結構というか、だいぶネットストーカー気質があるので、暇なときに友達の名前を検索してなんか面白いものが出てこないか探している人生です。

何かしらしている友達が多いから、活動名を入れれば案外あれもこれも出てきて、情報化社会すごいなと思っている(そしてみんな過去のそういうものを放置しているから簡単に見つかる。ぜひ気をつけて欲しい)。

今日は友達の昔々のブログを見つけて、そういえば私ブログ全然動かしてないやん…と思って戻ってきた次第。最近はpixivファンBOXばかり動かしていた。ブログもpixivに統合した方がいい気もしているけど、LINEブログって文章書くのにめちゃくちゃ楽なのよなと思っている。長いこと活動を続けてきて最近気づいたことは、扱いやすいコンテンツは長続きするということだ。



書こうと思い立ったはいいものの、何を書こうかな…、とりあえずトピックス?を箇条書きにしてみる。

同居人と別居した
猫を飼い始めた
仕事が変わった
歳をとった
今お腹の上で寝てる猫がしゃっくりを始めた
12月に個展をやる(予定)

こんな感じ。多分。猫、寝ながらしゃっくりしてるわ。かわいいね。

特に言及したいほどのトピックスもないな…
最近…最近どころかだいぶ前からだけど、欲とか熱とかないことが悩みになっている。いや、もうないから悩みですらないかも…悩みがない悩み…

猫めっちゃいびきかいとるわ…なんかプピプピしてる。鼻詰まってる??

この前友達と、「問題提起が存在しないと何かを作るに至らないのかも…」という議論をした。そいつは一年くらい活動休止をしていて、制作に打ち込んでいるけど、昔の熱さみたいなのがなくなったと。別の友だちも似たようなこと言ってたなと思いつつ、表現者というのは遅かれ早かれ一定の歳を経ると同じような課題にぶつかるのかもしれない。

なんというか、(例外はあると思う)若い時の創作のエネルギーの大半が”怒り”だった人は特にそうなのだろうと思う。世の不条理とか情けなさとか、自分にでも相手にでも。

なんかもう少し書こうと思ってたけど眠くなってきたのでやめとく。また今度。

結論だけ置いておくと、創作エネルギーが怒りだった人がそれを過去に置いて、また何か別のエネルギーから作り出したものが私は多分とても愛おしくてだいすきになるだろうなと思っている。あー眠い。猫とねます。おやすみ屋さん。今日もしごとだわい。






高校一年生の時にじーちゃんが死んだ。

入学祝いだか、誕生日だかと言って、ご飯屋さんに連れてってもらったのが最後の外食だった。

今でも覚えている。

部活終わり、お母さんから携帯に連絡が来てた。


「通りの店でじーちゃんとお兄ちゃんとご飯食べてるから部活終わったらきて。」


高校からお店まではさして遠くない。
まだちょっと着心地の悪い制服とジメッとしたような、少し肌寒いような気温の中を自転車で走り抜けた。

じーちゃんと会うのは久しぶりだったから結構楽しみだった。


じーちゃんはあまり口数が多い方じゃなかった。孫と話すのが得意じゃなかったのかもしれない。

私は昔はじーちゃんが怖くて、ばーちゃんの後ろにひっついていた気がする。

ばーちゃんは小学生の時に認知症が進行して私のことは忘れた。

数年たって、じーちゃんのことも忘れた。
自分のことも食事の取り方もわからなくなった。



じーちゃんは社長だった。田舎の建設会社の2代目。
1代目のひいじーちゃんを私は知らないけど、なんかすごい人だったらしい。
金は残さないと言って、死ぬ前に自分の貯金はほとんど使ってしまったらしい。
たとえ血が繋がっていても、甘やかす気は無いということなのだろうかとも思うし、ただ単にそういう人だったのかなとも思う。

じーちゃんは息子と娘にお金を残してった。
じーちゃんは情に熱い人だったんだろうと、私は思っている。
優しい人だったんだろうと、思う。
何だかんだ、情を持った人には甘い人だった。
と孫の私は思う。



