先日、あるシンガーと共感覚の話になった。
その人は音を聞くと色や風景が見えてくるらしい。
僕はその感覚もあるんだけど、どちらかと言うと逆のパターンで、何かを見たり感じたりすると音が脳内で再生、構築される感じが多いです。
人と話していたり、人の感情だったり自分の感情からも音になるし、映画を見ていてサントラが流れているのに違う音が脳内再生されることもよくあります。
その再生される音は、基本的には自作のもので、メロディだったり和声だったり、単音だったり音程にないものもあります。 

僕のこれを共感覚というかどうかはわからないけど、それを実際に音にしたら、やはりそういう心象風景や色や映像を表現したものになるわけで、それは所謂「標題音楽」というものだと思います。
それについてはwikiでも見てもらうことにしてその対義語である「絶対音楽」的な音楽の聴き方、感じ方というのを僕は子供の頃から今でも変わらずにしています。

つまり歌詞の意味やイメージではなく、音の列び、響き、そのものが美しい音楽に子供の頃から憧れ続けてきました。
これは歌詞が大事ではないという話ではなく、僕の本質としてそういう音楽の感じ方をしてきたので、紛れもなく自分もそういう音楽に少しでも近づこうと音楽を作り続けているという話です。

そんな感覚のわかりやすい例として、僕が愛してやまない絶対音楽的瞬間を、あまり今まで挙げてこなかったものを中心に思い出せるだけいくつか挙げます。


・Tony Toni Tone  /   Wild Child
1分26秒からの、
E♭△7 | B♭△7 | Am7   Am7/D
という3小節の進行、これをスローな6/8で、このメロディとこの音の積みで聴いたときに「なんと美しい響きなのか」と、大学時代いつもピアノで弾いていた。
ちなみにさかいゆうの「ジャスミン」の大サビ部分でこの進行を引用しています。

映画のためのこの曲の最も有名なバージョンはパーシーフェイスのバージョンなんだけど、それは全然美しいと感じない。
小学生の頃、両親の持っていたレコードで凄い美しい音楽があったな、とスポティファイで探していたらやっとみつけたこのVictor Young And Hits Orchestraのバージョン。
そもそもキーもこっちの方が美しいし、2−5−1のときに入る代理コードとテンションがメロディに対して抜群に美しくて、こういう動きは僕の血肉となって様々な場面で生きている。

・J.S.バッハ / マタイ受難曲

バッハの音楽は全て素晴らしいけど、特に第1部の冒頭からコーラスへの流れ、そして混成4部が二つに別れ8部となりボーイソプラノが加わりこの世のものとは思えないような美しく荘厳な音楽。歌詞があるので標題音楽だけど、僕は言葉がわからないから意味はわからないしただただ音が美しくて中1の頃毎日聴いていた。

・Jim O’Rouke  /  Eureka
冒頭から最後まで素晴らしいけど、特に歌始まりから1分15秒まではこの世の中でも最も美しい音楽の一つだと思います。

・Al Haig Trio  /   HolyLand

枯葉的進行の曲だけど、和声、メロディ、ピアノタッチ、音色、全てが美しいと感じる曲です。

正直なところ冒頭のこのメロディ以外は僕にとってはそんなに重要じゃないのですが、子供の頃この冒頭1分強だけなんどもリピートして聴いていました。

Kanye Westの才能が爆発しているアルバムの冒頭を飾るこの曲。
凡百のプロデューサーならAlbert Jonesのネタにビートを足して、それだけで十分かっこいいものが出来たと満足するところだろう。
しかしKanyeは最高のウッドベースラインになぜこの矩形波のシンセを持ってきたのか、この異質と思えるようなシンセの組み合わせの妙があまりにも美しい。
Cashmere Catのこれも、Kanye以降なのではないかと。

Stevie Wonderにも通じるような1分23秒辺りからのサビのメロディと和声、進行、全てが完璧に美しい。

サビのへ向かうユニゾンのストリングスの緊張感たるや・・・学生の頃衝撃を受けた渡辺善太郎さんのアレンジの一つ。
このメロディにはドラムはこの音色でこのパターンが絶対的正解だし、ギターの音色もフレーズもベースも、木管のラインもミックスも全てが美しい曲。
そして間奏は日本のポップス史上に残るものだと思う。
渡辺善太郎氏によるCHARAの一連のサウンドも最高。

