時には強がることも肝要ですが、無理なものは無理であったりして。ダメになっているものにいつまでも拘泥していると取り繕う方に余計な力を使っているというのはよくあることです。

他人の捉え方や精神状態に気を配るように、自分自身にも気をかけてあげるべきです。さもなくば結局、気を遣わせてしまったり、心配をかけてしまったりすることになります。自分が思う以上に、他人は自分を見ていないし、一方で見ているものです。

とはいえ、限界を超えて行くことを常に求めるスタートアップでは、立ち止まって考える時間が得られず、それが故に不完全で、不完全故に余計に時間がかかってしまう、そんな負のループに陥ることも少なくありません。

兵は拙速を尊ぶ/急いては事を仕損じる

「適切なバランス」というのは書いているほど容易くは得られず、また得られたとしても刹那的なものです。いつだって現状と適切なバランスの間にある差分を見出すことこそ困難なことはないのかもしれません。

どうやら自分の場合は環境の劇的な変化がそれにあたるようで、労働環境、住環境、コミュニティの環境のこれらがいっぺんにくることで精神負荷が極端に上がっていたようです。

それをどうもしんどい、そう思い住環境を変更することにしました。

裁量が全くなくなるとよろしくないらしいことはどこかで読みましたし、まあ言われてみればそうだろうと頭では分かっていました。

しかし実際その身になってみると、言葉なぞは単なる記号に過ぎないのだなぁと改めて痛感しました。
やはり精神的な余裕を得る場所はある程度必要のようです。以前にもあったはずなのに、喉元過ぎれば熱さを忘れるとはこのことでしょうか。

継続的な余裕の無さは心をなくす。そして最後には人間の根源的な部分、自己防衛の体勢に入ります。
結果的に全体としてなんとかなればそれも笑い話なのですが、道の途中においてはそうもいっていられないのです。

辛いものばかり食べていると甘いものが、甘いものばかり食べていると辛いものが食べたくなるようにその時々に置かれた状況で背反する要素を求めてしまうことがあります。

田舎に住んでいる時は都会に憧れてみたり、逆に都会での慌ただしい生活の中では田舎ののどかな景色に懐かしみを覚えたり。

このままじゃダメだと環境を変えてみた後ですら、たまに以前の環境を思い出してしまうのは、前はあったけれども今はない何かを必要としているからでしょう。それは空気のように自分を支えており、当然だと思っていたからこそ失って初めて気づく類のものなのかもしれません。

変化の最たるものである、極端に振れてみて分かるものは確かにあります。渦中においては、良いのか悪いのかの判断すらままならなくなっていることが多いですが。

極と極。きっとどちらかが良いとか悪いとかではなくて、それぞれに自分にとって合う合わない部分があって、あとは何がどの程度の分量が丁度良いのか、それだけな気がします。
 
ああ、自分はここのところがないとダメなんだ、こうでないと自然でいられないんだ、と、現状の違和感とかつての自分を比べてみて気づきます。 
 
自らを置く環境を変えながらも、変わらない自分を見据えていければ、どこかで最適な場所を見つけることができる。

そう開き直れれば、不安を抱えていたとしても、恥を晒したとしても、今、目の前の道を進んでみようという気にもなれるのでしょうか。

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。毎年恒例の今年の抱負を簡単に書いておければと思います。

1. 心に余裕を持たせる

2016年は特に後半からはやたらと走り続けた一年でした。

『ベンチャー系行ったらレベルが高すぎて辛い。』という記事を見ましたが割とそんな感じです。組織の平均レベルに達していないから頑張る、けれどまだまだ足りていないというそんな状況が、徐々に焦りに変わっていくそういう負のループに陥りかけていた、もしくは陥りかけている状態だと考えます。

周囲にもその状況は気づかれているようで、実際にシェアハウスの方からは「帰りが遅くて自分の時間を取れていないように思う」とご指摘いただいてもいました。限りある時間を有効活用するのも大事ですが、あまりに意識しすぎて逆効果になっていることはないでしょうか。

なんらかの集団においてはどうしても、パレートの法則じゃないですけれど、ばらつきは必然的にできてくるものなんだろうと思っています。そして今の私にとっては、ついていくために努力が必要な立場だと思っています。

今の状況に甘んじることはできますし、さらに上を目指すこともできます。ただどちらにしても、せっかくのエネルギーも空回りしてしまうのはもったいないです。急いては事を仕損じるとも言いますし、自分自身のパフォーマンスを最大限に発揮するためにも、もう少し意識的に心に余裕を持たせられればなぁと考えるのです。

2. 自分の軸を模索する

物事に多面性があるということは理解しつつも、何かを決断する際には自分の中に何らかの支持する主張が大事になってくると考えます。決めるということについては意識的に行ってきた2016年ですが、その根拠に説明可能なぶれない主張を持てていたでしょうか。

その時々で、支持する主張を変えることもできます。が、「自分自身として」確固たる軸のようなものがないと、長い目で見た時に一貫性を持たせることが出来ず、論理として破綻してしまうでしょう。

実際に数ある決断の局面の内には、その場しのぎの情報で何かを決めてしまうこともゼロではありませんでした。このメソッドの欠点は他者の強い主張に左右されやすいことだと思っています。

軸がないものですから、相反する二つの主張に触れた時は単なる事なかれ主義のように、気づけばまごついてしまうことも多くなっていました。これでは他者からの信頼も得られません。

何かをつきつめて、夏目漱石先生がおっしゃっているような、
ああここにおれの進むべき道があった! ようやく掘り当てた!
という実感を得られるような道を、模索していくことができればと思うのです。

いよいよ2017年、私にとっては20代最後の年を迎えます。上手くやりながら、流れに乗りつつ、生き残っていければと思います。

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