月別アーカイブ / 2019年10月

鶴フェスが終わって最初のライブ!

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福山Cableのラスト前を任せていただきました。
お世話になっているJOKAFES、感謝の気持ちを表すための神の儀式を執り行いました。

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みんなの手から放たれるパワーを、カンダーバードに注入し、スピーカーから飛び出す爆音は、まさに神鳴⚡️

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キミイイネ!

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キミヤルネ!

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オナカスイタ!

6年目のJOKAFES、これからも鶴と福山の歴史は続いていくのです!
ご来場ありがとうございました!

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この後、姫路まで走り
夜な夜なJOKA JOKAしました♡


それは一昨年、鶴ヶ島市職員の方が言ってくれた一言から始まりました。

「市の産業祭に鶴を呼ぼう」

僕らにとっては実に11年ぶりとなる鶴ヶ島の産業祭でした。


鶴の存在を知ってくれていて、昔から応援してくれる市役所の方はいましたが、メジャーデビューイベントを市役所ロビーでやらせてもらって以来、これといって大きな動きはない状態でした。というのもまだまだ僕らが力不足で、大きいものを動かす心意気が足りていなかったわけですが、、、。もちろん関係は良好でしたし、何かあればお互いに協力体制に入れる気持ちはありました。全国をくまなく走り回っていた僕らにとって、その産業祭は久々の凱旋ライブになったのでした。

昔に出させてもらった産業祭は市役所の敷地内での開催だったのですがこの時は鶴ヶ島運動公園でした。僕らが遊んでいた頃はまだなかった公園で初めて行きました。11月ですっかり秋も深まり、晴れてはいましたが風が強くて寒い日でした。畑から舞い上がる砂埃に懐かしさを感じながら会場に向かったのを覚えています。海もない山もないけど災害も少ない。今日も平和な空気が流れている鶴ヶ島の空気を感じながら、地元の子供からお年寄りまで、のんびりとしたイベントの中で今日もいっちょやったるかい!鶴が帰って参りました!と気合を入れて臨んだステージでふと感じたことをそのまま喋りました。

「これ、こんなステージ組んで外でバンドを鳴らせるなら、ここでフェスが出来るじゃん。」

いつか鶴で大きなことをやるなら、鶴ヶ島でフェスだよな〜、、、いつの日かできたらすごいよねと他人事のような、でも心の片隅にずっといた漠然とした夢のような、そんな気持ちから放った言葉でした。終演後、物販に鶴ヶ島市職員のチームが声をかけに来てくれました。

「是非やりましょう!」

そう言って力強く握手をしてくれて、今回の鶴フェスのために尽力しまくってくれた職員の方はフェスの打ち上げで、

「あれは市への挑戦状だと思いました。笑」

だったそうです。
鶴ヶ島市にとっても僕らにとっても未知なる挑戦が始まりました。


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翌年2018年春、僕らは結成15周年の総決算的イベントを東京と大阪で開催しました。全国から沢山の人が集まってくれた中で47都道府県ツアー3周目を発表し、自他共に認める《どうかしちゃってるバンド》への道を決定付けました。「歩く this way」の制作に入った夏、裏では全国3周目に向かう鶴を、鶴フェスに向けて鶴ヶ島をアピールする最高の機会と捉え、ふるさと応援大使に任命しようとみんなが動いてくれていた時期でした。

