実は皆さんに、

去年の12月くらいから、

伝えよう伝えようと思っていたことがありまして。


少し長いし、拙い文章ではあるのですが、最後まで読んでいただけたらなと思います。









僕が小学生3年生になった春、我が家に新しい家族がやってきました。

まだ産まれて間もない、

オスの赤ちゃん猫です。

手のひらに乗ってしまうくらい小さな身体でした。



新聞を読んでいた父が、里親を募集している猫の広告を見て、連絡をしたのがきっかけです。

その子猫は僕の家に来てからずっと、「みゃーお!みゃーお!」と怯えた様子で深夜まで鳴いていました。

その子猫の鳴き声から、母はその子猫に

「みゃお」

と名付けました。




深夜なので兄と弟はすでに眠っていたのですが、僕はどうにも気になって、怯えて鳴き続けるみゃおちゃんをしばらく見つめては、みゃーお!と鳴き返していました。

そのとき僕は小学3年生ながら、こんなことを頭の中で考えたのを覚えています。

「僕は家族と一緒に暮らしているけど、このコは産まれて間もないのにたった一人でここへ来たんだ。それならせめて、このコがいつか死ぬとき、この家に来てよかったなって思ってもらえるような、そんな飼い主になろう。」

と、心の中で決意しました。

こんな難しい理屈では考えていなかったけど、そんな感じの寂しさと熱い想いがよぎったんです。






しかしみゃおちゃんは、全然僕ら家族に懐きませんでした。

必要以上には寄ってこず、そんな様子に家族も慣れて、みんなあまりみゃおちゃんに干渉もしなくなりました。



ある夜、みゃおちゃんは座布団の上で丸くなって寝ていました。

「寒そうだなー。。」

なんて思い、思い切って寝ているみゃおちゃんを自分が寝ている布団の中に押し込みました。

突然のことに驚くみゃおちゃん。

しかし、

どうやら暖かくて居心地がよかったらしく、そのまま僕の腕の中で再び眠ってしまいました。




その寝てる顔が、

やっぱり、

当然の如く、

すんごく可愛い。


それからというもの、少しずつ距離は縮まって、夏でも構わずみゃおちゃんは僕の布団の中に入ってくるようになりました。



嫌なことがあった日も、

辛くて泣いた日も、

一人ぼっちでどうしようもない日も、

一日の終わりにみゃおちゃんと一緒に過ごせるだけで、なんだか全部どうでもいいやって思えました。





僕が音楽を本格的に始めたのは17歳の頃。

それからはメジャーデビューさせていただいて、東京をはじめ、いろいろな地方でライブをしたりすることも多くなりました。

兄は結婚をして家を離れ、弟と母は一緒に東京に住み、家にいるのは父と僕だけ。

しかし父もあまり家には帰れない仕事をしているため、家にいることができるのは僕だけでした。



今まで幾度となく、たくさんの方にこう聞かれました。

「東京に住まないの?大変じゃない?」
と。

正直、日を重ねるにつれて札幌と東京を行き来する毎日は少ししんどく感じるようになっていきました。




しかし、それを差し引いても、

みゃおちゃんと過ごせる時間っていうのは、僕にとってはかけがえのない大切な時間で。

天気の良い朝は散歩をして、お腹が空いたら一緒にご飯を食べて、なんかよく分からんネズミみたいなおもちゃで遊んで、疲れたら一緒に寝て。

そんな時間が、僕の何よりの癒しでした。



東京へ向かうため家を出るとき、

「行ってきます!」

とみゃおちゃんに言うのですが、

その意味が分かっているのか、

ドアを閉めたあと、そのドアを必死に開けようとドアをカリカリするのです。

その度いつも「ごめんよ…」と涙を拭いて旅立つのですが、

東京や地方でのライブや仕事を終えて札幌に帰ると、みゃおちゃんは大きな声で鳴いて駆け寄って来てくれるんです。

さみしかったよーーーーー

って。(きっと)

