世の中には「才能」ということに依存した仕事とそうでない仕事がある。

まぁ、才能というと後天的にそなわったものも才能なのかも知れないが、ある種、「生まれ持ったもの」みたいな感覚だったりフィーリングだったり、そういうものに依存している社会というのは確かに存在する。

例えばアイドル。生まれつきの容姿端麗だったりすることを求められる。
例えばスポーツ選手。すごく身体が大きいことが必要だったりすると、身長は努力じゃ伸びない。
例えば音楽家。絶対音感というのは後天的にも得とくできると言われているが天性の人もいる。
例えば画家。訓練によって絵が上手になることはあるだろうけど、画家と呼ばれるのは天性の何かがある人だよね。

こんな風に、圧倒的な才能によって支配される職業/社会というのは、間違いなく存在している。

ところで、じゃぁ、才能がないということを嘆くべきかというと、世の中はそういうものでもない。才能とは関係のない職業というものもいっぱいある。

例えば、コンビニでレジを打つのに才能はあまり関係なさそうだ。駅前でティッシュ配ったりするのも才能とは関係ないような気がする。

プログラマーは才能がいる職業なのかどうかというのも意見がわかれるところだと思う。正直、プログラマーという職業は「スーパースターの経済学」に基づいて、すごく裾野が広い。その頂点に君臨するような人や、雲の上側で仕事をする人たちは才能だろう。ただ、現代のプログラマーという職業は、1人で仕事をすることは、ほぼない。数十人、数百人という単位で仕事していることが多いはずで、その中の多くの人は才能と関係なく努力でつける範疇である。

人間というのはとかく「才能がある」と言われたいもののようである。誰しも、特別でありたいのだろうか。


ところで。

僕は、こういうわけかたをすると「才能で仕事をしている側」に分類されているようだ。正直、自分ではあまり、その部分がピンときていないところがあるけど、自分で書くと恥ずかしいけど、そういう言われ方を20年来している。会社の中で仕事をしていて「才能によって仕事をしている」ことを、それ以外の人たちに尊敬されたりする。

でも、それはたまたまエンターテイメントコンテンツの開発の最前線という目立つところにいるからそう思われているだけで、実は、みんなが普通に出来ることが、僕には出来なかったりすることがある。事務の類なんて、ほとんどそうで、会社の中にいると、あまりに事務が出来ないので、まわりが同情してやってくれる(笑) だから、その分、自分の得意な仕事で返したいなと思っている。

アイドルやスポーツ選手のように、1人ですべてをコントロールすることを容認される才能による仕事をする人たちだって、そのまわりにいるマネージャーなどの多くのサポートスタッフがいるからこそ、世間から才能を認められている。

僕が思うのは、世の中の仕事の8割〜9割の仕事は、その仕事に適した才能がないと出来ないだと思う。事務、経理だって、あぁいう仕事を根気強くできるのは、才能だと思う。その一方で、まったくの机上の空論のアイデアをプログラムという形にする才能というのもあって、僕はそっちで商売をしている。

例えば、オフィスや家をきれいに片付けて衛生的に保つことにも才能はいる。毎日、会社の受付で素敵な笑顔で微笑んでいる人も、その笑顔は才能なんじゃないだろうか。コンビニのレジは才能がいらないみたいに書いてしまったが、レジを打つことには才能はいらないだろうけど、みんなにきもちよく会計してもらうには才能がいるんだと思う。

だからこそ、みんな「自分がどんな仕事をやりたいか」ではなく「自分がどんな仕事に向いているか」ということを考えてみた方がいいと思う。

とかく「自分がやりたいことをやるのだ」という論理の人が多い。特に若く、これから仕事をする人にはそういう人が多い。「自分に向いている仕事はどんな仕事だろうか?」と考えて、若い頃にいろんな仕事についてみるのもいいと思う。

どんなにたくさんの仕事があってもつらくない、もっともっと仕事がしたい、そんな風に熱中できる何かを見つけられれば、それがどんな仕事であっても、人はきっと幸せなんじゃないかと思う。


大変まとまりがない。

なんか、ここ最近、会社の中で「この仕事は花形」で、「この仕事は裏方」みたいなわけかたを過剰にされたところがあり、どんな仕事でも、誇りを持って自分の才能を信じてしている仕事は尊いんだよみたいな何かをちょっとブログに書き記しておきたかったのである。

あぁ、まとまらないw
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