月別アーカイブ / 2016年08月

「常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう」

とはアインシュタイン博士のものとされる格言です。

この言葉通り常識が偏見であるならば、その偏見を構成する環境によって、常識などというものはいとも簡単に変わってしまうものなのかもしれません。

就職を機に福岡から上京してきた身としては、まず言葉がありました。

福岡、もしかしたら九州全域、関西も含むのかもしれませんが、ものを片付けることを「なおす」ということがあります。「兄ちゃんその雑誌読み終わっとうなら、なおしとってー」と、そんな具合です。しかし、関西より東の地域では「なおす」はもっぱら「修理する」という意味合いでしか使わないそうですね。

別の例としては、ゴミの収集時間もあるでしょうか。詳しい方はご存知かもしれませんが、福岡市ではゴミの収集が真夜中に行われます

私個人でいうと、18歳で大牟田市で一人暮らしを始めるまでゴミ収集が夜に行われるのが常識だと思っていました。有明高専入学、15歳の時から福岡市を離れていたのですが、当初は寮に入っていました。それでゴミ収集の時間についても、いざ自分でゴミを出すようになるまで気づかなかったのです。

日本と海外という軸では、言葉の違いの他に文化の違いがあるとよく言われます。信仰、知識、法律、慣行……文化とは、ある面では常識にも通じるのではないでしょうか。

おそらく常識は、私たちの言動や判断を知らないうちに制限しています。もし常識というものが普段見えない無意識下のものであるとすれば、私たちは一体どう常識と向きあえば良いのでしょうか。

多くの方にとって、「常識」のもっとも身近な例であるだろう、働き方に目を向けてみましょう。

4月頃、BASEのえふしんさんが書かれた『新入社員の転職戦略』という記事を読みました。※

その年、その月に入社したであろう新入社員に向けて転職戦略を書くとは「えふしんさん、なかなかRockだなぁ」と思いつつ、事実として私は新卒4年目で既に二度、退職を経験しているので、実は割と多くの方にとって他人事ではないのかもしれません。

Wantedlyが企画した『CTOから新卒エンジニアへ伝えたいこと』の一つとして紹介されているものです。他の記事も読み応えがあるので興味がありましたらご覧ください。

5,6年前に作られた『Did you know』という動画の中で「今の学生は38歳までに10〜14の仕事につくと推測している」という話が出てきます。

これはアメリカの話ではありますが、『踊る大捜査線 THE MOVIE』の中で『アメリカで起こった事件は必ず5年後日本で起こる』という名言が出たことを考えると、やっぱり他人事じゃないのかもしれません。

私たち日本のスタートアップ企業全体が悩まされる問題の一つに「嫁ブロック」があります。「嫁ブロック」とは、大企業に勤める方がスタートアップ企業に転職を考える際に、配偶者の方に主に不安定さを理由に猛反対されて、結局採用につながらないことを言います。

こればかりは私自身が家庭を持っているわけでないので「自分の人生を他人に決めさせるなんてなんと大胆な!」などと適当なことも言えないのですが、すでにご家庭を持たれている方におかれましてはどんなところでしょうか。

ここで面白いのは、「大企業」「スタートアップ」という定義ですら、人によって違うらしいというところです。

スタートアップで働く私たちにとって、グリー、楽天、リクルートという会社は文句無しに「大企業」に分類されます。どこまでが「スタートアップ」で、どこからが「大企業」と言葉に明確な定義があるわけではないですが、それが共通認識、常識としてあります。
 
が、聞くところによるとこれら「大企業」ですら、嫁ブロックに合うことがあるというのです。つまり、人によっては私たちスタートアップの人間が見る「大企業」が「スタートアップ」に見えているのですね。

何をもって、どの視点をもって「偏る」というのかはありますが、時に常識なんていうものは都合よく形を変えてしまいそうです。

全ての事象に原因があると考えるフロイト心理学に対して、アドラー心理学では、全ての事象は目的ありきであるという目的論の立場をとります。

つまり、「ああであるからこうなった」ではなく「そうなりたいからそうなる」という考え方です。それだけきくと、いわゆる「引き寄せの法則」に近いものを感じますね。

このアドラー心理学に照らし合わせて考えると嫁ブロックも「転職したくない」という目的ありきで、後から「配偶者の方に反対されたから」という理由を付け足した、と考えることが出来るのでしょうか。

