魂の重さは21gらしい
春が来て夏が来て秋になり日本の大阪という湿度の多いところで はあ秋だわはあ暑いわとか思ってる はあまた雨だわ はあやっと晴れたわ やっとお洗濯だわ 思いきやまた雨だわ 自転車なのにやだわ

通りひとつ変わるだけの引越しで
窓から聞こえてくる車の音が全然違う 救急車がたった今も停まって この部屋の方がよほど静か
なにも生活が整っていかない 日々に追われまくりなのは嬉しいことで 窒息するほど有り難いことだ。私にとって音楽は空気みたいなもんだろうか。空気を吸いまくって窒息することなんかあるだろうか。や、私にとって音楽は空気みたいなもんではない。彩りであったり栄養であったりに近い。ないとさみしいしあればすごくすてきなんだ。

25歳から26歳になった。年々大人になっていく。いい大人の人が「いつか大人になったら」って話すのがすきだ。どうでもいいことたくさん、どうでもいいことたくさんあるけど私は、自分で思ってるよりよっぽど神経質で楽観的。よっぽどわがままで繊細。よっぽど気つかいでプライド高く。人が好きで一人が好き。そんなこと思う。なんだってプラスアルファくらいのきもちで受け止めて、やったね、うれしーね、こんなことできるねってやっていきたいんだけど、それがマストになればなるほど、おなじことだって窮屈になる。
本来仕事とは窮屈なものかもしれないけど、音楽は窮屈なものであってほしくない。正真正銘わたしにとって音楽は仕事なんだけど、それだけじゃない。それでごはんたべてるんだけど、それだけじゃないんだ。ぜんぜん。

人にわざわざ説明したくないことが増えた。
誰にだってこれが解るなんて思ってない。誰にもわかんないとも、思ってないよ。ただタイミングとか巡り合わせとか、そういうものの中でわたしは生かされているだけだ。そこに自分がほんとうに、自らの意思で選んできたものってどれくらいあるんだろう。
いつも選ばされてきている。やな意味じゃない、前向きに選ばされている。何かわからないちからに。わたしにはこんなことできるんだよ、って思いながら生きてきたことなんかない。これしかできないのだ。少なくとも今は。これしかできないから、それをやってきたのみ。いつだって、そうするしかないのだ。でもそれが、意外と得策だったのかもしれない。わからない。

根性のないやつがきらい。優しくないひともきらい。優しくて根性のある人がいい。そんな大人に私はなりたい。いつまでも子供なのはいやだ。そんなずるいこと、大人になったらまかりとおらないのだ。みんなそれぞれ、なにかしら背負ってる。そんなの年々重くなる。弱さだって持ってる。いつまでも逃げちゃだめだ。弱いとこに気づいて、落胆して、受け止めて、やっと大人になれるのかもしれない。鈍くなるわけじゃなくて、ひとつひとつ確認せずとも 信じていられるようになるのが、大人になることなら 大人も悪いもんじゃない。いつまでも不安だ、不安だって唱えていられないから。だから、そのつど音楽が生まれて そこに挟まっていくのか。なぜなら歌だったら、そんな思いすらも救われるから。


心と体は繋がってるのかもしれない。こんな季節にはそゆこと思う。移ろいゆく季節に置いていかれそうで、心はさみしがってるのかもしれない。音楽を聴いて自分ひとりが、ひとりだってこと気づけば、自分にできることまた考えられる。大切な人のこと思い直せる、かもしれない。もともとひとりぶんの体に、ひとりなんだから。ひとりぶんの感性。1年経って、ひとつ年をとって、来年のわたしがどんなこと考えてるかすら、想像つかないからね。
新しいシングルを作って 新しい曲を作って 新しいライブを考えて 届けていくからね。
消えてしまいそうな思い出に
コントラストの強い赤と、黒で、紺色の夜に、忘れたいこと、ぜんぶキラキラしたものにして、ぜったい忘れないんだ。時が経って、いつのまにか。すべてが大切な思い出に変わるんだ。夢みたいに実感のない、現実みのない思い出を、もはや夢でも 現実でもどっちでもいいから ぐにゃぐにゃの 二度とさわれない感触を 音楽に変えて さみしくてやりきれないかもって思うような夜のこと 忘れたくても絶対、忘れないでいようと思う。それがなにより ロマンチックで 恥ずかしいことだと思うから。いつか死ぬ時、どうせなくなっちゃうんだから。