どーも!秋野です🧟♂️
あっという間に9月も終わりそうです。そして今年のATCもアルバム制覇が見えて!?きました。そんな僕はというと12回目のコピペです。
鶴の全ての曲から何が演奏されるか分からない、お楽しみ会のような今年のALL TIME CLASSICSです。
初めは不定期でいきなり開催されるイベントでしたが、次第に形を変え全国47都道府県ツアー3周目では全公演がATCになり、リクエストも挟みつつ毎回セットリストが異なるツアーにまで発展し、配信がメインになっているこのコロナシーズンにおいてはほぼほぼリクエストのみで構成されるイベントという所まで来ました。
なるべく広くリクエストに応えるようにやってきましたが、どうしてもあぶれてしまう曲も少なくないわけです。
そこで今年開催されるATCは「確実に演奏する曲を予告する」というものです。野球でいうところの予告先発スタイルです。
アルバム、ミニアルバムの単位で選び、指定された作品の曲は全て演るというものですので、聴けなかった曲が狙い撃ちで聴けるチャンス!今ならもらえる!系のキャンペーンのようですね。笑
ある人には懐かしかったり久しぶりだったり、またある人には新しかったり初めてだったり、沢山の人がそれぞれのタイミングで鶴を知ってくれているわけでして、今回は様々な記憶や思い出と共にめくるめく鶴ワールドを堪能してもらえれば幸いです。また誰かにとっての入り口になりますように。
せっかく色んな作品に焦点を当てたATCなので、当時の感覚を思い出しながらつらつらと書いていきましょう。

『浪漫CD』
2006年の9月にリリース。
と言うことはちょうど15年前ということですね。
自分達が素敵だと思った曲達なんだからこれはもう『素敵CD』だろう。その流れで僕らが音楽に求めていたのは浪漫、自分達がキュンとしたいから浪漫、だから『浪漫CD』でした。
記念すべき2枚目のアルバムは、前作の初期衝動に加えて〝キラキラした何か〟をさらに注入しました。とにかく歌いたくなるようなキャッチーさ、そして自分達の胸がキュンとするやつ、というものを追い求めて全曲シングルカットOK!という勢いで書かれた曲達で、謎の自信に満ち溢れた作品です。
あっという間に9月も終わりそうです。そして今年のATCもアルバム制覇が見えて!?きました。そんな僕はというと12回目のコピペです。
鶴の全ての曲から何が演奏されるか分からない、お楽しみ会のような今年のALL TIME CLASSICSです。
初めは不定期でいきなり開催されるイベントでしたが、次第に形を変え全国47都道府県ツアー3周目では全公演がATCになり、リクエストも挟みつつ毎回セットリストが異なるツアーにまで発展し、配信がメインになっているこのコロナシーズンにおいてはほぼほぼリクエストのみで構成されるイベントという所まで来ました。
なるべく広くリクエストに応えるようにやってきましたが、どうしてもあぶれてしまう曲も少なくないわけです。
そこで今年開催されるATCは「確実に演奏する曲を予告する」というものです。野球でいうところの予告先発スタイルです。
アルバム、ミニアルバムの単位で選び、指定された作品の曲は全て演るというものですので、聴けなかった曲が狙い撃ちで聴けるチャンス!今ならもらえる!系のキャンペーンのようですね。笑
ある人には懐かしかったり久しぶりだったり、またある人には新しかったり初めてだったり、沢山の人がそれぞれのタイミングで鶴を知ってくれているわけでして、今回は様々な記憶や思い出と共にめくるめく鶴ワールドを堪能してもらえれば幸いです。また誰かにとっての入り口になりますように。
せっかく色んな作品に焦点を当てたATCなので、当時の感覚を思い出しながらつらつらと書いていきましょう。
『浪漫CD』
2006年の9月にリリース。
と言うことはちょうど15年前ということですね。
自分達が素敵だと思った曲達なんだからこれはもう『素敵CD』だろう。その流れで僕らが音楽に求めていたのは浪漫、自分達がキュンとしたいから浪漫、だから『浪漫CD』でした。