話を戻す。



店に着くと、入って右側の座敷にいた。

「しおりここに座れ」

と、じーちゃんは自分の右隣の席をポンポンと叩いた。


じーちゃんはだいぶ出来上がっていた。こんなに酔ってるじーちゃん見るの久々だなぁと思った。

なんの話をしたのかは、詳しく覚えてない。

ただひとつだけ、



「しおり、いいか、

あのな、すごいやつになんかな、なんなくてもいいんだ。

社会の歯車だの、なんだの、悪いみたいにいうけど、それがないとな、みんな困るんだ。

無駄な人なんていない。

歯車だってな、ちゃんと動かないと、、

無駄な仕事なんてどこにもないんだ。

誠実に生きろ。
仕事もらったらな、ちゃんとやるんだ。

だれかを助けられるときは、助けるんだ。

そしたら、しおりが大変な時にきっと助けてくれる。

あとな、感謝を忘れるな。

絶対だ。

感謝できないやつは、


だめだ。」



じーちゃんは目の周りを赤くしながらそんなことをいった。

それなりにぶいぶい言わせてた社長が言う言葉とは思えなかった。

天下取れとか蹴落とせとでもいうのかと思ったけど、そんなことはかけらもいわなかった。


ただ誠実に、
助けてもらった人に恩を返せるように生きろと、言われた。


「わかったよ、じーちゃん」

と私は言った。
16年しか生きてない当時の私は、
これはきっと忘れちゃいけない言葉なのかもしれんなと思った。





その3ヶ月後、じーちゃんは病院で死んだ。

ものすごい数の人が来るお葬式だった。じーちゃん家の前と通りに、開店祝いで飾られるようなでっかい花飾りが何個も立った。
いろんな会社の名前と、いろんな人の名前が書いてあった。

その人のすごさがわかるのは死んでからというのは、なんかうなづけた。
ひいじーちゃんのときはもっとすごかったぞと父が言っていた。

葬式が終わった日の夜、布団の中でじーちゃんとの最後の外食を思い出していた。
じーちゃんが伝えたかったことをちゃんと理解できるまで、私はまだまだかかるんだろうなと思った。

じーちゃん、まじですごいやつだったな。私が知らないこと、山ほどあるんだろうけど、
少なくとも、外孫の私にとっては人生において尊敬する人物の1人として神々しくそびえ立っている。

