最近毎日ジェットコースターである。

プリント位置が違う!
フォントがどう!看板がどう!締め切りがどう!
この件はどうなってますか!今このタイミングで?!
間に合わない!あれはどうした!これは?!
諦めるか、、、いやそれはない。それでこの余裕ないときに今度なに!

ぶっちゃけ常に極限状態でもはや精神錯乱だ。
たくさんの人が関わってくれてこの今があるということはわかっているんだけど、
多々まわりの人を困らせてしまっている。
自分でも自分がわからない(人間のキャパをあげたい)。
ほんとうにすみません。ごめんなさい。

というわけでブリーチしながら書きはじめました。
後編です。


■2012年7回目
前の年マリーズが地球村でものすごいライブをして、
西さんがギターを燃やし、ある意味俺も燃え尽きてしまってた。
マリーズが解散してしまっただけに、
なんか次のことを魔物でもみせなきゃ、そう思った年。
全部ぶち壊して、一番最初にやりたいと思ったことやろう!と振り切った。
リミッター解除して、ロゴもホームページも全部変え、
俺の部屋のような空間を作るイメージでブッキング。上京してより幅が広がった。
99年ライジングサン初回のJAPANの表紙のような、夢の共演。
そういう光景を目指して、何もかもぶちまけたら赤字も倍に。
会場を夜越山に変えて初回。とんでもなく時間が押した。
星降る中のブッチャーズとOGRE。
吉村さんから突然電話が来て、最後に話したのもこの年。


■2013年8回目
2012年のリベンジ。整理されてきた。
マッスル坂井さん、大槻ケンヂさんをやっと呼ぶことができた忘れられない年。
大根監督が森山未來さんを連れて来たり、宮藤官九郎さんに参加してもらえたり、
大仁田厚さん、しょこたん、ビッグダディ、影山ヒロノブさん、
飯伏さんとアントンさんのシングル、ゴールデンボンバー歌広場さん、
川越シェフ…なんかゴージャス?な年だった。
ついにエンケンさんやZAZEN BOYS、envy、GOMAさんに出ていただく。
向井さんにテントの中で『なんでバンドをやらんのだ』と言われたのを覚えてる。
この前三栖さんとも話したが、今ようやくその時と繋がった感じだ。
BiS、リクエストしたセトリがハマり熱狂の渦に。
トリはトモさん。感動的なラストだった。


■2014年9回目
Uインター対新日本、みたいな熱気がある空間になると思ってたらできなくて悔しかった。
水木一郎アニキ、藤岡弘、さん、蝶野正洋さんが降臨したのもこの年。
体調悪くてポカやってしまい、滝のように涙を流しTHA BLUE HERBをみた。
TOSHI-LOWさんに「お前がやってるんだから、自分でしっかりやれ。
それで初めて『夏の魔物』が形になる。そのときにもう1回出てやるから」と言われる。
帰り道、坂井さんとKAMINOGE井上さんと劔さんに相談し
「案外真剣にやってるんだ!」と驚かれる。何度目かのターニングポイント。


■2015年10回目
家族とセパレートし、迎えた10回目。青木さんたちにとにかく助けられた。
人生を左右する出会いがあった年。トリは地元 人間椅子。
井上さんのおかげで桜庭さん坂井さんVSカシンさん葛西さんという夢のカードも実現した。
初登場サニーデイ、セトリリクエストを全部やってくれてとてつもなく大感動。
個人的ハイライトは夜越山に鳴り響いたソウル・フラワー・クリーク。
ナンペイさんがほぼ自腹で花火をあげてくれた。
ステージの屋根はビニールシート。
今年もこのくらい切り詰めて、なんとか赤字を避けたい。。
松尾さんにこの時期にドキュメンタリーを撮っていただいていたが、
お蔵入りにしてしまったのもこの年。いろんなものが崩れていった。


■2016年11回目10周年
キャニオンと。なんだかもうとにかく疲れてしまっていた。
10周年。曽我部さんにお願いしてなんとソカバンで出ていただく。
正直ソカバンのこと以外だと、袖で大内さんと2人で、向井さんにリクエストした
IGGY POP FAN CLUBを見たことと、
ハヤシさんに初回の時渡せなかったせんべい汁をようやく届けられたこと、
My Hair is Bad 椎木くんのMCしか記憶がない。
色々と大きくなりすぎて、この規模のイベントをここではもうできない、それがハッキリとわかった年。
淵上さん(当時のディレクター)に『君たちのライブ以外は良かった』と真面目に怒られて、
なんのためにやっているのか、それを気づけた。


■2017年12回目
青木さんのおかげで息を吹き返す。関東一発目。動員は5000人越え(驚)。
本当にいろんなことがあった。終わってからも大変だったし
今では後悔していることも多い。
ミチロウさんが、初回ぶりに出てくれてワルシャワの幻想をやってくれた。
この年も記憶がほとんどないけど、最後のほうに坂井さんと話したことは覚えている。