市公認の応援大使ですから、もちろん鶴のいつものノリで決められるものでは当然なく、市議会などを通してちゃんと認めてもらわなければなりません。市からしたらイメージダウンにも繋がりかねない案件ですから。どこかの大使が不祥事とかたまにありますから。しかし日頃の行いが良かったのでしょうか、鶴の積み上げてきた信頼と実績を評価していただけたのでしょうかそれでも面白いことをやるには突き進んでいくべきだという市職員チームの熱量でもって話は進んでいってくれました。そして街ぐるみでフェスをやるならば市長の協力が必要だと、市長がゴーサインを出してくれたら職員チームももっと動きやすくなるとのことで、やっぱり市長の力すごー!やばー!って組織に属したことのないどうかしちゃってるいちバンドマンは市長室で震えあがりました。そんな皆さんのお膳立てのおかげで、いよいよ鶴は正式に市長から鶴ヶ島ふるさと応援大使に任命してもらうまでに至りました。
同年9月、「歩く this way」のMVの鶴ヶ島から歩き出すという映像は、僕らの人生の起点であるという意味と、大使として鶴フェスに向かって歩き出すという2つの意味を持つことになりました。僕らは今まで以上に鶴ヶ島への愛を持って全国の旅に繰り出しました。



埼玉県鶴ヶ島市出身のスリーピースロックバンド、鶴です。
ふるさと応援大使になった僕らは全国のライブハウスで鶴ヶ島の話をしまくりました。主につるゴンの紹介と4年に1度の雨乞い祭の話でしたが。
今までもこれからも僕らの生まれ育った街であるという変わらない事実がそこにあるだけで、初めは大使になった実感が正直あまりありませんでした。しかし、若い頃は何もない街、東京に活動拠点を移した頃には何もないけど平和な所、大人になって全国を回るようになってから街の魅力は人の力ということに気づき、鶴ヶ島の人たちに触れながら全国で話をし続けるうちに、今まで感じたことのない郷土愛のようなものがメキメキと育っていったのでした。
まだ日程も何も決まっていないけど、大きいやつをやりたいからその時は出て欲しいと、最初に話をしたのは僕らの3周目東北地方を一緒に回ってくれていた二人目のジャイアン。勝手に内定をさせてもらいました。
その頃市役所では着々と鶴フェスに向けて進んでいて、来年の10月に鶴ヶ島運動公園を抑えたいう報告を受けました。フェスだなんて何をどうしていいのかわからない不安も大きかったですが、少しずつやるっきゃないっしょというモードに切り替わっていきました。

年末の鶴大忘年会、埼玉公演で発表できるかどうか、各所の調整ができるかどうか、、、というのは間に合いませんでした。となるとツアー最終日の東京公演か、、、いやそれだともう3月だから遅い気がする。そんな気持ちもあってとにかく整い次第最速でということで、1月の名古屋公演での発表になりました。実は当日まで発表できるの?できないの?という状態でした。これでいよいよ後戻りはできなくなったわけですが、鶴フェス発表でみんなが盛り上がって感極まってくれたその日の名古屋の景色は記憶に残る日になりました。


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鶴フェス発表タイミングで揺れていた2019年正月。
毎年お世話になっている大阪の高槻市で開催される入場無料の野外フェス、高槻魂の主催であるGRAND COLOR STONEのナカノくんにフェスを主催するバンドマンの生き様をご教授していただく為、会いに行きました。

「めっちゃ美味いお好み焼き屋があるから、そこいかへん!?」

定休日でした。
結局適当に見つけた店で飲みながらフェスの主催をやるということ、必要なもの、その他もろもろ話を聞かせてもらいました。
「主催のお仕事は赤字をなんとかすることです」と、笑いながら話すナカノくんのえげつないバイタリティーを目の当たりにして、この人間力があってこその高槻魂なんだなと、果たして自分に同じようなことができるだろうかと逆に不安ばかりが大きくなった夜でした。そのバイタリティーをもってしてもめっちゃ美味いお好み焼き屋は休みでしたが。


