月別アーカイブ / 2019年03月

上下巻合わせて、900ページほどのボリュームがあり、ページ数量としても、またその多岐にわたる情報量からしても、決して読み進めやすい本ではなかった。

各時代の戦略家と言われる人々は、有能な情報収集家であり、優れた分析家であり、そして人間の心理の希代な鋭い洞察家でもある。戦略家が、刻々と変化する情勢や状況に対応しながら、次の一手を決定するその直感力は、アートに近い時があるのかもしれない。

本の袖書きを読むと、
『戦略とは、パワーを創り出すアートである――。
戦略とは何か。広大な視野のもとに戦略の変遷を論じ、歴史書・文学・哲学など多様な分野にわたり、人間と戦略の関わりを解き明かす。
戦略の起源として、まず上巻では、聖書、古代ギリシャ、孫子、マキャベリ、ミルトンに探り、ナポレオン、ジョミニ、クラウゼヴィッツ、モルトケ、マハン、リデルハート、マクナマラ、カーン、シェリング、ロレンス、毛沢東などの軍事戦略、トルストイの思想を取り上げ、そして弱者の戦略として政治的な戦略の軌跡を、マルクス、エンゲルス、バクーニン、レーニンなどの革命家、ウェーバーら社会学者の思想に探る。』と、ある。
つまり、本書は世界史における戦略の変遷をメインに書かれた本であり、いわゆる戦略についてのhow to本ではない。
しかし、下巻では、近現代の企業ビジネス戦略史の変遷に加えて、企業のブルーオーシャン、ナラティブ、ストーリー、スクリプト、といった最近のビジネス戦略に関する考察についても述べられている。

尚、著者は次の様にも警告している。
他人から手ごわい戦略家と見なされることは、できれば避けなければならない。それは、交渉相手の警戒心を呼び起こし相手のガードを高くさせることにつながる。やはり、戦わずして勝つということがベストなのだからと。

本文より一部引用。
『リチャード・ルメルトは、
戦略本の多くが、状況が流動的になればなるほど、指導者はさらに先を見越して対処しなければならないと説いているようだが、これは論理的におかしい。
状況が流動的になればなるほど、先の見通しはますます立てにくくなるからだ。したがって状況が絶えず変化し、先行きが不透明になればなるほど、より近い戦略目標を設定する必要があるの。

また、ルメルトは、悪い戦略の危険性についても警告を発した。とりわけ、「戦略的な概念や見解を述べているように装っているが中身のない」戦略の特徴を「空疎」と一言で表現している。そのほかにも、取り組むべき問題を特定できていない、目標を戦略と取り違えている、達成するための手段を示さずに願望を語っている。実行可能性を考えずに目標を設定している、といった特徴も列挙した。
更に、経営幹部が、不可能な目標を設定する、十分な気力と意欲があればどんなことも達成できると説く(現実的には、一度に数件を超える課題に対処できるとは考えがたいのだが)、決定的な選択を行わずに相容れない意見のあいだで合意を取り付けようとする、自然に出てくる自分の言葉ではなく、はやりの言葉で(「カリスマ性の缶詰」を開けたかのように)鼓舞しようとする、といった行動をとることにも注意を促した。
そして、「悪い戦略がはびこるのは、それが分析や論理や選択とはかけ離れたところで流布され一筋縄でいかない基本的作業やそれらを修得することの難しさに向き合わなくても済まされる、という身勝手な考えのもとに掲げられるからである」と説いた。
軍事戦略や革命戦略の場合と同様に、企業戦略はそれ自体が生んだ英雄的な神話に足を引っ張られかねなかった。成功と失敗の分かれ目を決める要因として、異様なまでに、まつりあげられたからだ。名戦略を携えた戦略の達人は、………当然のことながら、そうしたなかの少なくとも一つのタイプに当てはまる経営者もいたが、ある状況では成功したやり方が別の状況では上手くいかない場合もあり得た。急激に持ち上げられた個人や企業が、その後すぐに貶められるようなことは頻繁すぎるほどあった。次から次へと続く戦略の流行にともなう誇大広告は、見識ある経営者の重要性を誇張し、成功の要因としての偶然性と環境の重大さを軽視していたのだ。』


「戦略の世界史 上下」 著者 ローレンス・フリードマン

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COOL CHOICE 表彰式より

「私たちが新たな道具をつくったのではない。新たな道具が私たちをつくり出したのだ」

この数年の間に、テクノロジーと人類の未来に関する本を数冊読んだ。そして、この「デジタル・エイプ」も、その種の本である。
「デジタル・エイプ」とは「デジタルなサル」つまり現在の人類のことである。
エイプという単語は、ある意味挑発的であるが、今現在、世界で起きていることを見渡せば、人類がエイプという単語から抜け出せていないことは明らかなのかもしれない。
そして、その点については、著者たちも、「シンギュラリティを恐れるより、人間の愚かさを恐れるべきだ。」と、警告している

人類誕生からここまでは、人類が道具を作ってきた。しかし、これからは、テクノロジーという道具が、人間(ホモサピエンスとしての人類)を作り変えていくだろう。それも、過去にないような速度で。
確かに、私たちは変わりつつある。しかも、厄介なことに、わたしたち自身がその変化のスピードに追いつけていない。
「愚かでデジタルなサル」という存在は、「裸のサル」よりも人類の未来にとっては危険かもしれない。

