パーカーにたずねよ、快適は快適か?

(酔いどれコラボ即興的な)
(ワイヤード誌記事のリライト的な)




イヴ・サン=ローランは、
かつてこう語った、
わたしがブルー・ジーンズを、
発明したかった、
最も派手で実用的で、
リラックスできてフォーマルではない、
衣類──ジーンズは表現豊かで、
セックスアピールがあって、
シンプル──これらはすべて、
わたしの衣服にあってほしいと思う、
もし今日、同じフレーズを、
繰り返すとしたら賢明な、
サン=ローランは、ジーンズではなく、
パーカの発明者だったらと望んだだろう、


寒さが訪れるとともに、
パーカはその心休まる暖かさと、
快適さによって否応なしに、
脚光を浴びるようになり、
これ以上ない本物の普段着となる、
快適で、わたしたちが夏に着るTシャツと、
同じだけの表現の自由さをもち、
寒いときに手を入れる前ポケットがあり、
思いがけない冷たい風から、
身を守るフードが付いていて、
毎日スーツとネクタイで、
働くことを強いられる人の憧れの対象、
自由さの、そして、念の入った自覚的な
無頓着さの象徴、

着飾ることは、とてもすばらしいが、
時には、少しお腹が目立つかどうかを
考えたくなったり、
衣服にきちんとアイロンが、
かかっているか、衣服があなたの
価値を高めているかなどを、
気にしたくなかったりする瞬間があり、
人が望むこと──世間を気にせず、
外出するために、その下に着ている
すべてのものを覆えるものを、
身にまとうこと、


そう、パーカは民主的な衣服、
その出自はともかく、
すぐに日常生活の友となり、
浮浪者もスターと同じように、
少年も大人と同じように、
スポーツ好きも怠惰な人と同じように、
マーク・ザッカーバーグも、
あなたと同じように着る、

そのパーカは、あなたの所属している、
チームや大学のものかもしれないし、
あるいはウルトラファッションの
服かもしれないし、着ることで
負担を感じることもなければ、
アイロンをかけることすら必要なくて、
多くの場合、パーカは、あなたが朝、
自分が誰かもわからないような
寝起きの状態で、着替えて
外出しなければならないときに、
あなたのことを理解する唯一の衣服、

パーカは、フードを境界として
使うことによって外の世界を
遠ざけておきたい人の衣服、
こう言ってもいいかもしれない──
これは、サルヴィーニ
(イタリアの政党 北部同盟の書記長)や、
犯罪者の多くが好む衣服だ、
彼らはシンプルに、フードを被れば、
ヴィデオカメラに映るのを、
避けることができる、


2012年3月、フェイスブック本社にて
イスラエル大統領(当時)の
故シモン・ペレスと会談する
ザッカーバーグの衣服はパーカだった、


パーカーを着た最初の本物の
伝説的人物の1人、ロッキーを
引くまでもなく、これは、
自分がスーパーヒーローであることを
まだ理解していなかった者たちの
衣装でもあることを思い出させ、
ガブリエーレ・マイネッティの映画、
『皆はこう呼んだ「鋼鉄ジーグ」』
の主人公や、Netflixで観た、
「ルーク・ケイジ」のように、
見た目以上に共通点の多い2人の
登場人物がパーカを選んだのは、
偶然ではない、


人は、なぜルーク・ケイジが
パーカーを着ているのか、
そして、拳を振るい棒で殴りつける前に
フードを引き上げるのかをすでに
知っていたし、彼の仕草は、
政治的なもので、トレイヴォン・
マーティン射殺事件と関係していて、
トレイヴォンは、まさにパーカが、
原因で、疑わしく見えたという、
事実だけのために殺された、
アフリカ系アメリカ人の若者か、

この若者の死後、
何百人ものVIPたちが、
パーカのフードの下に自分の顔を、
隠し始め、ついには、NBAチームの、
マイアミ・ヒートの選手や、
スタッフ全体もが、トレイヴォンや、
偏見によって殺されたすべての人々の、
記憶を抱き続けようとする「Million Hoodies」という運動も生まれた、

フード付きパーカを着ること、それは、
空に向かって拳を上げたり、
パレスティナのクーフィーヤ(頭巾)を
首に巻いたりするような政治的行為だ、






英国の作家イーデン・フィルポッツ
(1862〜1960)がかつてこう述べた、
宇宙は、わたしたちの才知がより
優れた定義を行うのを辛抱強く
待っている魔術的物体で満ちている、

否、快適がいい、なんて誰が決めた?

