以前やっていたバンドが解散した瞬間から俺はクソみたいな毎日を過ごしていた。

自宅とアルバイト先を行き来するだけの毎日。

縋るようにあらゆる関係者に仕事を振ってくれないか頼み込んだ。

その為にはなんでもした。

言われればなんでも歌って踊ってピエロにもなったし灰皿に入ったテキーラも迷わず飲んだ。

弾きたくもない曲も弾いたし、沢山自分に嘘をついてきた。

そんなクソみたいな生活が3年経ってもう俺の心は完全に折れていた。

どうしても妥協は出来なかった。


今年中にバンドが決まらなかったらもう長野に帰ろうと決めていた。


でも神様はいた。ちゃんと見ていてくれた。


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信じられなかった。

これが俺の人生で一番の幸運だった。

12月31日。

もうアカウントも全部消すつもりだった。
深夜のバイトの休憩中に目が覚めた。


NEGAはもちろん知っていた。
ライブも何回か見たことがあった。


声をかけてもらえて嬉しかった。




他のメンバーには聞いたことがないから勘違いなのかもしれないけど、多分俺は儿さんのファンの方々からメッセージや手紙を頂くことが多かったと思う。

感謝の内容が多かった。

感謝される覚えはないけど、みんなの言いたいことは痛いほどわかっていた。

これからも儿さんにその内容を喋るつもりはない。

ただ、俺から儿さんのファン達に向けて言わせて欲しい。

俺はメンバーの中でも一番儿さんが作りたかった世界観に存在が相応しくなかったと思ってる。

シリアスな空気は苦手だし、所謂理想的な上手ギター像にはなれなかった。

それなのに受け入れてくれてありがとう。

俺はここにいてはいけないのかもしれないと思っていた時期の支えでした。

気付いたらこんなもん文句言わずに弾くの俺しかいねーだろ位に思うことが出来ました。

人生で一番の恩人は儿さんです。


俺を見つけてくれて、選んでくれて、ここまで成長させてくれて本当にありがとうございました。






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ごめんなRENA。
載せる予定のなかったクソみたいな写真も勝手に載せてしまって。

