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とても暗い気持ちで週末が終わった。

昨日はウーマン村本くん、平松さん、森さんのおかげで、人が生きていくことを真剣に考えた。二人は病気があるからこそ惰性で生きている時には気づかない時間の貴重さを意識しながら行動している。

ボクは生きている。

この主語+動詞のシンプルさの中に、我々は修飾する言葉を挟もうと必死になっている。ボクは豪邸に生きている、ボクはブランドモノをまとって生きている。

主語と動詞の間に挟まっているモノは、命と比べるべき状況が来たらすべて無意味になる。TDWで亡くなった幼いお子さんは、その大事な動詞がなくなってしまった。

しかしTDW運営側の発表には、人の命が失われたこと、それに対する悔やみが何ひとつ書かれていない。事故があったのでイベントは中止、本日の入場はできません、とだけ書かれていた。

俺はできるだけシンプルに生きていようと心がけている。ここで言うシンプルさは何もオーガニックに断捨離しようみたいなことではない。自分が大事だと思っていることだけを、自分の責任において最重要視する、ということだ。

それは協調を否定することにも繋がるから摩擦も生むんだけど、そんなことは何も気にしない。命令されなくていい環境を何十年もかけて作ってきた。生命はスマホの中にはないし、お金とも地位とも関係がない。自分が大事だと思うことだけをする。五歳の子供が安全に生きられることより優先することなんて何もない。

俺が事態の深刻さも知らずにTDWの会場を出たとき、テレビ局がたくさん来ていた。「誰か映像を撮っていた人はいませんか」「火事の現場を見てた人、いない?」と声を張り上げていた。

君たちがテレビ局から給料をもらっていることはわかるよ。それで家族を養っていることもわかる。でも、それって自分にも子供がいるってことだろ。これ以上は何も言わないけどね。