鶴フェス発表後もツアーは続いていて、2月には何度も世話になっている大先輩ウルフルケイスケさんとの共演があり、これはチャンスということで直接オファーをしました。その場で二つ返事&最高のスマイルで快諾をもらいました。この時ケイスケさんも内定させていただきました。まだ何も細いことが決まっていないのに出演OKだなんて、なんて心意気でしょうか。その心意気はだだ漏れだったみたいで、出演者発表の前にご自身のライブで匂わせてくれていたみたいです。ケイスケさんと2人で弾き語りライブもあり、サシで打ち上げという贅沢な時間を過ごし、今はソロで全国を駆け回る理由を聞き、大先輩の大きな愛と魂に触れたのでした。
この頃、初めてのクラウドファンディングもスタートし、目標は2626人というかなり無謀とも言える数字を設定しました。これは達成できるかどうかではなく、なんでもツルツル言いたい僕らの心意気でした。


今回の入場無料は鶴フェスの大きなテーマで、そのためのクラウドファンディングでした。僕らが市に協力してもらってやろうとしたことは、地元への恩返しと地域貢献だったので、全国から人が来やすいように、そして地元の人たちが気軽に参加出来るようにしたかったのです。僕らが過ごした時代はまだ今みたいに音楽フェス文化なんてものはなかったですし、音楽が好きな人は東京へ行けばなんとかなるというようなものでした。逆にもっと遠い地方都市の方がそういった文化が各地のライブハウスに根付いている気がします。失礼ながら平和だけどどこかそういったカルチャーに疎い空気は、もしかしたら今も流れているかもしれません。おかげで子育てのしやすい街で僕らはのびのびと育ちましたが。笑
好きな人は来て欲しい、興味はあるけどなかなかタイミングが、、、という人にも来て欲しい、そして鶴ヶ島でもナイスな音楽フェスができるんだというのを知って欲しい、そんな願いを込めての入場無料でした。


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入場無料に対する驚きの声が、仲間のバンドマンや関係各所からちらほら届きつつあったツアー後半。その後の鶴の核となる曲を書きたいと、実は年明け前からずっと粘っていて、いろいろ書いたけどなかなか思うような曲が出来ない毎日に、ふと思いついたのが「バタフライ」という曲でした。《遠回りしたって近づいているんだ》というフレーズは、自主レーベルを始めてから更に加速度を増した悪ノリの延長、無駄かもしれないけど面白いことを思いついてしまったからやってみた、そしたら喜んでくれる人がいた、楽しんでくれる人がいた、思ってもいなかったところまで届いていた、自分自身も楽しめるならちょっとくらい寝不足でもやってやれないことはないぜという、3度目の47都道府県ツアーで全国のソウルメイトの熱に触れることによって出た僕の答えでした。そんな僕らのスタンスに優しく熱くノってきてくれる全国のソウルメイト達は鶴フェスへの大きな推進力になりましたし、まさに今の鶴の気持ちが書けたので、未完ながらもツアーファイナルで歌いました。小さな蝶の羽ばたきで起こった風を受け、そして全国で巻き起こった風を受けて出来たバタフライという曲が初めて世に飛び出した日でした。


4月、47都道府県ツアー3周目を終えた僕らは、鶴フェスへの出店、協力を前向きに検討してくれていた《食からの街おこし》をテーマに掲げ、街に点在する飲食店が参加している鶴ヶ島逸品の会の皆さんのお店や鶴ヶ島の商工会、商店会に挨拶に行きました。お互いの目的が共通していたこともあり、皆さんとても協力的に動いてくれました。僕らとしても音楽フェスで食べられるいわゆるフェス飯に、こんなにも強力な同志が増えたのはとても心強かったです。ここへの繋がりも、店の人をライブに連れて来てくれるなど、市のチームが繋いでくれました。

それまではただの出演者であった僕らが少しずつフェスの見方が変わってきた頃、埼玉県の大きな音楽フェスVIVA LA ROCKのイベントに呼んでもらいました。声をかけてくれたのはイベントを担当していたDJダイノジのお二人でした。ダイノジはそのアンテナの感度の良さから、いち早く鶴を知って応援してくれていて、鶴ヶ島市役所で行った僕らのデビューイベントにも駆けつけてくれたところから始まり、今でもイベントに呼んだり呼ばれたりの間柄です。

