親との関係で
心を傷めた私たち。

それでも前向きに人生歩んでいくには?

神崎メリの実体験を交えて、
考えてみました。




その1はこちら


lalanちゃん

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なるほど。
理解しました。

お母さんが子供である原因。

父親を亡くしたという、
事実を受け止めることを、
心が拒否したのでしょう。

父親の死に、周りの大人が錯乱した姿をみせたのかもしれません。
その光景が鮮烈なトラウマになり、
恐ろしくてたまらなかったのかもしれません。


母子家庭。
今の時代ですら、
偏見の目で見る人はいますよ。
死別なんて選びようがないのに。

lalanちゃんのお祖母さん、
どの様な苦労をして子供を育てたか。

その苦労してる姿すら、
お母さんは、受け入れることを拒否したのかもしれません。

人間は、特に幼少期に
ショックを受けると、
精神が崩壊するのを防ぐために
いろんな防御反応を起こします。

例えば、多重人格もその一つです。

幼かったお母さんの心は、
「知らない!私関係ないもん」
そう、子供のままでいることを選択し
精神の崩壊から自分を守ったのですね。。。

幼稚で、自分本位で、
見え透いたウソなんてついたりしてしまうのかな…?

無責任で、話が通じないことがあるのかな…?

lalanちゃんからしたら、
そんな母親の姿は、ただただ恥で、
「いい加減大人になれ!」と
腹立たしいのかもしれません。

でもね、お母さんの問題は、
お母さんのもの。

貴女が介入したり、
気を揉むだけムダなんです。

「おじいちゃんが亡くなってから
心の成長が止まってるんだね」

同情するわけでもなんでもなく、
ただその事実を受け止めてください。


ここから先は、
lalanちゃんのこと。

お母さんが幼かった自分を癒せてないように、貴女にも全く同じことが、
母子間のカルマとして起きているの気がついてますか?

お母さんから受けた心の傷。
特に幼少期のもの。

貴女の心の奥で、
小さかった自分が、
「辛かった」「寂しかった」「悲しかった」
泣いてるの気がついてますか?


私も、二十代になった頃

常につきまとう苦しみ、
孤独感、無力感の原因は何か?

心の階段を降りていったんです。

そこには、幼かった頃の自分がいた。

「寂しかった」

そうだ、私はずっと寂しかったんだ。

こんなことに気がつくのに、
こんなにも時間が掛かった。

幼かった私の心は、
「寂しい」という感情に蓋をして、
自分を守ってきたんです。

自分で自分の傷を正面から
抱きしめて、「寂しかったね」
「あの時は辛かったね」
ひとつひとつ受け止めたとき、
やっと傷が癒されだしました。

自分の傷を、自分で引き受ける。
それが大人になることだと、
私は考えています。

その過程で、
お母さんに対する、憎しみ恨みの感情が
ドロドロと溢れだすかもしれません。

膿を出し切ってかまいません。

出し切った先には、
自己のとらわれからの解放
が待っています。

「親があんな人だから私は不幸」
そういう概念で自分を縛っていた。
心のどこかで幸せになることに、
不安と罪悪感を持っていた。

それをやっと手放せる日がきます。


だから、自分の受けた心の傷と、
向き合ってください。

私は小さかった頃の自分を、抱きしめ
慰めるイメージでした。
(後で知るのですが、インナーチャイルドの癒し方らしいです。)

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私たちは皆、
親からの愛情を受けて
心を成長させていきます。

愛情が不十分だと、
20歳になっても、
80歳になっても、
ずっとずっと満たされぬ思いを
抱えて生きていき、

様々な人間関係のトラブルの原因、
自己肯定感の欠落、生きづらさとなって、
人生を困難なものにさせます。


そんなとき、
悲しみを冷静に分析し、
自分で引き受けて抱きしめていく。

私はそうしてきました。

それがカルマのカタルシスとなるのです。

「親があの人だから私も遺伝するかも」

わかるんだ。
私もずっと自分は幸せになれるはずがない、そう決めつけてきたから。

もう、とらわれるのは、やめよ。
一度の人生、真っさらに、
なりたい自分になるように、

誰のせいにもせずに、
愛に真っ直ぐにいきていこう。


私の価値は私が決める
私の人生は私が掴む
誰のものでもない
誰にも決めつけさせない

自分にも決めつけさせない



私は精神の専門家ではありません。
ただ、ここを読んでいる貴女が、
何かヒントになれば、、
と実体験を交えて書いてみました。



神崎メリ