おしっこを漏らして喜んでくれた日もありました。

超臭かったけど、みゃおちゃんが喜んでくれるなら、ずっと札幌に住み続けようと思っていました。

もちろん僕がいない間は父が毎日家に帰って世話をしてくれていましたが、父にはあまり懐いていなかったのです笑





そんなある日、

東京から帰ってくると、みゃおちゃんがエサを吐いたのであろう跡がたくさんあり、少しぐったりしていたので、おかしいなと思い病院へ連れていきました。

今まで一度も病気にかかったことがなかったので、体調悪いのかなーくらいに思っていました。






しかし、

先生に診てもらった結果、

みゃおちゃんは「腎不全」という病気でした。

腎不全というのは、腎臓の機能が鈍り、本来吸収されるはずの栄養や水分がそのまま体外へ排出されてしまう病気です。

尿に含まれる毒素なども本来はここで吸収されるのですが、腎臓が機能していないとその毒素が身体中に巡ってしまい、命を落としてしまう危険性もある病気です。
 


「この種類のネコにはよくある病気なのですが、この病気は決して軽視できない病気なので、病院で預からせていただいてもいいですか?」

と先生に言われ、みゃおちゃんを預かっていただきました。

僕はかなり、パニクっていました。



この前まで元気だったし、散歩に行った時もあんなにはしゃいでたし、どうせまたすぐ良くなっていつもみたいに遊んだり一緒に寝たりできるんだ

と、思っていました。




しかし、病気は悪くなる一方で。

毎日時間の許す限り、会いに行きました。

辛そうに横たわって眠るみゃおちゃん。

数日前までの元気な姿が嘘のよう。

少しずつ弱っていくその姿を見るだけで、何もしてやれない自分がすごく腹立たしかった。

「とても言いづらいのですが、これはもう、覚悟しておいた方がいいです。いつその時が来てもおかしくありません。」

と先生に言われました。



しかも、

僕は次の日から3日間、東京へ行かなければなりませんでした。

東京でのリハーサルをすっぽかすわけにもいかないので、僕は父に、みゃおちゃんの様子を毎日病院に行って確認してほしいと頼み、重い足取りで東京へと向かいました。





東京に来て一日目の夜、父から連絡がありました。

「今夜が山みたいだ。」

その言葉に、僕はもう、絶望するしかありませんでした。

会いにも行けない。

苦しくて苦しくてどうしようもない。

僕の人生の全ての運を使い果たしてもいいから、みゃおちゃんを元気にしてくださいと、心から思いました。

 神様なんて信じちゃいなかったけど、この時ばかりは願いました。
 




そして眠れないまま朝を迎え、

悶々としていると、

病院から電話がきました。





僕はその電話に、死ぬほど出たくありませんでしたが、一呼吸してから、僕は電話に出ました。



「みゃおちゃんなのですが、信じられないくらい、回復しました。まるで、何かに守られているかのようです。わたしも、こんなこと初めてで、とても驚いています。みゃおちゃん本人が、頑張ってくれたんでしょうね。」