「鶴ヶ島でフェスやんなよ、入場無料でさ」

今の時代と鶴の在り方を鋭く分析してくれていたのでしょうか、実はダイノジ大谷さんは昔からこれを提案してくれていた一人でした。
埼玉の空気がそうさせたのか、おそばせながら観た「翔んで埼玉」に埼玉魂をくすぐられたのか、その日のVIVA LA ROCKの野外イベントは鶴フェスの宣伝に一層力が入った気がします。


5月、鶴フェス応援大使のみんなと決起集会を開催しました。応援大使のお仕事は一緒にフェスを盛り上げる、全力で楽しんでもらうことでしたので、この日は鶴フェスのイメージを共有してもらえるよう、様々な要望、リクエストなどのアンケート、会場レイアウトの会議などが行われました。つるゴンも駆けつけてくれました。後につるゴンは言いました。「歩く this wayで1曲踊り続けるのはキツイ」と。
6月、お世話になっている岡山県井原市で開催の地元密着型フェス、hoshiotoに出演させてもらいました。このフェスは最初の頃からずっと出演させてもらっています。主催の藤井さんを中心とした地元の人たちの音楽愛によるとてもハンドメイドなフェスで、少しずつ成長を遂げ今年はチケットを売り切ったそうです。もちろんこの日も気になったのは運営スタッフの動きでした。藤井さん、初めて会った時より主催の貫禄が出てきたような気がします。何があっても動じないような。雨が降っても槍が降っても倒れないような心意気は、フェスを初めて主催する僕らに勇気を与えてくれました。
7月、大阪府高槻市でGRAND COLOR STONEのナカノくんが主宰する高槻魂に出演させてもらいました。この日は大雨でした。悪天候の中でもビクともしない運営に加えて、この日は来場したお客さんの雨をものともしない熱量にも驚かされました。大人になってからお構いなしで雨に打たれるという機会はそうそうないからか、過去を振り返ると野外フェスの雨は逆に盛り上がることもしばしばです。ただ、ここまでの悪天候は鶴フェスでは絶対避けたいと強く願い始めると同時に、低気圧ボーイを演奏するのをしばらく封印しようと心に誓ったのでした。

「これを経験したから、鶴フェスの天気はもうどっちでも大丈夫です」

心強い言葉を来場のソウルメイトからいただきました。
そこから8月にかけて、鶴フェスをアピールするためにメンバーがそれぞれ動くという鶴フェスクエストを行いました。僕は1人でまだ見ぬ応援大使に会いに行く旅に出ました。各地で色んな人にお世話になりながら、鶴フェスへの期待を高めていきました。同時に全国のライブハウスにも協力を要請し始めました。何度も世話になっている全国のライブハウスの皆さんも、快く賛同していただきました。


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鶴フェスまで残り1ヶ月となった9月。
応援大使のみんなと成功祈願祭を行いました。いつまでも低気圧ボーイのままじゃいられないと、みんなに天気のお祈りをしてもらいました。

「僕、晴れ男なんで大丈夫です」「私、晴れ女なので大丈夫です」

この半年間、沢山の人に言われてきました。
みんなの祈りが届いたのか、そこからの野外イベントは雨が降ることがなかったです。

フェスに向けて鶴ヶ島に出入りする機会も増え、出店してくれるところに挨拶やご飯を食べに行くことも増えました。いきなりランチしに伺った際、つるゴンのファンで東北からわざわざ鶴ヶ島に来てくれているという方にばったり会ったり、協力しくれるお店の店主が同級生の兄弟だったり、場所は知っていたけど入ったことがなかったお店、僕らの知らなかったお店、新しくできたお店、さらに鶴ヶ島のネットワークは広がっていきました。