アメリカでは、スタートアップ企業によって昔からの企業の仕事がなくなる、ということが起きているそうです。UberAirbnbというサービスが有名で、前者はタクシー業界を、後者は宿泊の常識を変えました。

従来製品の価値を破壊するかもしれないが全く新しい価値を生み出すことを、「破壊的イノベーション」といいます。iPhoneやFacebookは、それぞれ携帯電話や従来のコミュニケーションを破壊したかもしれません。しかし世界を変えました。では、私たちは何を変えていけるのでしょうか。

常識と呼ばれるものを破壊(disrupt)するのがスタートアップの醍醐味です。であるのに、多くのスタートアップが最初の段階であるメンバー集めに苦労しています。

たまに「破壊的イノベーションはアメリカのシリコンバレーだから出来るのだ。日本は旧態依然の社会がイノベーションを阻害しているため、スタートアップが活躍できるような土壌がないのだ」という話を聞きますが、私はそうは思いません。

そもそも国も言葉も文化も違うのに、同じ判断軸で見るからいけないのです。そんな弱みがあるのであれば、そこから目を背けず、立ち向かっていくべきだと考えます。

明治時代の文明開化や、近代文学、高度経済成長がそうだったように、私は日本には日本の破壊的イノベーションのやり方があるのではないでしょうか。

「常識に不満があるなら、変えていけばいい」

シンプルな話だとは思いませんか?

個人的には「アイマスには人生に大切なものが詰まっている」(改変元ネタ)と割と本気で信じています。

だからというわけでもありませんが、仕事中にBGMとして聴く曲もほぼアイマスで、テンションを上げたり反対に気分を落ち着けたりする際に活用しています。そんなアイマス曲の中でも最近は下田麻美さんが声をあてる双海亜美さんの『YOU往MY進!』にハマっています。
 

アイマスライブでは随一のタオル曲としても有名ですね。念のために補足しておくとアイマスのライブでは声優さんがステージ衣装をまといアイマスガールズとして、パフォーマンスを行います。
YOU往MY進!では、確かサビでぐるんぐるんタオル回します。野球みたい。

この歌で歌われているのってまさに世の中を生き抜いていく上で大事なことだな、と思っていて、
瞬発力、全速力、精神力、あと体力
というところなんて、もろにスタートアップで肝要なところやなぁと。へこたれてる暇はないですぜ。

いい曲だな、と思って歌詞に込められた想いをみてみると、これまた思うところがあってやっぱり大切なものが詰まっている感があります。
 

声を当てている下田麻美さんもとても好きで、Twitterをぼんやり眺めていて不意に流れてくるツイートに元気をもらっています。
 

アイマスを語りだすと、とても一記事では語り尽くせないため(頭で整理がつく前に言葉が出てくる、ともいう)残りは同好の飲み会にとっておくとして、
あんだけ信じた道じゃん
いつかみんなでパーティ
さあエネルギーチャージしてOK
へこたれそうになることもありますが、これからもYOU往MY進!していきたいものです。

昨日橋本さんとお話する中で、学生時代に私が言っていたことが印象に残っていると教えていただきました。曰く、
自分も部谷くんのように橋本さんに認めてもらえるようになりたい
と言っていたそうです。
「部谷くん」とはQITOコースで同期だった部谷修平さんのことです。最近ではMilkcocoaの開発者として有名ですね。部谷さんは学生の時分からCloocaで未踏のスーパークリエイターに選ばれるなど活躍されており、上記はその活躍を羨んでの発言だったのでしょう。

黒歴史とも言える過去の発言を覚えられているあたり、昔からの知り合い怖いわぁwとまずはビビりつつも、今であれば当時、橋本さんが感じられていたという
違うんだよ、部谷くんと二宮くんでは同じ評価軸では見ていない
と、概ね同じことを考えられるようになったのかなぁ、とも思います。

