先日のAmazon Prime Dayで安くなっていたのでKindle paperwhite (マンガモデル)を買いました。通常18,000円くらいする端末が1万円弱で手に入るということで、以前から興味があったとはいえ衝動買いに近い形での購入です。

私はこれまでも割とKindleコンテンツを購入することが多かったため特に抵抗はありませんでした。特にマンガのような娯楽作品は量が増えてもかさばらない点で電子書籍が良いと考えています。ただしこれまでは専用端末ではなく、MacbookやAndroid(モバイル)での閲覧が主でした。

が、通常の端末では、どうしても横になりながら読むのにはノートPCでは本のように持ち運べづらかったりモバイルでは画面が小さすぎたり、と不便を感じていました。また、就寝前にKindleを利用することが多いのですが、今から寝ようというタイミングで強い光を浴びてしまうのはどうなのかという話もありました。

その点、専用端末は紙に近い自然なスタイルで読むことができるので重宝しています。Kindleのモデルのうちメジャーであるpaperwhite には、バックライト機能も備わっており刺激になりすぎない程度に明るさを調整することもできます。また、通常のディスプレイと異なり電子インクですので、天気が良い日に外に持って出かけても画面が見づらくなりません。私も実際に日中外で使ってみましたが、紙の本と何ら変わらず画面を見ることができました。

買って半月ほどですがとうとうKindle Unlimited にも登録してしまいました。いくつか読みたいUnlimited対象の本があって、販売価格合計がUnlimitedの月額利用料を超えていると軽い気持ちで登録してしまいますね。

Kindle paperwhiteを買ってみて、最初の感触は悪くないと思います。あとは利用するスタイルが定着すれば、良い買い物できたといえるのではないでしょうか。 

先週末は『YAPC::Fukuoka』に行ってきました。福岡は私の地元で、かつ盆正月に帰らないので、親に顔を見せる目的の帰省も兼ねての福岡でした。

今回の参加では、技術的な示唆を得られたのと新しいつながりが得られたのが大きかったなと思います。技術的なところでいえば『Web APIの未来』の発表が面白かったです。

こちらの発表は後半GraphQLの話で聞いた感じ、自分が抱えている技術上の課題を解決してくれるものになりえそうなので、これはしっかり弊社CTOの意見(こことかこことか)も含めて深掘りしようと思えました。『クライアントはいつまでサーバーを意識するべきか ~設計議論の過程~』にも通じる話である気がしています。

ともあれ触ってみないことにはわからないことには違いありません。

つながりの部分では普段がRubyという言語コミュニティ中心にPerl Mongersと呼ばれる方々に混じってカンファレンスに参加するのは新鮮でした。Rubyのコミュニティに閉じていては絶対に会えない方との話はそれだけで価値があるものだと確信しました。

あとは福岡はかれこれ一年ぶりでしたので懐かしさも感じましたね。一年前の今頃は(当時は審査制だった)丁度LINE Blogの開設手続きをしていた頃でした。そして、今回の会場はLINE Fukuokaオフィスで、これまた一年前もこのオフィスに来たな、と感慨深くなりました。

YAPCコミュニティにしても、福岡にしても良い刺激となりました。良い週末でした。

天気が良ければ一日一回外に出るようにしています。人間とはいえ動物、陽の光を浴びないと気分が落ち込んでしまうものだから。特に普段デスクワークをしておりますと、ついつい忘れてしまいがちです。

同様の理由で運動することについても、意識的に行うようにしています。これらは精力的に日々を過ごす十分条件ではないようだけど、やって損はないのかなと考えています。

自由であることは難しいことだ、とつくづく感じる今日このごろです。なんせ答えを自分で見つけ出さなければならないのですから。

無意識意識的問わず、評価されることで行動を起こしてきた人間にとって、自由は手にあまるのかもしれません。こうすれば嫌われない、こうすればよく思ってもらえるなんて常によそに基準を求めてしまう。

とはいえ「ならば」と一念発起して動こうとすると、必ず突き当たるのが、では自分は何がしたいんだっけ?という命題。嘘偽りなく簡潔に、この問いに答えることができるのでしょうか。

そんなことを考えていると気づけば思考の迷路にはまり込んだりして。一度悩みに意識を絡め取られると、すっきりしない気分のまま毎日を過ごしていくことになる。

私個人の経験としては、ここ最近は特にそういうことが多かったな、という印象で、じゃあ悩みの因数分解のようなテクニックもある中でどうしてそうなってしまうのかを考えてみました。

自分なりに考えた答えでは一つ一つが不完全燃焼だから、なんですよね。何か物事に対して十分に考えこめる時間が取れない、整理する時間が取れない、だから意識をはがせない。

そもそもが考えすぎだ、という指摘はもっともで、本来気にしなくても良いところまで気にしてしまうきらいは確かにあります。

そういう性質だから心配事が次から次へと現れて、考えるだけ考えて、もうそもそもが何に悩んでたのかわからなくなってもモヤモヤだけが残ってしまう。モヤモヤした状態だと本来の能力も発揮できない、それが新たな悩みの種になる。おおよそそんなロジックです。

あくまで私の場合ですが、最近では般若心経の現代語訳が気持ちを楽にしてくれました。そういえば、過去には近所の教会の日曜礼拝に参加するというのも有効でした。

これらに共通することは、自らに求めず、また自らを受容するという姿勢です。性質が考え過ぎならば、意識的に考えないようにする。

何か閉塞を感じたら、第三の視点をもって自らを省みるのも良い手なのかもしれません。

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