今日も、THE 夏の魔物のテーマのイントロ部分をサプライズ的に歌わされた、成田くんに。

成田くんはそういう男だ。
私は当然ながら滾って、たぎってしまったがゆえに成田くんのキーで歌ってしまい、当然のことながら音程は外れまくった。
音程が外れたとしても別に良い、という判断をくれるのも、昔からだ、むかしから音程外れてもいいのでボルテージ全開でやってみてくださいとレコーディング等でわたしに言ってくれるのもやはり成田大致であった。

思えば長い間一緒に音楽をやってきた。
DPGという以前成田くんと組んでいたバンド時代、私は成田くんのいいところは「他力本願」だ、どこかで言ったことがある、このときわたしはこの言葉に「自分以外の、自分がこれだと思った人の力をうまく使うことができる」という意味もこめて使った。


しかしながら、そのころの彼は他人の力を重んじすぎるところもあった、裏を返すと「自分に自信がない」ということが秘められていたように思う。



★★★★


わたしは40歳になってしまった。
これまで、うまく生きてこれたかといえば、まったくのところそうではない。
後悔だらけである。


特に、これまで自分が前に出て、自分をアピールして、欲を持って成功しようなどとした時、多くの間違いをおかした。
自分に対する価値判断を間違えた
自分を過大評価した
自分を本当の自分より良く見せようとした。

そうしたときにおこった後悔は、いまもときおり蘇り、傷をふたたび開ける


成田くんだって、そんな時もあったろう、

俺はいつでも、こいつは俺に似ていると思ってきた。
バランスは違うが、
似ていると思ってきた。


だから今日の彼の叫びを聞いて、わたしはけっこう感動した。

成長していた、昔と比べてね★

彼が本気で言ったことに、真実が込められていた、それは、
音楽がやりたいという気持ちだ。


そして彼は「主語」の話をした。
ここにいるとき、ステージにいるとき、グループである限り、主語は俺や私でなく
「THE 夏の魔物」だと。


さて
さきほど出てきた
「他力本願」
という言葉、
本当は「自分以外の人の力をあてにする」というような意味ではないらしいのだ。最近知ったのですが

仏教用語で「他力本願」の「他力」は、
他人の力のことを意味してはいない。

ブッダは自我を無くせと言ったらしい。
無我の境地というやつだ。
他力とはその境地にいたったときに出てくる総合的な力だ。
その力は、自分の欲を無くすことで、自分のエゴを無くすことで、出てくる力であり、自分の力と他の力、すべての力が、ひとつになったものだという。



他力本願とは、そのように、自分の力と他の力がひとつになることを願うことだ。自分の力であり、同時に同等にみんなの力であることだ。


自分の我欲を消すことで、本当のわたしの力を出すこと、それは究極的に、わたしがこのグループで経験したいことだ。
みんなのためにやることで、わたしの力をみんなの力にしたいのだ。


自分ばっかり、そんな世界である。
自分が自分が、自分があふれている、そこらじゅう、自分だらけだ。わたしのなかにも、たっくさん「自分」が巣食っている


今日演奏した新曲「音楽の魔物」のなかの歌詞に

「どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして自分ばっかり」

とある。
奇しくもそれを今日わたしたちは叫び倒したのだ。


★★★★


昨年の1月6日から丸一年たったわけだが、
今日こそ
真の意味で「THE 夏の魔物」は生まれたと思う。
音楽がやりたいだけだ、そう言ったときの成田くんには、あのころにはなかった自信があらわれていた。
あれらの叫びは、THE 夏の魔物の
「産声」であった。


わたしもMCで精神年齢は4歳だと言った。
まだまだ生まれたてとちょっとだ。
バブってるんだ。
バブー!

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