互いに年月は積み重ねてきているとはいえ、彼我の立ち位置に当時と劇的な変化はありません。ではなぜそう思えるようになったのか。
 
自分では明確に意識はしていなかったですが、そこには何らかの考え方の変化、具体的には自分の弱み・嫉妬との向き合い方がいったものがあるはずです。

今日はこの辺りについて書いてみたいと思います。

自分語りとなり、また自分で言うのもお恥ずかしい話ですが、私は性格的に一般と大幅にズレている部分があるようです。「ようです」という表現をしているのは、あくまで他人からの指摘を鑑みて総合的に判断したからで、困ったことに全く自覚がなかったのです。

誤解していただきたくないのは、当人としては至極真面目にやっているのです。なのに、どうやら傍からみるとそうではないようにとられることが多い。

それで特に仕事の上では、「失礼だ」だとか「礼儀がなっていない」とよく注意されたものでした。つらいパターンだと「人間性に欠けている」と評されたこともありましたでしょうか。

どうやら私には他の人が当たり前にできていることが自分には難しかったようです。

自分では当たり前をやっているとはいえ、サンプルが数えきれないほどになってくると、嫌でもその現実に直面します。

当然悩みましたし、「常識」を身につけるために自分を抑えこもうとした時期もありました。しかし、できなかった。やはり、他人のイージーが私にはハードだったのです。

できない以上は仕方ない。最終的には、普通であることを諦めました。諦めたといっても、前向きな諦めというか、言いたい人には言わせておけば良いかな、とそんな風に気持ちが切り替えられるようになりました。

ただ勘違いしてはいけないのは、一見攻撃のように思える周囲の指摘も、ある側面からすれば真実を指しているということです。

物事には多面性があり、その中には自分にとって文字通り「理解に苦しむ」ものも少なくないだろうと思うのです。「他の人が当たり前にできている」ことを説く方々は「理解に苦しむ」ものを教えてくださっているのです。

そう考えると、むしろ言いづらいことを指摘していただいている分、言ってくださる方々には感謝すべきであることに気が付きます。

とにかく大事なのは、まずは自分自身が

自分がそうであることを受け入れる

ことなのだとある日、直観したのです。

何も状況は変わっていません。なのに、私の場合は心がふっと軽くなったのを覚えています。

心が軽くなると、余裕が出てきます。その時に気づいたのは、「他の人が当たり前にできていることが自分には難しかった」ことの別の側面である、「他の人には難しいことが、自分には当たり前にできていること」でした。

その時、弱みを克服しなければならない守りの姿勢は、強みを伸ばしていく攻めの姿勢に転じます。考え方を変えるだけでこんなに気持ちが変わるものか。ああ、うみねこで出てくるチェス盤をひっくり返すというのはこういうことだったのか!(適当です)

この経験で得られたのは、大事なのは「弱みではなく、強みに目を向ける」ということです。

自分は、どうやらこの分野が苦手なようだ。が、この分野であれば他人が苦だと思うことでも難なく出来る。おそらく皆さんの中にもそういう分野があるのではないでしょうか。

もし、その特性に気づいたらそれをちょっとだけ計算して使っちゃえばいいのです。強みにするのです。

そう考えるとあらゆる嫉妬や羨望は結局は「隣の芝生は青い」、そういうことなんじゃないかなぁと思うわけです。
相田みつをさんは、詩、もしくは書の中で「トマトがトマトであるかぎりそれはほんもの」と言われています。

身の程を知る」じゃないですが、自分の与えられた役割を思えば、他人の個性の発展もまたかけがえのないものに思えてくるものです。誰彼はこういうことができる。しかし自分にはこれしかないんだ、と覚悟が決まると不思議と気力も湧いてきます。

自分の弱み・欠点と向き合うのも程々にして、自分の強みを見つけ、それを信じて闘ってみる。
少なくとも今の私はそうやって、一日一日を生き抜こうとしています。
自分だけしか歩めない 大事な道ではないか
そんな、松下幸之助さんの言葉が胸に刺さります。

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