記念すべき2枚目のアルバムは、前作の初期衝動に加えて〝キラキラした何か〟をさらに注入しました。とにかく歌いたくなるようなキャッチーさ、そして自分達の胸がキュンとするやつ、というものを追い求めて全曲シングルカットOK!という勢いで書かれた曲達で、謎の自信に満ち溢れた作品です。
この最初の2枚が鶴の礎となり、バンドの方向性を決定づけたと言っても過言ではないでしょう。
いい感じの雰囲気の曲を作るには、いい感じのコードが必要になります。今だったらもう少しベースとギターがどういうボイシングになっているのか理解しながらやっていますが、この頃はそんな事考えていませんでした。
なんかこの音が入っていたら素敵かもしれない、、、というニュアンスと聴いた時の雰囲気だけで作っていったので、上手い感じのコードが鳴ってる所もあれば、いらない音が鳴っていて歌とぶつかってる所もあります。それもまぁ若さと浪漫ゆえ。
当時のプロモーション用資料。
懐かしいバンドが並んでおります。
この頃はとにかく何処へいっても対バンのイベントが普通でしたから、様々なバンドやジャンルに刺激を受けまくり、ライバルという名の仲間達が沢山いて切磋琢磨していた時代です。
あのバンドのあの曲がカッコいい。いや、俺らの方がカッコいい。あのバンドよりいい曲を書きたい。いや、あの曲には敵わない。是非、鶴に欲しい。そうだ、ください。その曲ください。楽屋で半分冗談、半分本気で対バンのみんなと話をしていたような気がします。笑
今のように自分達の道を全然見つけられていませんから、あっち行ったりこっち行ったりダイナマイツ勘違いしながら流されていましたね。
そんな感じで若い僕らの琴線に触れる曲というのが、ライブハウスに沢山ありました。なんでこれがもっと売れないんだろう?逆に何でこれが売れてんだよ!?という疑問もたくさんありました。
あのバンドのあの曲がカッコいい。いや、俺らの方がカッコいい。あのバンドよりいい曲を書きたい。いや、あの曲には敵わない。是非、鶴に欲しい。そうだ、ください。その曲ください。楽屋で半分冗談、半分本気で対バンのみんなと話をしていたような気がします。笑
今のように自分達の道を全然見つけられていませんから、あっち行ったりこっち行ったりダイナマイツ勘違いしながら流されていましたね。
そんな感じで若い僕らの琴線に触れる曲というのが、ライブハウスに沢山ありました。なんでこれがもっと売れないんだろう?逆に何でこれが売れてんだよ!?という疑問もたくさんありました。
時代との感覚のズレに気付けていない、現実と向き合えていない、少し残念だけどひとつの正義がライブハウスには、そして僕らにはあったんです。もしかしたらその姿勢こそが理想を追い求める浪漫だったのかも知れません。この頃の感覚が自主レーベルを始めてから当時の仲間の曲をカバーさせてもらうという流れに繋がっていきます。
飛び出せミュージック 下から上へ
僕らのミュージック 世に降り注げ
確か、どこかのカラオケ屋で撮影
当時は新宿JAMのブッキングマン、後に店長、そして現在マネージャーの森田が声をかけてくれて作った『素敵CD』がタワレコのインディーズチャートで結果を出し、新宿、下北沢、渋谷界隈、さらには大阪を中心とした関西圏をイベントに呼ばれてウロウロする日々。お客さんの数も増えに増えてくれて、いよいよ音楽を生業とするインディーズレーベルが鶴に興味を示してくれるようになりました。
とは言うものの、細かいことはよく分かってない僕らは「今のJAMで立ち上げたレーベルと何が違うの?」ってなもんでした。
たぶん、、ライブハウスが本業で立ち上げたばかりのレーベルよりも、もう少しレーベル業務がしっかりとなされてて、名前も通っていて繋がりも沢山あるから、さらに活躍の場を広げられるという事なのでしょう。
それはそれで今より高待遇でありがたい。じゃあすぐにでもお世話になります!とはならないのがTHE人間関係。僕らにも譲れない条件がありました。所属するなら森田も一緒に引っ張って4人で行かせてくれというものでした。