私が少しでも有名になるまで、生きてて欲しかったなと、ふと思い出して寂しくなる。


なあ、じーちゃん。

割と、頑張ってるよ。
もしかしたら、あなたが思ってた形ではないかもしれないけど。

ちゃんと生きてるよ。



2021.3.8 記


2月の真ん中、7つ歳上の従兄弟が自殺した。
結局は他人事であったらしい自殺という文字が急に現実になった。

その日はバイトをしていて、お父から従兄弟の訃報が届いた後のことはあんまり覚えてない。

一番信頼している先輩にだけ伝えた。
キツいだろうから早退していいと言われたけど、1人になるのが怖くてそのまま定時まで普通に仕事をした。

忙しくしていれば、いつもを生きていれば、私は大丈夫だと思った。悲しい時は大体そうしてきた。



従兄弟とは、2年前、ばーちゃんの葬式で会ったきり。
ばーちゃんの葬式の後、うちの家族と彼で裏庭の筍を掘った。

春だからって。
葬式の後に筍掘りする人らなんて俺らだけだって、真っ黒な服でゲラゲラ笑いながら。

じーちゃんもばーちゃんも死んだこと、ちゃんと思い出にしようとみんな躍起になっていたのかも知れない。

従兄弟はスコップを地面に当てて、地元を愛する言葉で、他愛のないことを話していた。




ばーちゃんはもうずっと寝たきりで、記憶なんてとうの昔に全部すっ飛んでいて、悲しいことよりも、もう、お疲れ様の方が大きかった。

葬式の終わりにお母さんがばーちゃんの棺桶にへばりついてわんわん泣いていた。

忘れられても、忘れることはない。

私は少し遠くでそれを眺めていた。
お姉ちゃんも私の横で突っ立っていた。

親戚のおばちゃんに、「お母さんを支えてあげてね」と言われたけど、支えるほどの力なんてないよと思った。

ずっと閉めていた栓が崩壊したように取り乱す母の姿は、少しだけ怖くて、私たちはどうしようもなかった。
いつか自分の番が回ってくると思うと、心底怖かった。
死ぬことよりも、残される方が怖かった。




従兄弟の葬式には行かなかった。
怖くて行けなかった。
認められなかった。
死体なんて見たくなかった。
あのとき、じーちゃんの葬式のときも、ばーちゃんの葬式のときも、きっと「残されるのは嫌だ」って、私とおんなじこと思ってたはずなのに、私を置いて勝手に死にやがった。私は彼に言いたいことが山ほどあった。怒っていた。

遺体の彼は、彼だけど、もう彼じゃないから、会ってもしようがないかもなぁってお父が言っていた。本当に、私もそう思うよ。

従兄弟の両親にも、彼の兄たちにも会いたくなかった。自分の悲しみに触れるのも、他人の後悔に触れるのも耐えられないと思った。

私も姉も「コロナだから」と言った。
皆、「そうだな」と言った。

今思えば、ちゃんと葬式に出るべきだったかも知れない。私の中で彼の人生はまだ終わってなくて、あの家に行けば彼が七部丈に切り離したボロボロのジャージと洗濯のしすぎで色落ちしたパーカーを着て出てきてくれると腹の底で思ってしまっている。

「おお、しおりきたかぁ。おめぇ、また肥えたなぁ。」って。
まだ声もちゃんと思い出せる。




従兄弟の話をしたいけど、大事すぎてあんまり話せない。

うまく話す自信がない。

知的障害者の兄を持つ私は、普通のお兄ちゃんが欲しかった。従兄弟の彼はこの世で唯一、私の求める普通のお兄ちゃんそのものだった。
私の実家から車で2時間かかる福島のど田舎に住む彼は、長期休みにだけ会える特別なお兄ちゃんだった。
兄と姉と私、喧嘩と怒鳴り合いばかりの大嫌いな3人兄妹が、その時だけは大好きな4人兄妹になれた。
幼少期の楽しかった思い出の大半に彼は居た。
家族みんな、よく笑う面倒見のいい彼が好きだった。
大事だった。




私たちはどんどん大人になって、昔とは全然違う生活をしている。
兄妹との関係も多少なりは変化した。

私は望んで田舎町を出て、私は望んで生きる場所を変えた。

景色は田舎道からビル街へ。憧れの街は、ただの生活圏内になった。

それが当たり前で、それが当たり前で、それが当たり前で、それが当たり前なのだ。

でもそれが何故かすごく辛かった。

呼ばれた気がして振り向いたときにはもう全然戻れない場所が思いの外増えていた。変わらない場所なんてどこにもなかった。




もちろん、絶対、どう考えても「今」も手放し難いほど大事だ。
好きな人と住んで、好きな人たちと会える。
めんどくさい話を聞いてくれる友達もできた。
絵だってうまくなった。
他人の評価がついた。
タワレコに描いた絵が並んだ。
個展に人が来た。
お金にもなった。
だけど現実を放り出して思い出を数えるくらいには「昔」がどうしようもなく愛しい。
この街で生きる私が、まるで他人の人生に思えてくる。
他人の人生だったらよかったのにと、思ってしまうことすらある。




