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『恩人』




FUJIです。




2連チャンで過去の話をして申し訳ありませんが、昨晩急展開をむかえた事があるのでこんな話をさせて下さい。




僕には人生のキーマンになっている恩人と呼べる先生が2人います。




1人は高校の時に所属していたハンドボール部の監督。




時には厳しく、時には更に厳しくご指導(鉄拳制裁)頂いた監督。




僕が練習試合中シュートを決めた時。




監督が




「藤原こっちに来い!!」




とベンチから呼んでくれたのでナイスシュート!!っと褒めてもらえるのかと思い駆け寄っていったら監督もこっちに走ってきて




助走有りでビンタ撃たれました。




あの時は予想外の出来事過ぎて記憶が熊本の澄んだ青空の彼方へと消えていった事を今思い出しました。

※その前に散々キーパーの脇下狙えって監督に言われていたのに無視して股下狙った僕が悪いんです。ちなみにポジションは逆サイドです。




そんな厳しい監督でしたが、、




高校後の進路を「東京に出てバンドで一花咲かせる」と高校入学当時から決めていた僕に担任の先生含め、周りの大人達は全員大反対。




どうせ実らない。時間の無駄。夢見過ぎだ。色々言われました。




今ではその言葉も優しさだったのかなと思えますが、その当時は随分とヤサグレました。




しかし、監督だけは「やりたか事があるなら精一杯東京でやって来い。その代わり偉くはなるなよ?立派になって来い。」と背中を押してくれました。




そんな監督に今でも感謝をしています。




それが恩人の1人。




そしてここからが本題なのですが…




もう1人の恩人。




前回の記録でも話した小6の演奏会で僕が演奏したティンパニーを褒めてくれた担任の先生。




その先生は当時まだ20代の新米女性教師。




しかし男性教師顔負けの負けん気の強さからか凄いオラオラ系で僕も幾度となく叱られた。




そんな普段は叱られてばかりの先生に




「ふっちゃんリズム感あるけんドラムやってみなっせ!」




と突然言われた。




先生の言葉に気分を良くした小6の僕は、ドラムなんかやった事もないのに絵の道に進みたいという夢をそっちのけでこの様な夢を卒業アルバムにて掲げます。

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名字の漢字が歪なのはさて置き、齢12にしてすぐ金儲けに考えを巡らせるあたり純朴さのカケラもない藤原。




そんなごんたくれも無事に小学校を卒業。晴れて春から中学生という時。




実はその先生は僕らが卒業すると同時にご結婚されて教師を退職されてしまいました。




その後、同級生の誰に聞いても行方もわからないし、連絡先も知らない。




同窓会を開こうにもどこにいるかもわからない状況でした。




「先生の言葉のおかげで今でも小6の時に掲げた夢を追ってバンドをやっています!!」




それを伝えるすべはなく月日は経ち早22年。




いつかお礼が言いたい。




あんなに先生に手を焼かせたけど。




僕今、夢に向かって走っています。




いつも心のどこか片隅にそんな気持ちがありました。




そして…




事態は急展開をむかえました。




昨晩。




なんとずっと行方不明だったその先生がケンタくんとコウシンくんの地元・天草の某所に結婚を機に転勤し、3人の子供を産んだのちに教師に返り咲いて、今でも教壇に立っているという情報が僕の耳に飛び込んできた。




この機会を逃したら一生連絡を取ることは出来ないかもしれない。




一生あの時のお礼が言えないかもしれない。




そう思い、あの手この手を使い…




なんと先生と連絡を取る事ができました。




僕は喜びで震えました。




「先生ご無沙汰しています!藤原です!」




すると先生は




「ご無沙汰しています。いつも活躍は見ていますよ。陰ながら応援しています!」




先生はちゃんと見てくれていた。




目頭が熱くなる。




そして先生は僕にこう言った。








「確か藤原くんは隣のクラスでしたよね?」





先生は僕の事全然覚えていなかった。




…また更新します。





p.s
卒業文集出てきたので載せておきます。暇な方は見てみて下さい。

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