日曜日。

自他共に色々ある。

そんなときに、
ふとある表現を目にして、

エンターテインメントの役割ってなんだろうと思った。 

新しいエンターテインメントの形ってなんだろうと思った。

こういうご時世だから、

新しい表現方法を模索する、
それは良いことだと思ってはいる。

新しい表現方法を開発する、
それは意味があると思ってはいる。

でも……

その形を選んだことを、
したり顔で語ること。

それはなにか違うような気がしてしまう。 

表現することは大切なことだと理解しているのに、
なにかが違うような気がしてしまうのはなぜだろう。 

おそらく、
新しい表現方法ということばかりに、
意識や意義や意図が――目的になってしまい、

根幹をないがしろにしてしまっているのでは?

いまはそれしか選択できなかったと、
そこからの出発で良いのでは?

主観に囚われ客観を忘れる。

表現者の陥りそうな失敗。 
そういうケースをいくつか見てしまった 。

他山の石として自分にも言い聞かせようと思う。

大切なのは、
新しさではないということ。 

それは付随しているだけなのだ。

自分はさておき、

友人知人たちが、
その思いを込めて、
つくっている表現も在る。

だからこそ、
そうでない表現への、
この困惑は書かねばと思った。

不安な世の中の、
不安に押しつぶされそうな人々を、

感じて動かすこととはどういうことなのか。
それを忘れてはいけない。

心に刻む。