全米で大人気「人類史上最高のパーカー」
の重み、「快適になるな」と、
銘打たれたパーカー、メディアによれば、
「エルメスのバッグなみ」の
ウェイティングリストをつくった

アパレルメーカー「American Giant」
の"重すぎる"フーディ、そして、
2012年12月に『Slate』の
「テクノロジー」に掲載された記事──

そのスウェットのフーディを、
元アップルのインダストリアル
デザイナー、フィリップ・マヌー、
(最初のiPhoneのタッチモジュールを
デザインした)を招き、
あたかもテックプロダクトのように、
つくり上げたことなどを枕に、
生地、ジッパー、縫い糸といった
ディテールを通して「人類最高」
たる所以を解き明かしていき、
オールアメリカン・プロダクトで
あることへのこだわりが、
単に愛国的な身振りではなく、
よりアジャイルな開発・生産を
行うのに最も効率的で理に
かなったものであること、

またたく間にセンセーションを起こし、
オンラインでのみ購入できる
このパーカーは、あっという間に
生産が追いつかなくなり、
「エルメスのバッグなみ」の
ウェイティングリストを
つくりあげることとなった、




2016年、人気ファッションメディア、
refinery29.comでも取り上げられ、
「史上最高のパーカーを嫌いに
なりたかったのだけど…」と題され、
かつてシリコンヴァレーの、
スタートアップで働いたこともある、
コニー・ワンが、西海岸の、
ケアフリーなカルチャーに若干、
嫌気がさしている立場から、
クサしてやろうと原稿を書き始め、
いざそのパーカーを着てみると、
たしかに悪くないかも…となっていく
さまを綴り「89ドルのジッパー付き
のもので実現したものには出合ったこと
がないね、ほら、テック野郎ども、
今回はあたしの負けね」と結論、



「偉大なるオタク、かくあるべし──」

ヘヴィーコットンを使ったそれは、
やたらとヘヴィーデューティで、
相当にゴツくて本当にゴツゴツしていて、「えー、ハズれかあ」と
若干気落ちしながらパーカーを
取り出した箱を見て、
その箱にデカデカと書いてある文字は、
目を疑うものである、







「DON’T GET COMFORTABLE」
快適になるな、

それは、「便利さ」や
「快適さ」の名のもと使い捨てを
繰り返す「消費サイクル」と、
それをドライヴさせている、
製造業へのアンチテーゼであり、
ものづくりを、いや、「働く」
という行為そのものを、
正道へと戻さんとするマニフェスト
でもあるが「快適さ」が「善」、
であると誰が言った? 
言われてみれば、たしかにそうだ、
あらゆるものが「快適」を
目指してつくられていることを、
ぼくたちは当たり前のように
当たり前だと思っているけれど、
果たして本当にそれは「当たり前」で、
すべてがそうあるべきなのだろうか、




"COMFORTABLE ISN’T COMFORTABLE"


COMFORTABLE NEVER GOT UP
BEFORE DAWN
COMFORTABLE WON’T GET ITS
HANDS DIRTY
COMFORTABLE HAS NOTHING
TO PROVE
COMFORTABLE CAN’T GET
THE JOB DONE
COMFORTABLE DOESN’T HAVE
NEW IDEAS
COMFORTABLE WON’T DIVE
IN HEAD FIRST
COMFORTABLE ISN’T
THE AMERICAN DREAM
COMFORTABLE HAS NO GUTS
COMFORTABLE NEVER DARES
TO BE GREAT
COMFORTABLE FALLS APART
AT THE SEAMS
DON’T GET COMFORTABLE


*


"快適は快適ではない"


快適は日の出前に起きたりしない
快適は手を汚さない
快適は何も証明しない
快適は仕事を成し遂げない
快適は新しいアイデアを生まない
快適は頭から突っ込んでいくことをしない
快適はアメリカン・ドリームじゃない
快適にはガッツがない
快適は偉大であろうとしない
快適は崩れ落ち粉々になる
快適でいるな







このパーカーのずっしりとした、
重たさの意味は、それは楽をせず、
身を粉にして働く人たちの、
ワークウェアであり、
ファウンダーのウィンスロップが、
50年代にアメリカ海軍で、
着られていたスウェットに、
インスパイアされて、
このブランドを立ち上げたことを、
受けていうならば、一種の
「戦闘服」ですらある、