8月にリリースとなった鶴フェスのテーマソング、バタフライ関連のイベントやプロモーションもひと段落したあたりで、今度は香川県小豆島で開催されている島フェスに出演しました。このフェスも長いことお世話になっていて、鶴ヶ島の「島」つながりということで、いつも鶴の紹介は《from 鶴ヶ島》と書いてくれる全国でも唯一のフェスです。主催の丸尾くんは鶴フェスのためにトークコーナーの時間を作ってくれました。鶴フェスを目前に控えていた僕らはやはり、そしてさらに運営やスタッフの機敏な動きに目がいってしまうのでした。

いよいよ鶴フェスのリハーサルも始まり、少しずつ緊張感が漂ってきたところで、ついにクラウドファンディングが目標の2626人を達成しました。これには鶴チーム、クラウドファンディングのWIZYチームも驚きでした。2000人を超えたあたりで既にすごい!となっていたものですから。WIZYをやっているレコチョクの本社に挨拶に伺った際は皆さん総出でお出迎えしていただき、まるで外タレになった気分でした。更に驚きだったのはWIZYの担当の方がボランティアスタッフチームに志願してくれていたことでした。


いよいよ10月。
気になる天気予報に台風が現れましたが、全国の我こそは晴れ男晴れ女の皆さんのおかげで、なんとか逸らすことに成功しました。しかし予報を見るたびにコロコロと変わる不安定な天気に、参加する全員が一喜一憂してくれたことでしょう。フェス前日はこれでもかってくらい晴れまして、集まってくれたボランティアスタッフの大活躍により前日の設営はスムーズにいきました。

何もなかった運動公園の広場にステージが組まれていく様に、いよいよこの日が来てしまったなあ、、と早くも感傷に浸ってしまいました。前日から会場を下見に来てくれたソウルメイトもちらほら見受けられたり、地元の人がたまたま散歩にきて、何が行われるんだろうと眺めている中でサウンドチェックが始まりました。僕らが想像していたより遥かに立派に組まれたステージから出た音は、まさに野外ロックフェスそのもので、鶴ヶ島の空に響く轟音に「キタキタキターーーーッ!!」と、テンションが上がる一方で「これ、騒音大丈夫か、、、?」と、当日に向き合わなければいけないフェス最大の課題と言っても過言ではない騒音問題の不安と葛藤の戦いも始まりました。

仕事を終えたスタッフ達が見守る中、リハーサルが始まりお客さんが誰もいない会場でソウルメイト今夜を鳴らしました。この時、明日どれくらいの人が来てくれるんだろうという不安な気持ちは吹っ飛び、最高のステージに最高のバンドマンを迎え、最高の音でもって最高のソウルメイトが集まり、最高のご飯が食べられるのは間違いないから大丈夫という謎の自信が芽生えました。


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鶴フェス当日。
相変わらずはっきりしない天気予報でしたが、近所の学校達から打ち上げられる運動会開催をお知らせする花火の音を聞き、うちも開催しまっせ!と意気込みました。この日のソウルメイトレコード主宰の最初のお仕事は、駅までスタッフを迎えに行くというもので、トップバッターを務めてもらう二人目のジャイアンチームに遭遇し驚かれました。会場に着くと既にお店チームの準備が始まっていて、ぱらつく雨をものともしない熱気に包まれていました。その賑わいに心地よくなりながらひと通り挨拶を済ませてバックステージに向かいました。

「ようこそ、鶴ヶ島へ」

続々と到着するアーティスト達を出迎える度に、感謝の言葉が溢れました。初めて味わう主催側から見たバンドワゴンの到着は、まるでヒーローの登場を待ちわびる高揚感で、みんなのシビれるカッコよさに僕はただただファンの如くメロメロでした。バンドマン万歳。
開演直前、いよいよ市長が到着しました。「いや〜、本当に来ちゃったね〜」と、笑顔でお話ししてくれました。もちろん市長にも真面目に考えていただいたその上でですが、市長曰く《半分冗談》で出したゴーサインがみんなの熱量でここまでの規模のイベントになったわけです。市長万歳。