このアプリが流行った時、楽屋で撮って遊ぶのが俺たちの中でも少しだけ流行ったんだ。
当然一回も載せなかったし、言わなかったけど。時効だ。

RENAからは色々なことを学んだ。
バンドマンとして俺より先輩だったし、業界のことや楽器、機材のことも凄く詳しかった。

何より一番ヴィジュアル系というカルチャーを大事にしていたメンバーだった。

思い出は数え切れないけど、一番はやっぱり「苦悩に響く赤い声と存在理由」のベースレコーディングのこと。

あれは俺がベースレコーディングを手伝った唯一の曲だった。

ウッドベースのテイク、死ぬほど聞いたし正直あの曲のベースラインは最初から最後まで今でも歌えるくらい覚えている。

フレットのない楽器でピッチコントロールやニュアンスを出すのは大変だったと思うけど、心を鬼にして仕事出来たよ。

RENAはいつも斬新なアイデアで見る人を飽きさせないセンスや、逃げ道のない自己表現には俺自身も楽しませてもらっていた。

行動力や勇気、思い切りの良さは尊敬している。


あと、無料配布の糞麺(カップ麺)を手作りで作っていた時、今こうして5人誰も欠けてないのは奇跡だと思うっていうRENAの言葉が忘れられない。

あの頃は本当に精神的にも肉体的にもキツかった。

俺も誰かが辞めるって言うと思ったよ。

その後にも沢山苦楽を共にしてきたけどみんな根性あるなぁと客観的に思ったよ。


RENAはどう考えても音楽続けると思うし、陰ながら応援してるよ。

そんなことより二郎食いに行こう。





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煉さん。

お前ともまともな写真がねー。

一緒にいる時間が一番長かったから色んな話もしてきたし、バンドの活動以外の活動も共にしてきた。

俺が他4人から加入面接の場にガタガタ震えながら参加した時、こいつだけは大したことないだろうと思った。

正直オーラが俺に似てて一番親近感があった。

俺がこいつを見て震えた瞬間は今でも覚えている。

THE HOPELESSのMV撮影の時だった。

俺は初めてのMV撮影ということで、大して何も出来なかったんだけど、同じく初めての煉さんはカメラ回った瞬間にスイッチが入ってて凄くカッコよかったし衝撃を受けた。

あの瞬間から少しずつ見る目が変わった。


曲での思い出はRUVISHが一番大きいかな。

あれはドラム先行で作った曲だった。

デモを作る段階から意欲的に参加してくれたのが嬉しかった。

多分製作を任されることがうれしかったんだと思う。信用していた。

意識から根本的に改革したあの時期、俺はこのバンドでどんな曲を書いていいのかわからなかった。


出した答えがRUVISHだった。


煉さんが組むセトリにはRUVISHが入ってることが多くて俺は密かに嬉しかった。

そして俺もRUVISHのテイクに関しては毎ライブシビアに批評していた。

最後のライブが最高のテイクだった。

こんな難しい曲を文句一つ言わずに叩いてくれてありがとう。

蟲聲が一番好きだと言ってくれたのも嬉しかった。

メンバー個々の良さを出来る限り引き出したかった。






そして、俺たちの人生を一変させたデカい出来事。

煉さんが虎徹を拾ったこと。

俺たちとしても虎徹からしてみても本当に幸運だった。

拾ったのが煉さんでよかった。

周りからは本当に色んなことを言われてきた。ずっと。

たまにイラつくこともあったけどそれでも構わなかった。

それで俺たちみたいなマニアックなバンドに触れてくれる人が圧倒的に増えた事実があるから。


これを読んでる人の中にも沢山いると思う。
虎徹をキッカケに俺たちを知ってくれた人達。


せっかくテレビとか出てるんだからもっと売れそうな音楽やれよって言われることも多かった。

ヘラヘラ笑って流して相手にしたことはなかったけど、これだけはどうしても納得出来なかった。

ダークなオーラを纏ってアンダーグラウンドな音楽をやっているミステリアスな青年が子猫を拾い、蓋を開けてみたら田舎臭い普通の青年だったというギャップに話題性があったわけであってハートフルなPOPSやってるバンドマンが子猫を拾っても何の話題性もないし、それを機に露骨に音楽性が変わるとかクソみっともないだろ。


むしろもっと過激な音楽を作ってやろうと思った。


商業的に考えたらバカなのかもしれないけど、俺達は完全に腹を括ってたしもうこれしかなかった。


今でも凄く思うけど、この運すら掴めずに日の目を一瞬たりとも浴びずに消えて行くバンドの方が圧倒的に多い中で俺たちが半強制的に地上波でマニアックな音楽を流したことは大きいと思ってるし、本当に幸運だと思っている。



そしてはっきり言って虎徹は可愛くて仕方ないし、今となっては凶暴なデッカい猫だけどやっぱり可愛いものは可愛い。

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しかしいくらなんでもここまで大きくなって俺にも噛み付いてきたりするようになるとはなぁ。。

虎徹、煉さんに拾われてくれて本当にありがとう。

俺の待ち受けは自分の飼い犬じゃなくて今でも虎徹のままだよ。

これだけは今でも変える気が起きないんだ。




きっと煉さんもドラムを叩き続けるでしょう。

一緒にバンド出来て楽しかったよ。

両親や親族にテレビ越しに元気な姿を見せられたこと、一緒に街を歩いていてたまに声をかけて貰える芸能人気分を少し味あわせてくれたこと、お互い共通で好きなシルバーアクセサリーの仕事を頂けたこと、どれも金では買えないような思いをさせてくれてありがとう。

この恩は一生忘れないよ。

俺に夢を見せてくれてありがとう。


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誠とはそれっぽい写真が多いな。

一緒に撮って絶対載せられない写真が多いのも誠だな。感謝してくれよ。


俺はツインギターが大嫌いだった。

自分がもう1人欲しかった。

尊敬出来て信用出来るギタリストと組んだことがなかったからだ。

初めての面接の時に、上手ギターを募集してると言われて同席したんだけど誠を見てこの人クソ男前でオーラもあるなぁ。どう考えてもこの人が上手だろ。と思った。何度か口にもした。

