まるで映画を観ているかのごとく
鮮やかな情景が目の前に広がる
そんな本に出会いました。




ギャンブル狂いで借金まみれの
どうしようもない父親と
夫の尻拭いに追われながら
ほとんど女手一つで娘を育て上げた
しっかり者で心配性の母。
大企業の課長職を
突然辞した39歳独身の娘、歩。
どうにも噛み合わなかった歯車が
父と娘に共通する映画への愛を
きっかけに、ゆっくりと動き出す。


題名でお察しのこととは存じますが
こちらの本、全編を通して映画の
お話が沢山出てきます。
そのほとんどが一般的に名画と
呼ばれるものばかりで
映画に明るくない私でも
親しみが持てます。
小説の中で戦うかのように
(いや実際戦っているのですが•••
    このやり取りが実に面白い!)
一つの映画に対して2つの方向から
解釈が書かれているものですから
ほうほう、なるほど。
そういう捉え方もあるのですね。と
大変勉強になりました。

作中で「映画は映画館で観るから良い」
という内容が何度も出てきます。
正直に申し上げますと
私は映画館が得意ではない。
真っ暗で時が止まったような空気に
息が詰まりそうだし
大きなスクリーンがいやに眩しくて
突然の大きな音に飛び上がる。
感動していても周りが気になって
それを表現できないし
飲み物を飲むタイミングにさえ
気を遣う。
一本観た後には疲労困憊であります。

ですがそんな私が
本当にあるならば是非行ってみたいと
心底思える映画館がありました。
キネマの神様に登場する名画座で
戦後まもなくから続くテアトル銀幕。

恥ずかしながら私は名画座なるものを
この本を読むまで知らなかったのですが
調べてみると数は少ないけれど
今でもあるものですね。

テアトル銀幕が物語において
重要な存在であるのは
間違いないのですが
ストーリーとの絡み方が
強く深く、ではなく
ただそっと寄り添うようにそこに在る。
暖かく優しい、ほっとする場所のように
思えてなりません。
ここならば思うがままに
大いに笑い、大いに泣いて
心地よい疲労感を
味わえるのかもしれないなあ。


自分の記憶を辿ってみる。

北上川河口の中洲(中瀬)に在った
老舗の映画館
岡田劇場での「ドラえもん」。
私はまだ幼稚園か
もっと前のことだったかもしれません。
母と姉と一緒だったと思いますが
他にも誰か居たような気もする
そんな曖昧な記憶。
タイトルもストーリーも
覚えていないけれど
劇場のフロントと呼ぶには
失礼ながらあまりにも狭すぎる
歩くとギシギシと音のなる通路で
映画のオマケで貰ったネコ型ロボットの
おもちゃを乗せた自分の小さな手と
足に伝わる床の感触を覚えています。

父と観たのは岡田劇場の近くにあった
別の映画館で、名前は思い出せません。
ディズニー映画の「アラジン」に
連れて行ってもらったのだけれど
始まった映画は字幕版。
なんとまぁ父らしいことこの上ない。
おそらくそこまでチェックして
いなかったのでしょうね。
当時小学校低学年だった私には
スクリーンに映る文字の中から
簡単な漢字とひらがなだけを抽出して
読む以外に方法がないので
ストーリーが全くわかりませんでした。

でもそれで良いのです。
幼かった私にとって
その時観た映画のストーリーは
取るに足らないことなのです。
覚えていなくたって問題ありません。
重要なのは「一緒に映画を観た」
という事実です。

大人になっても同じこと。
特別な時間を
大切な人たちと共有する。
それが人生において
最上の幸せであると感じさせてくれる
一冊でありました。

なんだか急に
映画館に行きたくなりました。
大切な人と一緒に映画を観たことを
心に刻みたい気分です。
もう大人ですから
ストーリーも添えて。


ひなた