僕は間違いなくこの瞬間、

人生で一番、喜んでいたでしょう。



「このまま良くなればおうちに帰れる可能性もあるので、引き続き治療を続けさせてください。」

と先生は言っていました。

僕が神様を信じた瞬間でした。




そして東京でのリハーサルも終わり、

全速力で札幌へと帰り、

病院へ迎えに行くと、

万全とまではいきませんが、みゃおちゃんはとても元気になっていました。

栄養剤投与と錠剤の治療は続けるものの、家に連れて帰ってもいいと先生に言われ、一緒に家へ帰りました。

僕はまた一週間後に東京へ行かなければならなかったので、その時は治療も兼ね病院で預かってもらう約束をしました。

とりあえずはそれまでの間、みゃおちゃんを全力で可愛がってあげようって、やりたいことはなんでもさせてあげようって、思いました。

今までだって全力で可愛がっていましたが、いつも以上にみゃおちゃんのわがままに付き合ってあげました。

いつもなら節約のために消してしまう暖房もつけっぱなしにして一緒に寝たり、

いつもなら危ないから連れて行かない散歩のルートにも僕が細心の注意を払って連れて行ってあげたり、

もうやめてくれってなるくらい撫で回してあげたり。

いつもどうりの幸せそうなみゃおちゃんの顔が、そんな毎日が本当に本当に、何よりも幸せでした。

この一週間は、本当に大切で、尊い時間でした。





そして、

また僕が東京へと向かう日、みゃおちゃんは僕よりも早起きしていて、水飲み場で水を飲んでいました。

おいしそうに水を飲む姿に、僕はホッとしました。

そんなことをしているうちに、バスに遅れそうになってしまい、急いで支度をして、

「行ってきます!」

と叫びました。

しかし、みゃおちゃんの姿はありませんでした。

首に着けてる鈴の音だけが、

チリンと聞こえて、

バスに遅れそうな僕は急いで家を飛び出しました。

その日のお昼頃に仕事から父が帰ってきて、みゃおちゃんを病院へと連れて行ってくれました。








しかし、

そこから容態は一変して、





その2日後の12月13日の朝6時半頃、

みゃおちゃんは虹の橋へと行ってしまいました。




急いで札幌へ帰り、病院へ向かうと、

病院でも少しでも安心してくれたらなと思って、みゃおちゃんのゲージの中に入れておいた僕がいつも着ているパーカーに包まれて、みゃおちゃんが眠っていました。

受け取った時、

いつもよりもすごく軽くて、すごく冷たかった。

その瞬間は涙も出なくて、

ただ先生に、お世話になりました。ありがとうございました。

とだけ伝えて、病院を出て。

帰る途中、みゃおちゃんと散歩した道を歩いている時に、涙が止まらなくなりました。



いっぱい撫でてあげたら、またいつもみたいに喜んでくれるんじゃないかと思ったり。

家に帰ってみゃおちゃんを見つめても、呼吸もしてないし呼びかけても全然動かない。

抱きしめるといつもはあったかいのに、冷たい。

今目の前にある現実を受け入れてなきゃって思うけど、全然理解できない。



それからそんなに日も経たない内に火葬を頼んだのですが、亡骸を渡してしまったら、もう二度と会えなくなるんじゃないかっていうためらいが未だにあって。

本当に眠っているだけのように見えて。

骨になった姿を見て初めて、目の前の現実を少しだけ理解することができたような気がします。





みゃおちゃんがうちに来た日の事は、今でも鮮明に覚えています。

不安そうな顔をしている君を見て僕は、初めて誰かのために何かをしたいって思えたこと。

「愛」って言葉なんて今までちっともピンとこなかったけど、そんな言葉の意味も、今なら少しだけ分かる気がします。

僕は、みゃおちゃんがここにきてよかったなって思えるような飼い主でいられたかどうかなんて分からないけど、僕だけじゃなくて、たくさんの人に愛してもらえて、きっとそれは他の猫よりも幾分かは、幸せだったんじゃないかなって信じています。

虹の橋で、みゃおちゃんのお父さんお母さんと、幸せに暮らしてくれていたらいいなって、今では思います。



この事をずっとずっと伝えようとは思っていたのですが、こうして文字を打ち込んでまた再認識させられるのがすごく辛かったので、半年が経った今更ですが、みゃおちゃんを愛してくれたみんなに、伝えることにしました。



みゃおちゃんが最後の最後まで諦めずに病気に立ち向かって、頑張って、僕にくれた最後の一週間。

この一週間が無かったら、きっと今よりもっともっと辛くて悲しくて、どうしようもないくらいの後悔に溺れていたと思います。

最後の最後まで、

諦めずに頑張ってくれて。

君がいてくれたことで、今まで僕はどれだけ救われてきたか。

最後まで気を遣ってくれて、

本当にいい猫だったなって、

心から思います。



半年以上が経っても、やっぱりこの文章を打ち込んでいる今も涙は止まらないし、これから先も思い出す日は続くんだろうけど、みゃおちゃんが虹の橋で、「僕の飼い主はすごい人だったんだよ」って自慢できるような人になりたいと思うし、みゃおちゃんっていう猫が、一生をかけて僕と一緒に居てくれた時間を無駄にしないように、これからもずっと、遠くまで届けられるように、一生懸命歌っていたいと思います。

それが僕にとっての、

「生きる意味」

だと思うので!






なんて!

ここまで長々読んでくださってありがとうございました!



みんなも、今一緒にいてくれる誰かの大切さなんてのは、誰に言われなくたって分かってるんだろうけど、

その当たり前を、ずっと大切にね。

本当にありがとう。

 




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