日頃から植田真梨恵を応援してくださるみなさんに、とても寂しいお知らせがあります。
私が15才の頃より、私と生活を密着して過ごしてきてくれた、猫のララさんが、3月29日21時頃、お空へ旅立ちました。
2006年5月頃に私のもとに来て、その頃おそらく生後2ヵ月の子猫だったので、13歳でした。
1人暮らしの、まだ15才の私に、猫と暮らす資格なんてないと思っていました。
しかし、縁あって、久留米の貰い手の見つからない猫がいるということから、私のもとに巡ってきたララさんと、生活が始まりました。不安だったけど、とても嬉しい出来事でした。
右も左もわからない大阪の地で、ワンルームで、小さな小さなララさんと、1人と1匹の生活でした。誰よりもそばで、どんなつらいことも、普通の日常も、一緒に見ていてくれた存在でした。
去年あたりから足腰が弱って歩くのがままならなくなったり、病院に通って持ち直したりでした。日常生活を送れるようになってごはんもたくさん食べられるようになっていたので、この調子で少しでも長く、一緒に、ララにとって嬉しくて、美味しくて、幸せな時間が過ごせるといいなと、思いながらの日々でした。
いつもソファで眠っていることがとても多くなりました。
10日ほど前から本格的に調子が悪くなり、口を開けたまま呼吸をすることが時折見られました。
病院の診断では肥大性心筋症といって、心不全の一種でした。
心臓のまわりの筋肉が大きくなってしまい、その分心臓を圧迫して、ポンプするちからが弱まってしまい、
体の中に血液がうまく循環しなくなり、胸にお水がたまってしまう病気でした。ララさんはもともとの半分ほどの呼吸しかできなくなり、それで口を開けて呼吸している状態で、とても苦しかったと思います。
ららちゃんの心臓はもうくたくたになっていますと、先生はおっしゃいました。
病院でお水を抜いてもらって、帰宅するとまたたくさんごはんを食べて、ぐっすり一緒に眠りました。次の日、ベランダに出たがり、太陽の下で2時間もじっとひなたぼっこして過ごしました。太陽が体を元気にしてくれることを本能で知っていて、なんて賢い生き物なんだろうなと思いました。
この先長くはないかもしれないけど、病院に通いながら、とにかく良さそうなことは全てやっていこうと思いながら。なるべく日常的なままで、安心しておうちで穏やかに過ごせるようにと、先生も言ってくださいました。
少し落ち着いたかなという頃、そこからまた容態が急変し、28日の夜突然、歩けなくなってしまいました。
自宅に借りた酸素室の中で、ららのことを見てくれたり、好いてくれてた人たちが会いに来て、家族の中で、最後は私の腕の中で、息を引き取りました。
そんな風に最後を過ごす時間も奇跡でした。
ララさんがそれを待って、がんばってくれていたように感じました。
苦しそうで、酸素室からなかなか出してあげられなくて、最後に抱き上げたとき私の手をぎゅうっと抱きしめるようにして、眠りました。
最後の最後まで、すごくすごく頑張ってくれていたので、ララが少しでも苦しまないといいなという気持ちが、どんどん大きくなっていました。
ララはずっと、私の心配をしてくれていたように思います。
とても優しい猫でした。
softlyという曲で、やっとララの曲をちゃんと書くことができたと思えたんですが、思えば、どんな曲が生まれたときにも、ララの存在が近くにあって、歌ってみればどの曲にもララさんがいました。
周りに誰もいなかったときから私のそばで暮らしてくれたララさんは、もう私の一部のような存在です。
そんなララさんなので、みなさんにもたくさん愛していただきました。
新しいアルバムの中にもララの日常の声が入って、その前からDVDにも出演していて、ラインライブでもみなさんに愛されて、サンリオさんのキャラクターしにものぐるいでは、私の頭の上にララがいます。こんなに嬉しいことはないと思います。しにものぐるいで最後生きたららちゃんでした。
ららのためにちゅーるとか、ごはんとか、差し入れをくださった方たちも大勢いて、いっぱい、みなさんにかわいがって頂いて、本当にありがとうございます。
命ある限り、いつかは亡くなってしまう日が来ることはわかっていたんだけど、みなさんにこれをお伝えするのがどんなにつらいことになるとは、考えが至りませんでした。
3月31日、ららさんを火葬して、今お骨になってこの部屋にいます。
桜の木の上までららさんの煙が上がって、いっぱいの風になって私の体に染み込みました。
若かった私にもっと生活する力があって、もっともっと小さい頃からララさんによいことをしてあげられたらと、当時の至らなさを思います。ララさんに最後めいっぱい苦しまないようにできたのは、みなさんが私を応援してくださっての、今があるからだと思います。ありがとうございます。
どんな風にお伝えすればいいか、今もずっと迷いながらこれを書いていますが、
3/30のステージで泣きながら歌を歌ってしまって、みなさんにとても心配をおかけしてしまったので、とにかく、ちゃんとお伝えしたいと思いました。
しっかり歌ってからご報告するつもりいっぱいでいたんですが、もう全然涙が止まらなくて、ごめんなさい。
ステージでは「昨日悲しいことがあって」と言ってしまいましたが、悲しいことというよりは、とても寂しい事でした。
死んでしまって悲しいというより、死そのものはとても不思議な感じで、私の腕の中でひとつの命が終わるところ、ずっと私と同じ時間を生きてくれたことが、本当に不思議な感覚でした。もうふわふわの毛がさわれないこと、ぐるぐる言って一緒に眠れないこと、朝起きてご飯食べるららを見れないこと、もう会えないということがとってもさみしくて、日常の中にららの姿がないことが、大きな違和感です。
日頃は穏やかなのに、嫌なことをされるとワッと怒る子でした。毛玉ができてしまって処理するときとか、病院で痛いことがあるとものすごく怒るけど、ふだんは我慢強くものしずかな、とても優しい猫でした。
季節がまたこうして変わる中で、これからもららさんは私の中にいるんだなと思います。
生きている時から、なんだか猫というよりは概念に近いなと思っていました。ららさんがつよくやさしく生きた姿を見て、わたしも、そんな風に生きたいと思いました。
まっすぐなまっすぐな愛をずーーっとくれて、ららちゃんありがとう。
これからもいっぱい歌っていくから、心配しないで、安心してていいよ。そんな気持ちです。
長くなってしまいました。
私を応援してくださるみなさんにも、つらいお知らせになってしまいました。読んでくださって、ありがとうございました。
これからも大切に日々を歌っていこうと思います。
心からの感謝をこめて。