私は過去から「逃げて」
彼は過去から「逃げなかった」
彼は過去に留まることを選んだ。

多分、たったそれだけ。

人生の大半をじーちゃんとばーちゃんと過ごした彼は、大事な人が居なくなった悲しみに耐えられなかったのかも知れない。
もしかしたら、彼は自分を終わらせて、過去に戻ろうとしたのかも知れない。
それよりもっともっと、私の知らない何かのためかもしれない。
病気からくる突発的なもので、彼の意思とは無関係に行われたものかもしれない。
だけどどれもこれもただの推測で本当のことはわからない。
せめてそうであったなら、私が想像出来ることの範疇ならば、まだ少しだけ納得ができる気がしている。



こんなに長く綴ったけど、結局

私は従兄弟が死んでしまってずっと気持ちの整理が全然つかなくて、生活の隙間ができると悲しくて現実から頭が放り投げられて、何を描こうとしても記憶に全部持ってかれて、彼が生きてた過去に戻りたくて、でもそんなことできるわけもなくて、どうにかこうにか折り合いをつけようとして、もうこの作品を作ったら悲しむのもちゃんと終わりにしようと決めた。
だから画面の中に思い出と感情をたくさん詰めた。

(ドイツオレンジの「飛空艇ソング」のMVの雰囲気が私が従兄弟と遊んでた時代の風景と空気にすごく似ていて、初めて観て聴いた時すぐに従兄弟を思い出したから感情のメモとして入れさせてもらった)

テレビの電気が消えて、ゲームの画面が切れたら、もう彼と私のお話は終わり。

自分の気持ちに折り合いつけるのに、他人の作ったものを借りるのはどうなのだろうかと思ったのだけど、それこそ「彼を全然知らない私の今の友達たち」に肩を貸してもらいたかった。

勝手に曲を使ったのに文句も言わず観てくれたそれでも世界が続くならの3人と、ドラムを叩いてくれたうとちゃん。

私が勝手に作ったものを世に出させてくれた時乗さん。

勝手に肩借りてごめんなさい。
そんで、ありがとう。

実態のないやるせない気持ちが、この人たちのおかげで作品として形になった。この気持ちを作品に残すなら絶対この曲じゃなきゃだめだった。
これでちゃんと私から手離せる。




これは私の備忘録です。


彼がいたことも、彼がもういなくなったことも、ちゃんとここに残して、もう悲しいは終わりにします。
私のための葬式です。




願った今日じゃなくても
私は私を生きます。



こうやって生きるしかないって、とうの昔から私は知ってるんです。
ずっとこうやって、悩んで、嬉しいも悲しいもやるせないもどうすればいいかわからないも、全部の吐け口みたいに物を作って、すぐに容量がいっぱいになってしまう心から手離すために現実に可視化して、生きてきたんです。
死ぬまでずっとこのままです。めんどくさい生き物ですよね。わかってるんです。


私、あの日より全然絵が上手くなってしまった。

地元の新聞のお悔やみ欄に彼の名前が載っていて、そういえば名前こんな漢字だったなと思った。春生まれだったっけ。それすら知らないな。いつでも聞けると思ってたから、覚えてないわ。

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2021.3.10 追記

この作品が出来て、私の気持ちが少し落ち着いた頃、東京で出来た友人の訃報が届きました。
私は遺族じゃないので詳しい死因は分かりません。
もう彼に会えないということと、もう彼の新しい作品は生み出されないということだけは分かりました。

生きてたら、ずっとこんなことが続くのかなと思って…結構嫌ですけど。もう少しだけ、出来るだけゆっくりして、日常に戻ろうと思います。立ち止まってても生きてる限り、時間は続くので。
あなたもどうかゆっくり休んでください。
私の周りには優しい人が沢山いるし、みんなまだ生きていてくれるみたいなんで、もう大丈夫です。どうかお元気で。また真面目に不真面目な話して、ゲラゲラ笑おうね。

あと、友達に向けてなのですけど、悲しいことあったら、ほんと全然迷惑じゃないんでちゃんと言ってください。
「死にたい」って言葉を吐かれても、「止めろよ」っていわないから。だからせめて、教えてください。
それだけ、約束です。

それでも世界が続くなら
「猫と飛行機」 music video

作詞・作曲 篠塚将行
Animation 目黒しおり



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