そう、スウェットは、
そもそもが「汗」という意味だから、
というわけで、ぼくは、
アメリカン・ジャイアントを、
仕事の現場に着ていくことにならざる
をえないし、それは単にギークっぽさの、
演出でもなければ、おしゃれを、
決めこむための「ファッションアイテム」
でもなく、汗をかく準備がある、
そういうメッセージを、
そこに込めざるを得ない、
というのが、このフーディが、
ユーザーたちに求める要請、

ゆえに、この「史上最高のフーディ」
にはひとつだけ致命的な、
欠陥があることになる、
家でのんべんだらりと着るには、
やっぱりちょっと「重い」、



ルサンチマンは保守でも革新でもなく二項対立でもなくaでもなくbでもなく(おれはcだが)世の中を片付けるため攻撃してすべては間違っているといわなければルサンチマンでいられなくなる可哀想なルサンチマンで安全基地や安全保障がほしくて4949なきながら荒野とか草原とかを犀の角をもちながら(しゃかのように)自分では立ち上がっていけないのだから許しは自分でするものなのに誰かに許してほしいのが可哀想なルサンチマンの一生で「おーい磯野キャッチアップしよーぜ中嶋」それでよいのか身長45センチメンタルジャーニー朝の一行詩。

めったに会わない友人からのメールがこれ。
といっても、かなりまえのもの。
たまに、こういった変なのがきて、嬉しい。
変な友人ばかりで、話題は尽きない。
おれに言われたくないよね、きっと笑笑。
三年くらいまえのもの。。

これにて、ラインブログは筆をおく。
もう、ひとつだけ送信するかもしれない。
いずれにせよ、年に一回くらい書くか書かないか。
創作は尽きない。。     
ではでは。。(´∀`)




日本も参加している国際共同プロジェクトに「TMT」がある。これは、口径30mの巨大反射望遠鏡の建設プロジェクトで、今まで最大の望遠鏡が8mぐらいだから相当でかい。能力的にも十数倍になるが、技術的にも相当難しい。

直径30mだと一枚鏡では出来ない。この鏡を造るためだけに専用工場が必要になるし、造っても鏡自体の重みでたわみ焦点を結ばなくなるから、数十枚の鏡を組み合わせて造る。しかし、この大きさだと熱膨張という問題も出てくる。

遥か遠い宇宙の小さくて遠い天体を捉えるためにはとんでもなく高い精度がいるが、熱変化で鏡に膨張や収縮が起こると、正確に焦点を結ばなくなり像がぼやけてしまい大きくした意味がなくなる。

この解決のために日本が開発したのが「ゼロ膨張ガラス」。これはその名の通り熱変化があっても膨張・収縮しないというガラスです。物質は熱くなれば膨らむものなんだから常識外れのガラスを開発したわけだ。しかし、この他にも大気の揺らぎで像が不鮮明になり、遠くの宇宙が捉えられなくなる問題もある。これの解決のために日本が開発したの「可変鏡」だ。

反射望遠鏡は、大きな鏡で反射して集光した像を小さな鏡でさらに反射して受像部に送る構造で、この小さな鏡を可変鏡にする。具体的には、大気の揺らぎをレーザーで計測し、その揺らぎを打ち消すように数百分の1秒単位で鏡をグニグニ変形させて歪んだ像を補正するトンデモな技術。遠くを見るのも大変だ。

技術も興味はあるけどそれで何が見えてくるかが大事で、どんだけ宇宙の始まりに近づけるかだ。この他、やはり日米欧の共同プロジェクトでチリのアタカマ(標高5000m)に建設中の世界最大規模の電波望遠鏡や、ノーベル物理学賞を出したCERN(ヨーロッパ合同原子核研究機関)等、近年、極大から極小まで宇宙の始まりや構造に迫ろうとする大きな試みが動き出している。

ここからが本題で、こうした試みで発見される新たな宇宙の知見も興味津々なのは勿論なんだけど、最近考えているコトの手掛かり?痕跡?影響?何とは言えないが「観測によって何か出てくるんじゃないのか?」と思っていて、そのコトについて書いてみたい。

その考えている事というのが『数学は、発明されたモノなのか発見されたモノなのか?』
て命題なんだよね。何だかよく分からん、さっきまでの話と直接的には繋がらそうな問題なんだが、掘り下げていくと繋がるどころか根源そのものに近づけるのかも知れない。