ここら辺は4人で話し合いがなされたのか、僕らが勝手に言い出したのか、、、もし勝手言い出したとしたら森田は逆に巻き込まれた可能性もありますね。笑
誘ってくれたレーベルの方から、この条件に難色を示されたので話が流れたこともあります。美談ぽいですけど、まぁそれもそうですよね。森田はライブハウス所属でしたし、若いバンドを育てるのにいきなりスタッフ連れてこられてもやりづらいでしょうし。
この時、こんな感じでウダウダやっていました。しかし特に焦りもありませんでした。何せずっと楽しかったので、それなりに満足していたんです。
しかしその後、4人でまとめて面倒を見てくれるという個人事務所の方から声をかけてもらうことになります。それが当時所属のウエストフォースプロダクションズです。
誘ってくれたレーベルの方から、この条件に難色を示されたので話が流れたこともあります。美談ぽいですけど、まぁそれもそうですよね。森田はライブハウス所属でしたし、若いバンドを育てるのにいきなりスタッフ連れてこられてもやりづらいでしょうし。
この時、こんな感じでウダウダやっていました。しかし特に焦りもありませんでした。何せずっと楽しかったので、それなりに満足していたんです。
しかしその後、4人でまとめて面倒を見てくれるという個人事務所の方から声をかけてもらうことになります。それが当時所属のウエストフォースプロダクションズです。
タワレコで大展開
やはりこの頃から足を使った営業スタイルで熱量攻め
ウエストフォースの社長は音楽好きで(当たり前)、特にソウルファンクに精通していて本物志向というか本場志向というか、生ライブの威力を十分に理解している方でした。対バンし始めて間もないSCOOBIE DOにどハマりしてましたし。笑
社長は料理上手でみんなで家に遊びに行った時に振る舞ってくれて、でっかい食器棚みたいな中にはそれはそれは大量のCDが詰まってて、スリーピースでソウルファンクディスコを追っかけている鶴にとって最良のパートナーとなりました。社長なら捌けるだろうと、札幌からお中元にでっかい鮭をまるごと送ったこともありました。
全員がアルバイトしていた運送屋の倉庫にて
様々なコネクションを駆使し、この『浪漫CD』は吉本興業がもつ音楽レーベルR&Cからリリースとなります。アフロの出立ちとネタまがいのコールアンドレスポンスで客席を巻き込むライブスタイルが、そちら方面からも評価されたのでしょうか。いや、売り方に戸惑いがあったのでしょうか。。。でしょうね。笑
アーティストイメージがうんたらかんたら、、みたいなNGは特にありませんでしたし我々。
当時まだ新しかった渋谷のヨシモト無限大ホールに出演していましたからね。もちろんメインはライブなのですが、それ以外に若手芸人さんと一緒になってクイズとかやってました。
オリエンタルラジオがドカンといって、現場は売れる前のピース、はんにゃ、トレンディエンジェル、、、他にも今となっては超豪華なメンツが沢山いました。芸も何も持っていないただのアフロ3人組にもみんな丁寧に楽屋挨拶してくれて、吉本ってすごい教育がなされているんだなぁだ思った記憶があります。
大阪福島2ndLINEの楽屋にて
『浪漫CD』は拙い歌と演奏ですが、沢山の人が可能性を見出してくれて様々な経験をさせてもらいました。僕らも色んなものを吸収せんとやっていた時期ですから、濃い思い出が沢山ありますね。この辺で見つけてもらって冬のCOUNTDOWN JAPAN、夏のROCK IN JAPANにも繋がっていきます。
鶴は出会いの運とタイミングに恵まれてここまでやってこれたと今でもつくづく思います。感謝しかないですね。
好きな人の事を考えたり、好きなものに想いを馳せたり、頑張れば届きそうな目標に向かったり、バカな夢を見たり、時代が変わっても浪漫はそこにあって僕らを動かす大事なエネルギーですね。
鶴 ALL TIME CLASSICS @ 愛媛 松山W studio RED
開場 16:30 / 開演 17:00 (配信 16:50〜)
終演後の座談会配信も併せてよろしくお願いします。