気がつけば20代最後の年を迎えていました。1年経てば、年が一つ増える。それは当たり前のことですが、年齢という定量的な指標の裏で、気づかぬ内にステージは変わり続けています。
 
いつまでも今の戦い方ではいけない。けれども、そもそも今のステージで勝てているんだっけ、と。挑戦はまだまだ続きそうです。

この土日は引っ越し作業を行っていました。引っ越し前のシェアハウスには昨年8月から6ヶ月おりました。半年という期間は短いようで長かったです。

他の方と遊びにいったり、ボードゲームを嗜んだり。シェアハウスでも様々な思い出をいただきました。

ただ不幸だったのは自分を置いている環境も相まってか、私の中にシェアハウスでの生活を受け入れられるだけのキャパシティがほとんど残っていなかったことです。

この点に関してはただただ、自分の力の限界を恥じるばかりです。私にとって一人の時間というものはそれなりに重要なものだったようです。
 
せめて、生活を共にしていた方々にぞんざいな感じに接していないと良いのですが。

一年の間に二度、住居を変える。見方によってはえらく変化があることをしているのですが、当人としてはあまり実感はありません。

引っ越し当時置かれていた状況を考えると致し方ないところはありつつも、衣食住を構成する要素の一つである住を軽く見すぎていたな、と反省しています。

一方で実際にやってみたからこそ改めて環境の大事さを知ることができました。

これが最適解なのかどうかは正直現時点では、なんともいえません。

まずは経過をみてみようと思っています。

時には強がることも肝要ですが、無理なものは無理であったりして。ダメになっているものにいつまでも拘泥していると取り繕う方に余計な力を使っているというのはよくあることです。

他人の捉え方や精神状態に気を配るように、自分自身にも気をかけてあげるべきです。さもなくば結局、気を遣わせてしまったり、心配をかけてしまったりすることになります。自分が思う以上に、他人は自分を見ていないし、一方で見ているものです。

とはいえ、限界を超えて行くことを常に求めるスタートアップでは、立ち止まって考える時間が得られず、それが故に不完全で、不完全故に余計に時間がかかってしまう、そんな負のループに陥ることも少なくありません。

兵は拙速を尊ぶ/急いては事を仕損じる

「適切なバランス」というのは書いているほど容易くは得られず、また得られたとしても刹那的なものです。いつだって現状と適切なバランスの間にある差分を見出すことこそ困難なことはないのかもしれません。

どうやら自分の場合は環境の劇的な変化がそれにあたるようで、労働環境、住環境、コミュニティの環境のこれらがいっぺんにくることで精神負荷が極端に上がっていたようです。

それをどうもしんどい、そう思い住環境を変更することにしました。

裁量が全くなくなるとよろしくないらしいことはどこかで読みましたし、まあ言われてみればそうだろうと頭では分かっていました。

しかし実際その身になってみると、言葉なぞは単なる記号に過ぎないのだなぁと改めて痛感しました。
やはり精神的な余裕を得る場所はある程度必要のようです。以前にもあったはずなのに、喉元過ぎれば熱さを忘れるとはこのことでしょうか。

継続的な余裕の無さは心をなくす。そして最後には人間の根源的な部分、自己防衛の体勢に入ります。
結果的に全体としてなんとかなればそれも笑い話なのですが、道の途中においてはそうもいっていられないのです。

辛いものばかり食べていると甘いものが、甘いものばかり食べていると辛いものが食べたくなるようにその時々に置かれた状況で背反する要素を求めてしまうことがあります。

田舎に住んでいる時は都会に憧れてみたり、逆に都会での慌ただしい生活の中では田舎ののどかな景色に懐かしみを覚えたり。

このままじゃダメだと環境を変えてみた後ですら、たまに以前の環境を思い出してしまうのは、前はあったけれども今はない何かを必要としているからでしょう。それは空気のように自分を支えており、当然だと思っていたからこそ失って初めて気づく類のものなのかもしれません。

変化の最たるものである、極端に振れてみて分かるものは確かにあります。渦中においては、良いのか悪いのかの判断すらままならなくなっていることが多いですが。

極と極。きっとどちらかが良いとか悪いとかではなくて、それぞれに自分にとって合う合わない部分があって、あとは何がどの程度の分量が丁度良いのか、それだけな気がします。
 
ああ、自分はここのところがないとダメなんだ、こうでないと自然でいられないんだ、と、現状の違和感とかつての自分を比べてみて気づきます。 
 
自らを置く環境を変えながらも、変わらない自分を見据えていければ、どこかで最適な場所を見つけることができる。

そう開き直れれば、不安を抱えていたとしても、恥を晒したとしても、今、目の前の道を進んでみようという気にもなれるのでしょうか。

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