■2018年13回目(今年)
東京・大阪初開催。13って不吉な数字だ。大切な人が、今年もみんな集まってくれる。
やれること何あるかな、ずっと考えている。やれること全部やってダメだったら諦められる。
でも、ここにきて、まだまだ見せたいものがでてきた。いや、やっぱり諦められない。
このフェスをなんとしてでも続けたい。今はそう思っている。
とにかく最高のフェスにしてみせるので少しでも気になったら見に来てほしい。その一心です。

その場に行かなきゃ、
何が起きるか想像がつかないモノを作りたくて(でもトラブルや事件は起きて欲しくないけど)、
イベントを毎年やっている。

言葉では言い表せないけど、今年は久々にそれがあるかもしれない。
“そこにいなきゃ見れない・感じれないモノ”が。それ“だけ”を俺は作りたい。
初めてのことばかりなので不備もあると思いますが、
チーム全員全力で今も頑張っておりますので、よろしくお願いしますッッッ!!!


追伸、
向井さんがもしマーキー・ムーンでリングに入場してきたらバリヤバだよね?
今年もIGGY POP FAN CLUBが、魔物で鳴り響くことを祈って。

(7分38秒)


何年前になりますかねぇ…
「夏の魔物にオレはなる!」つってね、
あの子は東京という大海原に1人でお船を漕いで旅立ったわけですよ。
それが今じゃ、そのお船には超仲間が増えまして。
見る限り‥全っ然ワンピースじゃない!
9ピースですもん。
しかもそのリーダーですって?  いやはや…。

ご挨拶が遅れました。
母です。
○○家を代表致しましてご挨拶申し上げます。
関係者の皆様には愚息が多大なるご迷惑、並びに多大なるご協力を賜りましてありがとうございます。この場をお借りしてお礼申し上げます。

○○家は第一回目より10年間、フェスと関わってきました。
そしてそれは○○家を囲む関係者各位全ての者を巻き込む出来事となり、
その全員は田舎者の上に、ど・素人でもありました。そんなより集めのチームとはいえ、10年の年月をやり遂げた事は、今でも感慨深く思っています。
その後はイベンターの方々にバトンを渡し、その頃からですかねぇ、
親子間に不和が生じてしまいまして…
                                                          以下省略。
何はともあれ!

そうして迎えた"2018’夏の魔物"
本当に万感の想いに駆られています…しみじみ。
ずっと裏方だっただけに、初めて見る正面からのステージ、1オーディエンスとして。

楽しみです♩

いっぱち君、ホタテはロックだよね!
ホタテのロックンロール♫ですもん。
来年はわたしもせんべい汁で対抗しようかな 笑。

ps. 今日キレてたあなたへ
わたし、よっちゃんイカが好きでして…
会話とはコミュニケーションであり、
コミュニケーションの基本は、敬意を持った耳と、礼儀を持った口だそうな、
コミュニケーション苦手なのもソコにある。つまり、言いたいのは、
クッソ忙しい時でも余裕を忘れちゃいかん!
どんな時も 余裕のよっちゃんイカ!だべ。

皆さま、当日会場でお会いしましょう!

長いか😱

IMG_9219.JPG

ずーっと頭の中でスターリンが流れている。

フェス。毎回最後だと思ってるし、
『来年できません』っていつも言っているが、
それは事実で、13回も奇跡的になんとか続いただけだ。

今年も、今のところ来年できるかは謎である。

最後だと思えばなんだってできる。
悔いのないことを、魔物らしいことを。

ここで、良い機会だから過去の夏の魔物を
箇条書き程度だけど振り返ってみようと思う。

〜フェス前身イベント〜
元々は俺がバイトをしていたライブハウス 青森サンシャインでイベントを始めた。
初回にキングブラザーズ(2005年ライジングサンの前日)
M.J.Q(当時はミチロウさんとクハラさんの2人編成)
POLYSICS、向井さん
フラワーカンパニーズ(クォーターで17周年記念ライブ)
と錚々たる面々に出ていただいた。

自分の足を使ってみなさんのライブを見にいき、
『どうしても出てほしい!』と伝え、叶った人ばかり。とにかく一生懸命だった。

今でもこの方々に出ていただけているのは、本当に奇跡みたいなことだ。

フェスを立ち上げる前に当時やっていたバンドで
ニューロティカ
うつみようこ & YOKOLOCO BAND
THE NEATBEATS
の前座をさせていただいたり、
青森に来た曽我部さんのライブに通ったりして
このクソコミュ障の俺だが、連絡の仕方を覚えて、
上記の方々が向井さんとキング以外揃ったのが