舞台監督をいきなり時計とにらめっこさせる市長の挨拶は、鶴ヶ島への自虐と愛に溢れたトークで、これから始まる鶴フェスの空気を笑顔に変えてくれました。僕は始まったばかりなのにもう「ああ、、終わりたくないなあ、、」と思いました。
僕らが愛する自慢のアーティスト達は鶴に鶴フェスに鶴ヶ島に、最大級の愛でもって音を鳴らしてくれました。バックステージでも二人目のジャイアンのマサくんは「大丈夫、晴れるから大丈夫」、GRAND COLOR STONEのナカノくんは雨空を見上げては「いい天気やん!」を連呼し、ついにアーティスト代表晴れ男のD.W.ニコルズの大ちゃん登場時には本当に晴れ、想定していたかのように歌い出したのは「haleiwa」という神がかりっぷりを見せてくれました。これには本当にビビりました。

各会場で次から次へと繰り出される最高のライブを、ステージの裏から観ながら「みんなすげえな。いつもすごいけど、今日は特にすごい気がする」と思い「今日はカッコいいギタリストしかいないな!」と同じパートについ目がいってしまうのでした。
鶴フェスが決まった時、絶対に何が何でも出てもらいたかったバンドのひとつで、FOFTOOステージのトリを務めてくれたSCOOBIE DOがまさかの鶴のカバーを披露してくれて、最高の愛の賛辞を頂戴しました。雨も上がって日も暮れて、森から聞こえる虫の声と楽しそうにはしゃぐ子供達の声が響く中、いよいよ僕らの出番が回ってきました。

想像で用意した言葉はもう役に立たず、その日感じたことをまんま話そう決めてステージに上がりました。出てきた言葉は感謝の言葉しかなかったです。どこまで見渡しても人人人で、まさに僕らと市役所チームと鶴フェス応援大使が見たかった景色がそこにはありました。この日のために動いてくれて、集まってくれた人全員が作り出した幸せな空気を、僕らはただただ夢中で楽しみました。メンバーを紹介した以外、何を話したのか正直あまり細かく覚えていません。
音楽やっててよかった、鶴ヶ島に生まれてよかったという幸福感に包まれながら降りたステージの先で、残ってくれていた出演者がみんなで出迎えてくれました。全員にハグとキスをしたい気持ちでした。大矢梨華子さんのファンの皆さん安心してください。気持ちだけですよ。


終演後、サイン会には長蛇の列ができました。1日楽しんでくれた後に更に2時間も並んでくれるソウルメイトの皆さんにも感謝しかないです。47都道府県を3周した《どうかしちゃってる》バンドのファンの愛もまたどうかしちゃってるなと感じています。
ボランティアスタッフも含め、スタッフチームの素晴らしい動きにより、大きな問題もなく無事に当日を終えることができました。片付けられるものはその日のうちに片付けて、ホテルに届けるスタッフを全員見送って、最後に運動公園の門を閉めてこの日は帰宅しました。


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鶴フェス翌日。
早朝からみんなに手伝ってもらい、滞りなく運動公園は元の姿に戻りました。片付けをしていてみんなが驚いたのはゴミの少なさでした。これもまたイベントをやる上で重要な課題となるものでした。ちゃんと所定のゴミ捨て場に集まっていたこと、ボランティアスタッフ以外でも公演を綺麗にしてくれたソウルメイト達がいたこと、これは鶴フェスを後世に語り継ぐのに十分すぎる綺麗さでした。ご理解、ご協力をお願いする側としてこんなに誇らしいものはありません。参加してくれた全国のソウルメイト、他のアーティストのファン、音楽好きフェス好きのあなた、すべての人の行動がなしえたものでした。当日の幸せすぎる空気を作ってくれたのは紛れもなく参加してくれ皆さんです。ありがとうございました。

