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自分の中で何かが大きく変わったと意識したのは、初めてベトナムに行ったとき。写真を撮るのは技術じゃなくてコミュニケーションだと今でははっきりとわかるけれど、肉体的に理解できたのはサイゴンだった。

街の雰囲気に驚くのもつかの間、ここで何をどう撮ろうかとテンションが上がりまくっていた。「カメラは水平に」が俺のモットー。上からでも下からでもなく、つまり差別も憧れも両方持たないということ。

俺が撮る写真は、道ばたでボンヤリしているおっさんでも子供でも有名な人でもひとつも変わらない。俺と同じ時間と空間を共有している一人の人に価値の差はない。

ベトナムで最初に話した市場のおばさん。俺は暑いので大きな木の日陰に座っていた。おばさんは俺の隣(それも日本で言う隣じゃない)、横パイが当たるほどの「恋人たちの距離」に座ってきた。おばさんは何も話しかけては来ず、ただミカンを剥いていた。綺麗に白い筋を取り除いたところで、黙って俺に差し出す。俺がそれを食べると次は自分の。それを繰り返す。

日本でこんな関係を持ったことがない。どこから来たのかとか、お前は誰だなどと聞く前に、日陰に座っている同士というだけでミカンを食べている。その人以外も、サイゴンの人はフレンドリーな人が多く、とても居心地が良かった。ハノイ出身の人からは「サイゴンが気に入ったんだったらハノイにも行くといいよ。また違うベトナムが見られる」と言われたのでその次はハノイに行った。

自分が考えつく事なんて偏見だし先入観しかない。だから人から言われたことには素直に従うようにしている。もちろんハノイも素晴らしい街だった。カメラを向けると誰でもいい顔をしてくれる。変なポーズもとらず自然に。

ハノイから帰った数日後、渋谷で知らない人に写真を撮らせてもらおうと思ったら「媒体は何?」と言われた。