おいしいところだけを齧られた苺がシンクのグラスの中で浮かんでいます。それでもその姿はまだ可愛らしく、赤いのが私を元気付けてくれるような後ろ姿です。正しく美しい映画を観て、正しく美しい間中胸が高鳴り、結末に全てを汚されてただひっそりと寂しく、心がひとりで同じところを歩いています。私は迷子で、散らかった部屋もようやく片付け、太陽の光を浴びて外を出歩いても、私はずっと迷子で、どの道を歩くべきかいまだにわからず、それは歩くべきかというよりは、歩きたいのかわからずに。
去年の春からずっと、「次の春がきたら、」と話していた春が訪れました。昨日からおとといに。クローゼットの中を全て整理しても、整理しきれない物が溢れて、少しだけ捨てて、冬の間寝心地のよかったあたたかいベッドのあたたかさが、ただあついになって、心地悪くなって、外は雨が降り出して、大きな窓硝子の部屋で、外にぼんやり夜じゅう光る別の家の光を受けて、わたしは誰にどんな言葉を届けたいのか考えています。
自分一人の事で頭も心もいっぱいだなんて、寂しくて贅沢です。世界平和を祈っている人もいるというのに。だけど誰も、勝手にちゃんと幸せに向かって歩いていくので、それは寂しいことではないし、真当な事なのです。だから私は、ちっぽけな私ひとり分、ただ一言、本当に思った気持ちを、本当に伝えたい人に伝えたいということがどうしても出来ずに、波風立てないよう暮らすには、笑顔で、優しい、太陽のような心を持って人と接すべきなのですが、私の心には雨も降れば、曇り空にもなり、もちろん気持ちいい春の陽気もあるのです。これをどうして、伝えていたい人に伝えてはいけないのでしょうか。どんなこともスムーズに運ぶべき必要は無いと思うんです。
他人に求めすぎることは、その人を苦しめることになってしまうから、しないようにしたいです。いくら天気が荒れていても、ぶつけようのない怒りをそこら中にふりまいてもいけません。私一人の天気など、誰にも関係がないからです。ただじっとその天気が去るまで耐えて、待って、本当に伝えたかったことを言うべきです。シンクの苺を齧ったのは今朝の私で、苺は私の体の中で元気になりました。私は苺の腐った部分も食べて、それでも私は苺のこと、大好きです。大好きだから、少々腐っても、食べたいんです。