ。アガるう」
「ゲツハイにサインしてもらおうぜ」

もちろん他の客は、なぜその地味な男性が雑誌にサインし、写メを撮られているかはわからないのであった。

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