元々、数字は物を数えるために創られたモノで、数字そのものには物理的実体がない抽象概念で、具象を抽象的に処理するために加法・減法・乗法・除法の四則演算が出来て数学へと発展していった。

数学は条件化が適切ならば、非常によく実際の物理現象を計算でき、また、結果もよく合致する。物理現象を計算するために人間が数学を創ったのだからそうなるのが当然。これが人間が数学を発明したという話になる。

しかし、自然と数学の関連性は不明なトコも多々あるようで。物理法則を公式化し、それを数学的手法で解いて答えを導き出し実際に一致する時(常識的にはそういうものと思っているが)、その解答が何故自然現象の構造と合致するのかという理由を完全に説明するのは意外に難しいらしい。

例えば、ブラックホールは重力方程式から導き出されたが、当初、誰も本当にあるとは思わなかった。なにしろ、宇宙は物理法則に従っているのに、ブラックホールの特異点では全ての物理法則が成り立たない。単なる数学的なトリックであって実在するとは考えなかったが、後にブラックホールは発見される。

不思議なのは、特異点は物理法則が通用しないので物理的解析は出来ないけど、数式では扱えて計算出来ることだ。少し考えてみると、この宇宙を造ってる法則が成り立たないのに数学で扱えるのは妙な気がしてくる。

身近な例だと「フィボナッチ数列」等の数列がある。フィボナッチ数列は、1,1,2,3,5,8,13,21,34…と続く数列で、1から始め、数列のある数とその前の数を足して次の数にしていく単純なルールの数列。この単なる数学遊びのような数列が、向日葵の種の着き方と同じ等、他の数列も含めて、自然界には数に対応する事象が溢れてる。

さらに「素数」の謎なんてその最たるものだ。そもそも素数は、1とその素数自身意外には素因数分解出来ない(数の乗法の積に直せない)整数という意味しかない。その素数は、まるで法則も意味も無く数の中から現れてくる。ところが素数で数式を造ると、自然対数表と近似値を示し、何故か円周率と関連し、終いには原子核がとるエネルギーの値が導き出されるというトンデモなさだ。

対数と円周率と原子核なんてバラバラなモノが繋がる。しかも繋ぐのが分解出来ないだけの素数。何ら物理的実体の無い抽象概念なのに数字って何?と訳分からんくなる。素数だけでなく、数の解析、言わば純粋数学が関係の無い物理現象を説明することもしばしばある。

だから俺は、こうしたコトから数字は単なる抽象概念では無く、この宇宙の物理法則の根源に何か数理的?な実体?構造?次元?みたいなモノがあり、それを自然から見出した。つまり、人間は数学を発見しただけでは?と推測してる。

例えば言葉は人間の発明で、数学は発見と考えればイメージしやすいかもしれん。とは言え、数学全部が発見でも無くて、人間の思考が発明した部分もあるとは思うが…。だが、どちらにしても、証明するだけの証拠は無いし、証明可能なのかも分からない命題だと思うんだよね。




さてと、こっからは完全に俺の妄想になるんだけど、実は数理の世界は宇宙の存在より深いんじゃないかと思っている。

最近、宇宙論では多宇宙解釈というのが花盛りで、他にも沢山の宇宙が存在する可能性が議論され、また、他の宇宙の存在の仕方も様々なタイプが提起されてる。宇宙の誕生を理論的に探究していった結果ではあるが、科学と言えるのかという疑問も指摘されてる。
何故なら、科学は「理論と検証」の両輪で成り立っているのに、これを検証することが出来ないからだ。

宇宙は物理法則に支配されている。これは、同時に物理法則が宇宙によって閉じられていることでもある。観測手段も物理法則に従っているので、宇宙(物理法則)の外を直接的には観測する方法がないことを意味し検証不可能となるわけだ。しかも、他の宇宙がどのような法則で成り立っているかも分からない。

この宇宙には物理定数という決まった値がある。宇宙を構成する基本的な値なのだが、物理定数が現在の値になっている理由は特になく、理論上、違う値でも全く構わない。だから、他の宇宙の物理定数は違っててもいいことになる。例えば、重力定数の値が大きく変わると宇宙の様相も変わり、全く異質な世界に変貌する。さらに、法則そのものも異なる宇宙もあるかもしれないので直接的観測など不可能だろう。

