お母さんとほんのすこし離れただけで すがたがほんのすこしみえないだけで おばあちゃんちに泊まっただけで はぐれただけで そこに今いないだけで 子供の頃は泣いていた
ちーさいこどもは ほんのそれだけのことで泣くのだ
大人になったらどーして泣かなくて済むのかというと 理解するから?なのか。
わたしはなんか、理解できれば ダイジョーブと思ってるふしがあるけど 
説明すれば、わかると思ってるふしがあるけど もしかしたらそんなことはないのかも、しれないなあ
理解できればどーして泣かなくて済むのか
ただなんとなくさみしい ただなんとなくうれしー ただなんとなく不安ってそれだけで ぼーっと泣いたりわんわん泣いたり することがあるのは 大人だったらおかしいんだろーか たったひとりで泣くことくらい べっつにそれくらい許されるんではなかろーか。
泣いて何かが変わったりするなんてまったくもって、おもってないんだけども、涙がどーしても流れる時は そーゆう時はそーゆうときで 生きてたら しあわせやふしあわせではなく あるんやなかろーか、と思う。生きてれば。

わたしはどうやら親戚がおおい。
最近気づいてきた。どうやら。
あんまりおおいのでこんど似顔絵つきで家系図?を描いてみよーと思う。べつにどこにも公開しないけども たぶんなんとなくおもしろそうだなと思った。


久留米街かど音楽祭にて、1年ぶりに歌ってきました。2ステージも。
雨雨雨の予報から、バッチリ晴れたことも、たくさんの久留米のみなさんや、久留米以外のとこからも、久留米に、会場に足を運んでくださってたこと、
みなさんでたくさん歌ってくれたこととか、
みなさんほんとにいいかおだったこと、
イベントを作る久留米のみなさんも、ほんとに一生懸命で、すてきな光景にたくさん出会わせてもらいました。それだけでも、本当にすごーいすてきな1日でした。だったんだけど、
きょうは、親戚の中でも2番めにちっちゃい7才のひなちゃん 多分会うのはほんとに赤ちゃんのときから4回目くらいだと思う。
今日はわたしに手紙を書いて来てくれていて、かわいーく渡してくれて、あたらしいかぞくの仔猫を 家族みんなで見せに来てくれて、私にねこ抱っこさせてくれて、
せっかくなんでとみんなで写真を撮り始めたら、ひなちゃん突如として大号泣を始めて、
みんながみんな、私に猫をとられると思って泣いたのかと思い、「猫はまりえちゃん持って帰らないよ」と言い、
わたしも必死に「ねこは私持って帰らないよ!」と誤解を解こうとしたんだけど、まだまださらに大号泣 おさまらず。まさに子供のばく泣きを、していた。
もう7才の けっこうおっきくなったひなちゃんを、ぎゅーっと抱っこして話してるママによると 猫のことじゃないって。まりえに会えて嬉しかったげな。と。まじか
まじか




わたしもなんとゆうか、
もうわけわからず、ぱにくったね。なんかもう 、ぜんぜん耐えられなかったね。ほんとに???わけがわからない なんでそれで、どうしてなんでそんなに泣いてるの??と思いながら、今も思い出すと、もうなんかだめである。
嬉しくてわんわん泣きする子供を、わたしは初めて見た。しかもまさか自分のことだった。
もらったお手紙も読んでみたけど、もう、こちらも素晴らしすぎてー、もーわけが、わからない 家宝になった
わたしはもう…なんというか、がんばろうと思ったね もっともっと がんばろうと思ったね。とにかくもっと、もっとがんばろうと思いました。
またがんばって、帰ってくるねとも、思うし、
なんにせよとにかく、わたしは、これからもがんばるのだ。

「好き」とか 「いい」とか、 「がんばってね」とかというのは
何がどうしてそんな風に思うのか ましてや7才のひなちゃんが、私のことや、「彼に守ってほしいじゅうのこと」をどうしてすきと言ってくれるのか、わたしにはほんとうにぜんぜん わからない。でもなんか だから、がんばろうと思いました。
そういえば、日頃からずっと応援してくれる人たちも、わたしの歌を好きと言ってくれる人たちも、その人たちみんながなんで、どーしてそうしてくれるのか?考えてみれば、わたしにはぜんぜんわかりませんでした。ほんとにふしぎで、うれしすぎることです。


そんなことを思った今日でした。はっとしました。



そしてここまで書いて、たいへん。UTAUTAUツアーもすっかりおわったのに、そのことをまず振り返っていなかった。
ひとまず。そちらもまた書きます。
どうもありがとうございます。