自分のスタイルを確立していて揺るがなかったし、理想と現実がかなりシンクロしているギタリストだと思う。

それも最初から。

昔から色んな機会で、俺と誠はツインギターだけど別の楽器として捉えてもいいと言ってきた。

そのくらい対称的なスタイルでそのコントラストが音を重ねる度に面白かった。


誠とは一番本音で語り合った。

言葉に壁を感じなかったから俺もフィルター無しで会話することが出来た。


ラストライブの後、座っている誠の姿を見て、言葉は交わさなかったけど考えてることはなんとなくわかった。

声をかけられなかった。




誠とは好きなロックバンドの趣味が凄く合った。

お互い運転する時はよく流す音楽を2人で熱唱した。

夜中の運転でみんなが寝た後にどうしても一緒に売れたいと語り合ったりもした。

樹と誠っていう寺子屋でやらせて頂いたユニットは俺を凄く成長させてくれた。

あれは元々社長から俺にLa'cryma Christiを歌ってくれっていう依頼だった。

俺は全然構わないんだけど、ちょっとバンド的に。。っていう流れで誠を道連れにした。

ほとんど歌っていたのは誠なのに誠と樹じゃなかった理由。

でも俺が広げた話だったから演る曲は全部俺が決めていたよ。

これを誠に歌わせたら絶対かっこいい!っていう曲ばかり。

死ぬほど緊張して足震えたなぁ。

今ではいい思い出です。

一緒にいていつも本当に楽しかった。


お互い腹括って頑張って一緒にやっていこうと話をしてから2年後に解散の話が出た時、俺はどうしても受け入れられなかった。

誠との約束が頭をよぎったからだ。

社長とメンバー全員の前でそれを伝えた。

誠の為にどうしても解散だけはしたくなかった。

泣いていた。

忘れられない光景の一つになった。

最後まで何とかならないか色んな案を出したけど、最終的に解散が決まってしまった。

申し訳なかった。

人生を賭けてくれたのに。

それはメンバーみんな同じ気持ちだけど、俺には誠からが一番その気持ちを強く感じていた。


誠、今までありがとう。

信頼関係の元に構築するツインギターの楽しさ、利害関係なく人に優しくすることを教えてくれてありがとう。



お互い酒癖直そうな。


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お前らは俺とよく似ていて卑屈で歪んだ思考回路持ってるから俺がこうやって加工してやったんだ。

フェアじゃねーから俺の薄汚ぇ顔も隠させろ。

こんな写真なら載せるなよと思うかもしれないけど、俺が持ってるお前らと撮った唯一の写真だし墓まで持って行こうと思ったけど、仕方ねぇよな。


俺は本当に歪んでいて卑屈で醜くてコンプレックスの塊そのものだ。

姿形はなんとか施してやっと見れるような姿になれてるかもしれないが、口を開けばこうやってクソみたいな有害電波をぶち撒けるし、だからインストも喋りたくなかったし、SNSやブログなんかも出来ればやりたくなかった。