しかし、直接的な観測が不可能であっても、方程式は宇宙が次々と生み出されることを示す。これは何故なのか?また、宇宙を生み出すのは何なのか?これへの確かな解答など有りはしないが、手掛かりなら得られるかもしれないと思っている。

いくら物理的に隔絶しているとは言っても、宇宙を生み出した根源や他の宇宙との繋がりがまるで無いとは言えない。宇宙に及ぼしている何らかの影響や痕跡を発見し、間接的に検証できる可能性はあると考えている。

通常のスケールの世界ではこの宇宙の物理法則が支配的で、仮に影響があったとしても複雑に重なり合った物理現象の中からそれと見分けるのは困難だろう。そこで、極小の世界でなら物理現象の中から僅かな影響を観測できるのではないか。また、極小の世界の影響が累積して極大の宇宙全体にも何らかの偏向が出て来るはすだ。

宇宙論では、ダークマターやダークエネルギーなどまだまだ数多の謎があり、それが他の宇宙や根源と何か繋がりがある可能性もある。ここで始めに書いたことに戻るが(笑)進行中のプロジェクトで何か出て来るかもと期待してるわけだ。もっとも何か出て来ても、それが宇宙の未知の物理現象かそれ以外の影響かはすぐには分からないけどな。

宇宙論では、宇宙を生み出す根源を無、つまり全てを生み出すのは何物でもない『虚無』であると言っている。その虚無を走るさざ波である確率波から宇宙が誕生するとしている。この正体不明の虚無に科学的にアプローチできるのは、現時点では数学しかないだろう。

数学には『ゲーテルの不完全性定理』というのがある。これが虚無への少なくとも鍵の1つになるのではと考えている。これは、数学そのものを研究して証明された定理で、その内容は「簡単な代数の公理系を含む複雑さを持つ論理体系からは、演繹的に証明も否定もできない命題を構成できるので非決定的である」

何だかよく分からんが、ある数学体系(公理集合)からは、その体系では証明することも否定することもできない新たな命題を幾らでも生み出せるので数学が完成することはない。そして、その命題の真偽を公理として追加すると論理体系が拡張されるということだそうだ。ますますなんじゃそれ!だが、要は「数学は無限の論理体系を導き出す=完全にはならない」のが不完全性定理だ。



言葉が分かりづらいので解説しておくな。

【公理】他の命題から証明できないが、一般的に自明な真理とされ、他の命題を証明する前提になる原理。
例・物質の間には重力が働く。重力そのものが解明されてなくとも一般的な事実。

【定理】公理や定義によって確かめられた推論の基礎になる理論的命題。
例・ある質量の物質同士の間にどのくらい重力が働くか関係を証明したもの。

【命題】1:解決すべく課せられた問題。(これは一般的に使われる時の意味)
           2:1つの判断の内容を言語・記号・式などで表したもの。
例・公理と定理から宇宙の運動は重力に支配されてるという結論。こんな感じだ 笑


『ゲーテルの不完全性定理』が示すのは数理が無限大にあることだ。一方、宇宙は巨大であって始まりも終わりもある有限な世界。幾ら物理法則が複雑に組み合わさっていても、有限個×有限個は膨大な数にはなるが無限大にはならない。なのに円周率ですら無限に続くし素数も無限にある。有限な宇宙には数理の無限が溢れている。

虚無に走る確率波(これ自体が数理だが)がぶつかり公理集合が大波の如く組み上がり、そこから上がる水飛沫の様にポコッとある物理法則・定数を持つ宇宙が生まれる。
ほとんど何も生み出さない宇宙も有れば、複雑で豊穣な宇宙もできる。その宇宙から新たな公理集合が発生し、さらに子宇宙、孫宇宙が生まれる。

言わば、虚無とは不完全性定理の海というような想像をしている。ということで、この宇宙以外の他の宇宙も含めた全ての根本の虚無には数理的な存在?があり、物理的な実体がないために物理的制約越え、てこの宇宙でも一部を読み出せる可能性があるのが数学ではないか?また、その根本が実体の宇宙にもある種の影響を及ぼしていると考えている。

だから、観測手段が物理的限界に縛られていても極大や極小の観測から間接的に検証し数理的に解析できる可能性がある。
それに、数理に実体への影響力があるのなら、もしかしたら何らかの数理的構造を作ることで物理的限界の突破(光の速度やタイムパラドックスなど)も可能なのかもしれない。或いは、他の宇宙や虚無への直接的アクセスの可能性もね。

色々と興味が尽きないわけだ、またな。笑

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