理解というものは、つねに誤解の総体に過ぎない。


知っている(と思っている)こと。知らないこと。


自分が何かに衝突する

イコール、結果がどっちに転ぶか

予想不可能なことにぶつかっていくのは

相当な勇気も必要だし

受け入れるだけのシェルターを掘っておかないと

傷ついた時、立ち上がれなくなってしまうコトばかり


見ないままにしとこぉと、

自分はこれでいいのよ、と

むしろ安全な場所に居座っているのが楽

というか、それさえも気づかないことのが多い

でもやっぱり引っかかる、いつも結局辿り着きやがる

アレ、コレデイイノ?


仕事も、友達も恋愛も。


歌だって、絵を描くことだってなんだって

自分の中の何かを生贄にしてまで 

絞り込んだ血をそこに流せるかが、

めでたしめでたしな心に残らないストーリーと

下手でも血生臭いストーリーとに、くっきり別れるなら

あたりまえだけど私はやっぱり後者が欲しい


映画「バードマン」の最後も同じようなことを思ったな


"わたしたちがもうたっぷり知っていると思っている物事の裏には

わたしたちが知らないことが同じくらいたくさん潜んでいるのだ"


「スプートニクの恋人」


読み終わった後のなんとも言えない脱力感。すごい本に出会ってしまった

ネバーエンディングストーリーの少年のような気持ち。笑


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