出店チームも綺麗に使っていただきました。みなさん市内で開催されるイベントへの出店経験が豊富で、しかもどこの店も驚きの美味さとコスパで、当日はフェスに来てくれたみんなのお腹の満足度も高かったと思います。イベントのノウハウは僕らよりも持っていましたし、本当に頼れるチームでした。県外からの出店もあり、中でも世話になっている岡山の地元密着型野外フェス、日本でも有数の星空が見られるhoshiotoチームは岡山から鶴ヶ島への直通バス企画を立ち上げ盛り上げてくれました。ありがとうございました。

会場中のテントに散りばめられた数々の幟は、主に全国のライブハウスなどで鶴フェスを全国から彩ってもらいました。僕らをいつも温かく迎えてくれる各地のライブハウスの店長が遊びに来てくれたりもしました。ありがとうございました。

直通シャトルバスや街の交通機関も、その場の柔軟な対応でスムーズにお客さんを運んでくれました。ありがとうございました。

ここには詳しく書けませんでしたが、鶴ヶ島市との連携、ステージ周りの手配や全体の運営の核を担ってくれて、自主レーベルを始めてから今日までメキメキと育つ鶴愛を遺憾なく発揮してくれた鶴フェス実行委員チームの中心である服部さん、ありがとうございました。恐怖の収支報告はまた後日。笑

そして、この企画を一緒に走ってくれた鶴ヶ島市役所の皆さん、お店を含め地元の皆さん、役職を飛び越えギリギリまでヒーヒー言ってくれた鶴チームのスタッフ、ありがとうございました。お疲れさまでした。


バタフライエフェクトは確かにありました。ひとつのきっかけが巡り巡って大きなエネルギーになりました。史上最大級の鶴の恩返しは、誰が欠けても成立しないものでした。「またやりましょう!」とみんなが声をかけてくれます。と同時に今回のエネルギーは全員の想像の斜め上を行きまくるものであった、こんなのまたできるの!?という少しの不安と大きな期待は話をしなくても共通認識としてあるような無いような、、。僕らがやった地域貢献は、それぞれが素敵な毎日を送るための出会いのきっかけを作る場所になりました。次回は来年か、再来年か、もっと先になるかわかりませんが、1度で終わらせる気はありませんのでその時はまた力をお貸しください。

最後に、ステージ上でも言いましたが、今日までもこれからも音を一緒に鳴らしたかったけど叶わなかったミュージシャン橋口くん、この景色とこれからの景色を一緒に見て欲しかったPAの白神さん昔から鶴を応援してくれていて鶴フェスの開催にとても喜んでくれていた市の宮崎さんにも感謝を捧げます。これからもその魂を乗っけて鶴は続けていきます。

皆さま、今後も鶴をよろしくお願いします。
また楽しいことを一緒にやりましょう。
今日も愛と魂燃やしてワイワイしようぜ。




何もなくなった広場に座って記念撮影をしました。事の発端となった2年前の産業祭を思い出しながら。



ソウルメイトレコード主宰、秋野温

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おめでとうございます!!
ぐるっとモニターに囲まれたハイエンドなライブハウス!それでいてスタッフさんは熱量モリモリ!そんな素敵な新宿ReNYの5周年。
お祝いさせてもらえて嬉しい!
呼んでくれてありがとう!

鶴フェス前最後のライブということで気合い入ってます!!

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秋野と神田が吠えております!

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カサイが立ったー!!

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照明かっけーーー!!!

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おー
わー
らー

ナイトフィーバー♫

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新宿ReNY、これから一緒にどんどん素敵に歳を重ねて行きましょう!
5周年おめでとうございます!!

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次回のブログは鶴フェスの振り返りブログです。

今日来たよ!というソウルメイトの皆様も、残念ながら予定が合わなかったけど応援していたよ!という皆様も、
鶴からの報告をどうぞお楽しみに!!!

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