諸事情により遅くなりましたが、就職しましたのでご報告です。2月1日より、Repro株式会社というアプリ事業者向けのソリューションを提供している会社で働いています。

実はRepro社には独立した段階よりお仕事をいただいていました。はじめは他の会社さまとの掛け持ちだったのですが、昨年末頃よりRepro社一本となっておりました。それでは社員で良いではないかということで、今回の話となりました。

元々のご縁は共同創業者の三木さんで、Shinjuku.rbの運営を通じてお誘いいただきました。当時よりテックベンチャーで、高度な技術力を求められるというところに強く魅了され、お手伝いすることになりました。

振り返ると社会人人生、私の場合はまだ4年目ですが、その中にも何度か岐路があったなと思います。

グリー在籍時に社内転職制度があって、協業としてやっているアイマスのコンテンツを扱えるポジションがあったのですね。アイマスは好きなコンテンツである上に、ソーシャルゲームやりこんでいた時期でしたから、私にとってすごく魅力的に映りました。
 
ただその場合、職種はエンジニアでなくなってしまうという自分にとってのデメリットがあり、散々悩んだ挙句に(実際に面談も受けました)辞退してしまいました。

技術か、それ以外かという選択を迫られた時に、悩みはしてもやっぱり技術だという決断をしているのが、ここまでの私で。技術に囲まれた環境で、フロントエンドエンジニアとして働いています。

選りすぐりのエンジニアが集まる環境で、正直、自分自身の実力不足を感じる場面も多々あります。
 
とはいえ、やったもんが強いというのは世の理。行動で示していければと考えています。足りないのなら足りないなりにしがみついていきたいものです。

気がつけば20代最後の年を迎えていました。1年経てば、年が一つ増える。それは当たり前のことですが、年齢という定量的な指標の裏で、気づかぬ内にステージは変わり続けています。
 
いつまでも今の戦い方ではいけない。けれども、そもそも今のステージで勝てているんだっけ、と。挑戦はまだまだ続きそうです。

この土日は引っ越し作業を行っていました。引っ越し前のシェアハウスには昨年8月から6ヶ月おりました。半年という期間は短いようで長かったです。

他の方と遊びにいったり、ボードゲームを嗜んだり。シェアハウスでも様々な思い出をいただきました。

ただ不幸だったのは自分を置いている環境も相まってか、私の中にシェアハウスでの生活を受け入れられるだけのキャパシティがほとんど残っていなかったことです。

この点に関してはただただ、自分の力の限界を恥じるばかりです。私にとって一人の時間というものはそれなりに重要なものだったようです。
 
せめて、生活を共にしていた方々にぞんざいな感じに接していないと良いのですが。

一年の間に二度、住居を変える。見方によってはえらく変化があることをしているのですが、当人としてはあまり実感はありません。

引っ越し当時置かれていた状況を考えると致し方ないところはありつつも、衣食住を構成する要素の一つである住を軽く見すぎていたな、と反省しています。

一方で実際にやってみたからこそ改めて環境の大事さを知ることができました。

これが最適解なのかどうかは正直現時点では、なんともいえません。

まずは経過をみてみようと思っています。

時には強がることも肝要ですが、無理なものは無理であったりして。ダメになっているものにいつまでも拘泥していると取り繕う方に余計な力を使っているというのはよくあることです。

他人の捉え方や精神状態に気を配るように、自分自身にも気をかけてあげるべきです。さもなくば結局、気を遣わせてしまったり、心配をかけてしまったりすることになります。自分が思う以上に、他人は自分を見ていないし、一方で見ているものです。

とはいえ、限界を超えて行くことを常に求めるスタートアップでは、立ち止まって考える時間が得られず、それが故に不完全で、不完全故に余計に時間がかかってしまう、そんな負のループに陥ることも少なくありません。

兵は拙速を尊ぶ/急いては事を仕損じる

「適切なバランス」というのは書いているほど容易くは得られず、また得られたとしても刹那的なものです。いつだって現状と適切なバランスの間にある差分を見出すことこそ困難なことはないのかもしれません。

どうやら自分の場合は環境の劇的な変化がそれにあたるようで、労働環境、住環境、コミュニティの環境のこれらがいっぺんにくることで精神負荷が極端に上がっていたようです。

それをどうもしんどい、そう思い住環境を変更することにしました。

裁量が全くなくなるとよろしくないらしいことはどこかで読みましたし、まあ言われてみればそうだろうと頭では分かっていました。

しかし実際その身になってみると、言葉なぞは単なる記号に過ぎないのだなぁと改めて痛感しました。
やはり精神的な余裕を得る場所はある程度必要のようです。以前にもあったはずなのに、喉元過ぎれば熱さを忘れるとはこのことでしょうか。

継続的な余裕の無さは心をなくす。そして最後には人間の根源的な部分、自己防衛の体勢に入ります。
結果的に全体としてなんとかなればそれも笑い話なのですが、道の途中においてはそうもいっていられないのです。

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