自分を『僕』と呼んでいれば少しは醜悪さが隠れる気がした。

クソみたいだ。

それなのにこのクソみたいな俺にもファンが出来た。

気付いたら自分が思ってるよりも随分と多くの人が目の前にいた。

こんなクソみたいな俺でも作る音楽で人を感動させることが出来ることを知ってしまった。

多分これだけは嘘じゃないと思えた。

嬉しかった。

風呂でクソみたいな鼻唄で歌われるようなメロディーを作りたかった。車で適当に流す音楽に選ばれたかった。シャッフル再生して飛ばされないような曲を作りたかった。

人の人生を変えるような曲が作りたかった。



俺は最後のライブでPERSONAの最初のサビを歌うことが出来なかった。

これが最後だということを頭ではわかっているのに受け入れられなかった。

歌ってしまったら終わりを実感してしまいそうだから。

何よりカメラが回ってる前で泣くわけにはいかなかった。

でもここで歌わなかったらもう一生歌えないってことも事実でなんとか切り替えてその後は歌わせてもらったよ。

ギターソロ、何故か音出なくなったんだよね。

原因なんて今更興味ないんだけど、なんでPERSONAで?と思った。

すぐに復活してソロ後半から弾けたのもその後トラブルが全くなかったのも謎。

物事には理由があると思ってるから何かしら理由があったのでしょう。


最後に蟲聲をみんなに歌ってもらうというアイデアは俺が言う前に儿さんから言われた。

考えてることが同じだったことが嬉しかった。

あの合唱は一生忘れないよ。


今まで一度も『I'm6』と発言したことがなかった。

ファンのみんなとかそんな感じの表現しか使ったことがない。

何故なのかは俺にもわからない。どこか恥ずかしかったんだと思う。歪んでる。

だから最後に言わせて欲しい。

I'm6のみんな、今までありがとう。

みんながいたから俺達は活動出来た。

みんなの喜ぶ顔が見たかった。

みんなと一緒に夢を叶えたかった。

解散させてしまって申し訳なかった。

今まで俺達を信じてついてきてくれて本当にありがとう。

俺達よりも俺達の曲を愛してくれてありがとう。

一生っていう言葉は大嫌いだけど一生忘れないよ。














もう俺は自分のこともわからなくなってしまった。

こんなに凄いバンドを組んでしまった事実だけが残った。

もう何もない。


発表してから手紙を頂くことが増えた。

開くとどれも同じようなことが書いてあった。

素直には喜べなかった。

あの時とは状況が良い意味でも悪い意味でも変わった。


わからない。



本当はまた会おうと言いたかった。

それでもさようならを言う機会だけは失いたくなかった。





今までありがとうございました。


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寺子屋ツアーファイナル北海道❄︎

行きのフェリーは凄かったな。。

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打ち上げではジンギスカンを食べさせて頂きました。

生で食えるって凄い。今まで地方で食ってきたものの中で一番美味かったかもしれない。

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当然味噌ラーメンも食べました。

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前来た時に知ってハマったやつ。
北海道の人は沢山飲んでるのだろうか。
お土産と自分用に沢山買って帰りました。
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これも。楽屋ではみんな飲んでたので自分のがどれかわからなくなってしまいました。。
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ホテルのガチャガチャでゲトったやつ。
生蟲と15秒くらい盛り上がって終わりました。
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楽屋で話題になったモンスターのコメント。
アメリカンなノリだしめっちゃ上からくる。

キューバを解放せよ!!

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クラオカさんには本当にお世話になりました。

僕のことを可愛がってくれる先輩らしい先輩はバンド人生で一人もいなかった。

今でも極力人と関わりたくないと思ってるけど、逆にこの分厚いATフィールドを突破してきた人とは心から仲良くなれる。

彼は突破してきた一人だった。

初めて寺子屋の所属バンドが全員集まって挨拶した時にも僕らのテーブルに一番最初に来てくれたのは彼だった。

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僕のモノマネにしっくりきてくれてTAKAと呼んでくれるようになった。
覚えてもらえるだけで嬉しかった。

会うたび気にかけてくれた。ワンマンにも来てくれた。

本当は僕の為に何をしてくれたか全部書きたいくらいだけど、彼のおかげで圧倒的に楽しくツアーを回ることが出来たことは紛れもない事実です。
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多分音楽の話もギターの話もまともにしたことはない。
強いて言うならもとはるミゼルの時に仕事の話ししたかな。

自然とそういう空気感にならなかったしそれが一緒にいて楽だった。

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アスパム!