■2006年初回
の夏の魔物フェス。

どんどんアーティスト同士が連絡をとりあって決まっていった(と思う)。
知らない番号から突然電話がきて『ジッタリン・ジンのジンタです』と電話がきたり、
毎日があわただしかった。
開催直前にひさ子さんが急遽toddleで出てくれたのが、この本当に開催直前になにかが追加される、
最後の最後までブッキングを諦めないという今も変わらない気持ちに繋がっている。

当時はプレイガイドすらなく、ホームページビルダーで作ったとてつもなく怪しいホームページしか情報源がなかった。
俺はアー写というものすらなにかわかっていなかったレベル。必死こいてやっと作った写真が並んでいるだけのサイト。
何回も会場が変わったり、ほんとにやるのか?状態。

なお、今と変わらず当時からネットは炎上していた。
BBSに死ねとか、なぜか載せてた携帯の番号とアドレスに、殺すとか、
フェス開催前後はとにかくひっきりなしにきてた。

当日どうやってやったのかもわからない。
やり方がわからず、10人くらいでやっていたからとにかく人手が足りなかった。
終わってからピーズのはるさんの日記を読んで、本当に凹んだ。3時間押した。


■2007年2回目
なにもトラブルがなかった。時間もおさなかった(巻いた)。
アントンさん初登場。マリーズもこの年が初。
向井さんに出ていただき、以前ライブハウスでやっていただいた時と同じように
ねぶた囃子とのMATSURI SESSIONをしていただいた。
この年のハイライトはうつみようこ & YOKOLOCO BANDのセッティング時の、
アントンさんとヨコロコのみなさんのセッション。
(この原体験を、いま自分のバンドで表現している)
メールの打ち方も言葉の使い方もできていなく、MOBYさんにアドバイスをいただいた。
ようこさんにはいまだにこの時期のことをいじられて毎回本当に死にたくなる。
トリはギターウルフ。セイジさんが終演後、アントンさんを抱っこして驚いた。


■2008年3回目
いきなり動員が増えた。
ブラフマン、くるり、ペズ、怒髪天などなど盛りだくさん。
実はキングもこの年フェスには初登場。なんと頭脳警察の再結成も実現した。
一旦ソールドアウトしたのに、なぜかキャパアップして大赤字に。
前日、チャーミーさんとポンさんに
『大致、ここはストーンズがやる会場じゃないか!』という言葉をいただく。
ラフィンの時に増子さんがめちゃくちゃ楽しそうにダイブをしていた。

マーヤさんがとてつもない高さから飛んで腰を抜かした。
なぜかMUSIC ON! TVでドキュメンタリー番組になって嬉しかった。
けど、また時間が押してしまった。曽我部さんが唯一出ていない年。


■2009年4回目
清志郎さんが亡くなった年。マリーズにトリをお願いした。
ゆらゆら帝国、eastern youth、サンボマスター、THE BAWDIESという
振り返ると今では信じられない面々が揃っている。
とにかく雨がひどかった。雨ふったのはこの年くらいじゃないだろうか。
みやむーこと宮村優子さんのゲスト出演など、
音楽以外のゲストの方をようやく実現できた年。
大雨の中、曽我部さんがぶん投げたギターが弧を描いた。


■2010年5回目
初の2デイズ。実はこの年が人間椅子初出演。
頭脳警察、三上寛さん、灰野敬二さん登場とさらに狂気度が増す。
2日間、ともにトラブル続出。本当に大変だった年。
初日の事件に隠れてあまり語られていないが、JUMP UP以来のスーパーカーのお二人来青や、
Hi-STANDARD難波さんによるSTAY GOLD、
朝一の神聖かまってちゃん、DOESによる銀魂曲たたみかけ、
この回しか出ていないYO-KINGさん、ミドリ、ホフディランなど、
実は2日目の内容がものすごかった。なぜ無理して2日にしたんだ当時の俺。
たぶん、深く考えてなかったんだと思います。色々と本当にすみませんでした。


■2011年6回目
2デイズの失敗を踏まえて、2ステージ制に。
レジェンド枠は頭脳警察、三上寛さんに加え、
外道、早川義夫さん、佐久間正英さん、山口冨士夫さん。 
みうらじゅんさん、安齋肇さん、田口トモロヲさんにも出ていただけて、
幅が広がってどんどん自分の本棚のようなフェスになってくる。
バンドトモフとして、はるさんに出ていただけて、初回のことをリベンジできた。
ブッチャーズとヒダカさんをやっと呼べて
吉村さんとヒダカさんに『SUMMERENDの準備できてるよ!』と会場で言われたけど、
実現できなかったことが悔しい。
andymoriがとてつもなく攻めのセットリストだった記憶がある。トリはキング。
緒方恵美さんと鳥居みゆきさんにも急遽出てもらった。地球村でやりきった。


〜下巻に続く〜(敬称略)

↑このページのトップへ