朝、
目が覚めたら、

いつもの、
あの腰の痛みが、
ちょびっと緩和されていました。

それだけで、

頭がクリア!
心もクリヤー!

※クリアとクリヤーの違いに意味はありません。

身体と精神はひとつなのだなと、
当然のことを改めて自覚しました。

で、
いさんで稽古に。

かなり有意義で、
とても生産的な時間でした。

が、
おしまいにしますかってときに、
またきましたよ。
きやがりましたよ。

もうね、痛いです。
ふざけんな!くらい痛いです。

なんとかせねば。

諸々に支障を来してしまいますぜ。

整体も功を奏しませんでしたね。

明日にでも、
腰痛専門医に行くかな……

下の画像は、
今回、舞台をいっしょにつくってくれる。
スーパーセンスマンが撮ってくれました。

「今日のいい背中」だそうです。

あ、舞台の詳細は、
明日にでもまたアップしますね。

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基本的に相談されたりしない限り、
その人の成長などは見守っているだけ。

感性に関しては、
その人の自尊心だから、

ぼくとは「相反するのね」と思っても、

よほどのことがない限りは、
良いなと感じる箇所だけを、
ブラッシュアップしていくようにしています。

偉そうに書きました。

でもこれは、
若い頃からそうだったのではなく、

おそらくは、
ほとんどの同業者のなかで、
経験しにくい経験をしてきたことで、
いつのまにか構築されたものなのです。

でもときどき、
ほんとうにときどきですが、

寵愛しているような同志に、
落胆させられるようなことがあるんです。

表層だけで“わけ知り顔”をされたり、
その奥の機微までを掘り下げなかったり。

そういう浅はかさにでくわすと、

怒りすら超えて、
絶縁したくなります、笑。

偉そうに書きました。

でも、
ここがまだ、
ぼくが幼稚なとこ。

諭すよりも、
諦めのほうが先にたってしまう。

反省しています。

謝られたいんじゃないんです。

任せねばならないと思いつつも、
任せられる器なのか否かの判断を誤ったかもとモヤる。

ここでの器は才能という意味だけではなく、
得手不得手、経験値、適材適所という本質の部分なのかも。

ま、でもそこも本来は、
自らが気づかないと築けないのですが、

ぼくにも感性という、
自尊心があるせいで、
いまだ二の句が継げないでいるのです。

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Twitterを眺めていて、

太宰治の『正義と微笑』の一文が目にはいった。

勉強というものは、いいものだ。代数や幾何の勉強が、学校を卒業してしまえば、もう何の役にも立たないものだと思っている人もあるようだが、大間違いだ。植物でも、動物でも、物理でも化学でも、時間のゆるす限り勉強して置かなければならん。日常の生活に直接役に立たないような勉強こそ、将来、君たちの人格を完成させるのだ。何も自分の知識を誇る必要はない。勉強して、それから、けろりと忘れてもいいんだ。覚えるということが大事なのではなくて、大事なのは、カルチベートされるということなんだ。カルチュアというのは、公式や単語をたくさん暗記している事でなくて、心を広く持つという事なんだ。つまり、愛するという事を知る事だ。学生時代に不勉強だった人は、社会に出てからも、かならずむごいエゴイストだ。学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。けれども、全部忘れてしまっても、その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ。これだ。これが貴いのだ。勉強しなければいかん。そうして、その学問を、生活に無理に直接に役立てようとあせってはいかん。ゆったりと、真にカルチベートされた人間になれ! これだけだ、俺の言いたいのは。

文章が素晴らしく、
「学ぶ」ということの意味を改めて考えてしまいますが、

とくに響いたのは、
この「カルチベート」という言葉です。

この言葉、
いまのぼくたちこそ意識すべきでは?

cultivate
/kltvèit/
[動](他)
1 〈土地を〉耕す, 耕作する, 開拓する;…に耕耘こううん機を使う

2 〈植物・作物などを〉栽培する;〈水産物を〉養殖する;〈微生物などを〉培養する

3 〈才能などを〉(教育・訓練によって)養う;〈頭・心を〉鍛える;〈人を〉教化する;〈芸術・科学・産業などを〉興す, 育成する

4 〈友情・愛情などを〉はぐくむ;(人との)〈面識・親交を〉築く;〈人に〉取り入る

5 〈芸術・学問などに〉親しむ

6 〈ひげを〉はやす.

ここでは3の意味ですけれど、

「啓発する」や、
「洗練させる」など、

個人的に日頃、演出などをしていて、
言語化しにくい部分も内包し捉えています。

以前に読んだのは中学生だったので、
すっかり忘れていましたが、
さすがですね。

当然この「カルチベート」という言葉、
「カルチャー(文化)」とも関係していまして、

「耕す」と「文化」は英語においては同じ語源を有しているんです。

つまり、

文化は「こころを開拓してできるから」ということのようです。

農耕を意味する表現が、
文化にもつながっている。

ここにまたなにか大切なヒントがありそうですね。

これから、
この言葉を意識しつつ、

自らもまた、
日々、カルチベートさせていこうと思います。

そして、
ひげもはやしていきます。


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