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帰りのフェリーに向かう車内でブログでも更新しようと思って文章打ってたら色々なこと思い出して手が震えてきて涙で画面が見えなくなってきて上手く出来なかった。
夜のハイウェイに助けられた。

でもその時この人が人気者な理由がわかった。

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これが実際載せた写真の続き。
RENAが撮ってくれたんだけど、彼は優秀なカメラマンだからずっと連写してくれた。

一応聞いたけど背景のトイレは全然気にしてなかった。さすが。


ただただ楽しいツアーでした。

僕もこの思い出を一生大切にします。

今までありがとうございました。

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アスパムッ!!


寺子屋ツアー仙台、秋田、青森ありがとうございました!

仙台は今まで沢山来させて頂いてお世話になった場所の一つですね。

始動して一番最初のツアー初日に誠がやらかしたこと、ヘアメイクさんが見つからなくて街の美容院に煉さんと駆け込んだ結果酷いヘアメイクになって爆笑されたこと、ここ何回かのMACANAでのライブ写真が毎回コラっぽくなるRENA(2017年で一番笑ったと思う)HOOKでライブ中に弦切って焦ったこと、そしてRAGEが生まれたきっかけになった事件。
あの時は生まれて初めて自分より大人数名に説教らしい説教をしたなぁ…
空間ッ!

今までお世話になりました!

最後に最高の演出でOUSIAが演奏出来てよかったです!

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そして乙女国家とは最後の対バンになりました!

今までありがとうございました!!

中でもミスターは一番話も合ってよく打ち上げなどでは一緒に飲ませてもらった!
通ってきた音楽が深いところでもかなり近い気がする!
本当にお世話になりました!!



秋田は煉さんの凱旋公演ということで、二度目のLIVE SPOT2000公演でした。

2回しか来たことないのにもうホーム感に近いものを感じました。

箱の近くで催し物が行われていたので、クラオカさん達と駆け込みました!詳しくはクラオカさんのブログでも見てください。
キャンディー!キャンディー!キャンディー!キャンディー!

秋田は優しい人が多かった!

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マイナス号と共に青森入り!


青森Quarterは2015年以来二度目の出演でした!
Femme Fatalとのツアーが本当に懐かしい。


今回はクラオカさんの地元凱旋公演ということで、えんそくのライブは袖で見ていました!

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いい写真!

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ミドさんのスーパーベースソロ!

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とってもマッケンロー!


機材がトラブっちゃってたけど、袖にスタッフさん誰もいなかったし多分ギター関係の機材トラブル理解出来るスタッフさん探すのは無理だろうということで、許可なしでお助けさせて頂きました!

事情が事情ですからね!

あの時はこのタイミングでトラブったっていうことを不運だなと思ったんだけど、よくよく考えてみたら自分で言うのもあれだけど袖にたまたま僕がいたことは逆に言うと相当な幸運だったと思いますよ!笑

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その後はもちろんロックスターの堂々たる風格を見せつけてもらいました!!



実は始まる時にも箱側の音響関係のミスがあってたまたま袖にいた僕がお手伝いしたんだけど、この手のミスは事情を知らない人から見たらバンド側のミスだと思われてもおかしくないのでちゃんと仕事して欲しいですね!

一曲目がRAGEになるかと思ったってぶうさん仰っていました笑


青森ではみんなで打ち上げしたんだけど、食べたことないような物が多かったし凄く美味しかったです!

打ち上げ後に寝ようと思ってたら儿さんに呼んでもらったのでもう少し飲もうと思っていたら珍しくぶうさんも来てくれました!これは凄く嬉しかった!
結果すげー盛り上がっちゃって気付いたら朝になってたよ。

楽しい思い出が増えるほどお別れが更に辛くなる…!


えんそくやマイナスと一緒にライブ出来るのもあとは札幌での2本だけなんだなぁ。。


つまり寺子屋ツアーの残りもあと2本。
この2本で僕達を見るのも最後になるっていう寺子屋のお客さんも沢山いると思います。
あまりにも毛色の違う僕達を受け入れてくれているのかはわからないけど僕は少なからず途中からはそう感じていました。
だから最後は感謝の気持ちも込めて演奏します。



そして5/1 O-WESTでのラストライブもよろしくお願いします!

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