この曲とフランツリストの「愛の夢」は僕の中では同じカテゴリーの究極のエロソング。音楽の官能美。


ざっと思い出せるところ&今まであまり触れてきていないものを挙げました。
他にも無数にあるし、これからもきっと増えていくんだろうな。 




本文と関係ないですが、本日23日(日)は関ジャムにゆずと一緒に出演してますので、良かったらみてやってください。 

今日4月4日はSuperfly10周年ベスト"Love,Peace and Fire"のリリース日です。

出会ったのは11年前くらいだけど仕事としては愛を込めて花束をのレコーディングからだから9年半くらいの付き合いになります。

Superflyとはほんとに苦楽を共に歩んできたなと思います。

改めてこのアルバムを聴いてみると、この歌を僕はいつもレコーディングしてきたんだなと、なんて贅沢な時間だったのかと身にしみて思います。
こんな歌声が生で聴ける時代に同時に生きていて、さらに一緒に音を鳴らせるなんて最高の時間だなと思います。

しばらくお休みしてますが、きっとこの10年積み重ねてきたものをさらに超えていくような、みんなを驚かせるようなことをしてくれるでしょう。

その時が僕は楽しみだし、またSuperflyに圧倒されたいし、またSuperflyと一緒に圧倒的なものを作りたいなと企んでいる日々です。

10周年、おめでとう。 

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今日はデビュー30周年を迎えるエレファントカシマシの「All Time Best Album THE FIGHTING MAN」がリリースされました。
僕はDisc1に収録されている曲のうち6曲プロデュースや作曲で関わらせてもらっています。

今年はさらに4月4日に10周年を迎えるSuperflyのベストと、20周年を迎えるゆずのベストが4月26日に発売されます。
僕はこの3組はかなり近い時期から一緒に仕事をしているので、30、20、10周年を迎えるアーティストたちとこの10年仕事させてもらったことになります。

これだけのアーティストとたくさん仕事できるようになった大きなきっかけはエレファントカシマシです。

エレカシと初めて仕事したのは29歳のときでした。
僕はYUKIさんの作曲で徐々に仕事が来るようになっていた頃で、ある日スタッフの紹介で宮本さんから「涙のテロリスト」と手書きで書いたカセットのデモテープが届きました。
カセットデッキを持っていなかったのでCDに変換してもらったのですが、それは後の「笑顔の未来へ」で、この曲を皮切りにたくさんの曲を一緒にレコーディングしてきたしライブもたくさん一緒にやってきました。

当時からプロデューサー志向だった僕ですが、10歳も上のベテランのバンドをプロデュースするなんてやったこともないし想像もつかなかったのですが、若さの勢いと持ち前の怖いもの知らずもあり、ずけずけと思ったことをそのまま、失礼なことをたくさん言っていたと思います。
その全てを受け入れて、いい作品を作ることだけを一緒に考えて前に進んでくれたエレカシには本当に感謝しかありません。
バンドをプロデュースするということ、ライブまで関わってそのバンドの空気を感じること、こんな場合はどういう行動をすればいいのか?その他色んなことを教えていただきました。

エレカシと過ごしたことで僕の仕事の幅は大きく広がって、時を重ねるにつれありがたいことに忙しい日々が続いていきました。
そして僕は基本的に来た順番に仕事を受けていたので、エレカシのレコーディングやライブに参加できないことも増えていきました。
しかし、僕をここまで忙しくなる音楽人に育ててくれたのはまぎれもなく宮本さんでした。

僕は心底エレカシに惚れ込んでいたし、宮本さんもきっとそう思ってくれていたと思います。
エレカシがもっと輝くには、もっとかっこいい曲にするには、常にそれだけを考えていました。
だからこそ、宮本さんは僕がメンバーになれないことはわかっていたし、僕も同様に永遠にエレカシのメンバーではないことはわかっていました。

2年前の野音終わりのリハで宮本さんが僕と2人になって話す機会を作ってくれました。
この何年もずっと蔦谷さんに頼ってきた、いないときはまるで何人もいなくなったかのように思ってしまうと。
そしてそれは蔦谷さんのこれからにとって、そしてエレファントカシマシとしてもよくないと。
僕らはもう一度バンドとして強くならなきゃいけないし、蔦谷さんはもっと羽ばたいてほしいと。

お互いにでっかくドーンと行くために宮本さんは言ってくれたのです。

僕は宮本さんに振られた形ですが、それを言わせたのは僕です。
エレカシとはあまりにもたくさんの想い出がありすぎて、帰りの車で一人泣いてしまったし、何日も落ち込んでいましたが、決まっていたミスチルとの大阪での対バンのライブがあったので気持ちを切り替えて、自分という人間がどこまで集中してライブに挑めるかという心持ちで一緒に演奏しました。

その日を最後にエレカシのメンバーとは会ってないです。
たしか一回宮本さんから間違い電話がかかってきて話したな。
でも多分すごい近々、別々の仕事で会いそう。
また会える日が楽しみでしょうがないです。

僕を一人前のプロデューサーに育ててくれた、僕というプロデューサーをプロデュースしてくれたのは宮本さんだと思っています。

「俺はお前に負けないが
 お前も俺に負けるなよ」
 


写真は篠山紀信さんに撮ってもらったもので、僕はこれを額装してあります。
 

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