早い地域では、今週の月曜日から遅い地域でも明日から義務教育の学校は新学期です。多くの場合、幼稚園や高校も同じタイミングで2学期が開始ですよね。

「わー、明日から学校楽しいな!」っていう子たちが圧倒的多数である一方で、世の中の統計指標は、非常に残酷な数字も教えてくれます。内閣府の自殺対策白書によれば、18才以下の自殺がもっとも多い時期が、この時期、8月31〜9月2日ぐらいであり、ついで多いのが新学年のシーズンである4月の上旬らしいです。

実際に、ニュースでも、この時期になると「いじめを苦にして自殺」みたいな記事を見かける回数が多くなります。本人もつらいんだろうし、それ以上に親御さんは、そんなことがあったらいたたまれないですよねぇ。自殺未遂はニュースになりませんから、潜在的にはその数倍の問題が置きていると思うと、非常につらく悲しい気持ちになります。

ひとつ、ここで私が言いたいのは、

死ぬほどつらい思いをしてまで学校に行く意味はあるか?

ということです。 

昔のように社会の全体が貧しく、学校給食が子供の栄養源として非常に重要だった時代の話ではありません。飽食の時代、情報氾濫の時代。この時代に、「いじめを苦にして自殺する」ほどの思いをしている子供が学校に行く必要性あるでしょうか。個人的な考えとしては「必要ない」と思っています。 

フリースクールが〜とかインターネットで十分だから〜とかそういうのではありません。死ぬほどつらいなら行かなくていいでしょう。生きていれば楽しいことだっていっぱいありますから。

「勉強をする」ということと「学校に行く」ということは同じことではありません。勉強をすることを拒否すると、その後の人生に大きな影響が出ることは事実ですが、学校(特に実質的に通う学校を選べない義務教育の学校)に行くと言うことが必須であるかと言われれば、必須でない気がします。

学校のこの手の問題は長年、学校の外側から「改善して欲しい」ということが言われているという事実関係があり、そういう運動をされている著名な方も多数いて、中には存じ上げている方もいます。そういう方々から頼まれて、講演などで話をさせていただくこともあります。

学校というところが良くないのは、学校の本来の目的は「社会に出る準備を整える」ことにあります。それであるにもかかわらず学校は「社会との関係を拒絶」しているところがあります。もうちょっときつい言い方をすると「学校というところを1つの社会である」と見立てて、外の社会との関係は教師という窓口を介してしかつながってはいけないとしているのが学校であるようです。

そういうことの典型的な例として、学校内での盗難を警察に届けないとか、いじめというものを警察が「あった」としても学校側が「なかった」と主張するなどのことに現れてしまいます。セクハラ/パワハラなどと一緒で、受けた側が「あった」と言えば、司法の場で判断するというのが一般社会の姿勢であるのに、学校というところは「事実の否定」から入ります。

もちろん、学校というところには立派な良い先生もいるのでしょう。ただ、大学を卒業して1年目から「先生」と呼ばれ、生徒/親と言ったところから「頭を下げられる経験しかないような社会人」がまともな社会人に成長するかと言えば、私は成長しないと思います。正直、今の教師の中に数割程度、「人に頭を下げるのが嫌だから」という理由で教師をしている人がまじっているように思っています。

なんだか、話がまとまらなくなってきましたが、とりあえず、死ぬほど嫌なら学校行かなくいいです。

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