本文より引用。
☆「ゲノム研究」は、人類の勝利か、それとも危機か?
「CRISPR(クリスパー)」と「遺伝子ドライブ」という技術の進展。
・CRISPRとは、DNAの短配列をカットアンドペーストして、ほかの個体や、何とほかの種からでも特性を取り込める技術。遺伝子ドライブとは、改変した遺伝子を通常よりも高い確率で子孫に伝えるための技術。
『この2つのツールの組み合わせは非常に強力だ。CRISPRで改変されたDNAは遺伝子ドライブで運ばれ、何らかの種に取り込まれると急速に拡散する。現在、たとえば農産物や人間に病気をもたらす昆虫のDNAを改変する試みが進められている。ひとつは昆虫の生殖能力をなくす方法であり、不妊化したオスが、通常のオスと交尾していれば卵を産めたはずのメスの時間を無意味に占有する。もうひとつは病原体の伝達に抵抗を示すようにする方法である。ライム病の病原体はダニを媒介としてマウスから人間に感染するが、シロアシマウスにその細菌に対する免疫をもたせる計画が立てられている。成功すれば、「改良された」DNAが遺伝子ドライブに乗って、迅速に、止められることなく、どんな孤立したマウスの集団にも到達する。ただ現実には、アメリカ全土のマウスとダニは膨大な数なので根絶できるかどうかわからないし、できるとしても非常に長い歳月がかかるだろう。現在、マサチューセッツ州南東にあるナンタケット諸島での実験が提案されている。いずれにせよ、これらの技術の威力は明らかである。インペリアル・カレッジ・ロンドンのTarget Malaria(ターゲット・マラリア)というストレートな名前のプログラムには、ビル&メリンダ・ゲイツ財団が出資している。ボストンにあるMITの科学者で構成された、同じように名が体を表しているSculpting Evolution(進化形成)グループは、自然界を根本的に変える研究を意識している。
 一見して、ここにはぞっとするような危険が潜んでいるように思える。アメリカの国家情報長官のジェームズ・クラッパーは、2016年に、遺伝子ドライブは大量破壊兵器だと言った。一方、科学界は、それは少し大げさだと考えていた。テロリストが無差別の殺傷事件を起こそうと思えば、すでに手に入れているもっと簡単で確実な方法がある。わざわざ難しいテクノロジーをマスターしてウイルスをつくる必要はない。たとえ着手したとしても、あっけなく挫折するか、ニキビの大発生を招くぐらいが関の山だと言うのだ。だが実際、CRISPRのキットはすでに一般の好事家や学校の実験室向けに販売されている。キットの使用が日常化すれば、テロは別にしても、遅かれ早かれ有害なものを自然界に放出する事故が起きるだろう。現場にいる人の多くは、誰が何を実験しているかについて透明化したほうがいいと感じている。その考えは正しいと思う。しかし、間違いや誤解の余地がまだ非常に大きいにもかかわらず、実際に良識にのっとって介入できる時が来たとき、私たちに「実行しない」という選択肢はあるのだろうか?』

☆ビックデータの次に来るもの
『数ある「次にやってくるビッグなもの」の中でも特にビッグなのが、「自己記述的なデータ」だ。これにはメタデータが必要になる。メタデータとは、データそのものについてのデータ、つまり、そのデータが、いつ、どこで、どのようにして生まれたか、さらに、何度更新されたか、想定される精度や固有の不確定性はどれくらいか、などを記したデータだ。自分で自分の意味を明らかにできるデータという意味ではない。
 それは、基本的に、①数字の集積、だけではなく、②分類され正規化された多くの記述的データ、を含むデータである。②は、ともかく広大なメタデータであり、通常はどんなデータファイルにも付随している。システムが正常に機能しており、広くコンパイルされているなら、その長所は明らかだ。異なる集積データも簡単に連結できることがわかっており、それを可能にする技術的手段も日々増加している。データが(いわば)ほかのデータを参照し、探し出すことができ、その有用性を融合できるなら、データの力と用途の指数関数的な増大につながるはずだと議論されている。
起こりうる問題が2つある。第1に、データ管理者に、おそらく主に労働のコストが生じる。これは、個々の集積データに関してはほんのわずかなものだろう。なぜなら、データファイルの構築と公開の仕方を知っている人は、当然、数の配置や記述の論理的ルールにどう従えばいいかも知っており、そのデータが何を記述しているのか、あるいは、何が見いだせるのかをおおよそ知っていることは、ほぼ間違いないからである(だが絶対にそうだとは言えない)。第2に、このスキームが成功すると考えるには、理屈を超えた信念が必要だ。データ所有者全体が開示と協力を望んでいるという、大胆な仮説を信じなければならない。ここにも同じ問題がある。大企業や政府のデータ所有者と交渉して、個人に関するデータの扱いについて合意形成すれば、ある程度の規制をかけることで、個人データへのまったく新しい取り組みを成功させることができるだろう。だが、政府その他の法規制当局が介入する理由や、具体的方法を考えるのは非常に難しい。また、現時点で同じように問題なのが、強力で決定的な商業的利益がどこで生まれるのか、見えてこないことである。データのプロたちは、業界で非常にうまく機能した実績のある自主基準に関心を持ち、それに従うだろう。なぜなら、彼らの仕事では、キットとキットをつなぐことが大きな要素になっているからだ。そこからやがて有用な資源が形成され、それを利用する製品が登場するだろう。非常に人気の高いものがあったなら、強い圧力や、経済的動機が生まれ・・・・・。
 もちろん、ある記述が意味を持つのは、ある仮定の枠組みの中だけであり、特定の運用言語や翻訳プロセスにおいてである。その言語や翻訳プロセスは、データストアや、データを読むと考えられる人々のコンパイラーと共通である必要がある。関連する企業や団体が加入する、各種技術の標準化を推進する非営利団体、ワールド・ワイド・ウェブ・コンソーシアム(W3C)は、このような枠組みをすでに構築している。』


「デジタル・エイプ」 著者 ナイジェル・シャドボルト&ロジャー・ハンプソン

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Nb Press Onlineより

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