月別アーカイブ / 2018年11月

本書の著者であるユヴァル・ノア・ハラリは、歴史学者であるとともに、軍事史で博士号を取得している。
彼のそういう軍事的な考察力が、その歴史観の構築にどのように影響を及ぼしているのだろうか。
軍事史家としての彼の論文等を読んだことがないので、確かなことは分からないが、通常の歴史学者とは歴史を俯瞰する視点がかなり違っているように感じている。その即物的とも言える史観は、論理的でかつ冷静に、歴史の新たな一面を提示したように思える。
とにかく、素晴らしく、そして稀有な思考家の一人だと思う。
しかし、また、彼の歴史学的思考体系は、この21世紀という時代でなくては生まれない思考体系でもあるのだ。
21世紀の、人間至上主義革命からデータ至上主義革命へと移り変わっていく時代に、明確にそれを歴史観としてまとめ、その混迷も苦難も、もしかしてかすかな希望の可能性も展望している。
私も含めて、ごく普通の人間たちは、もし人間至上主義の根本である人間の感情や経験さえもアルゴリズムの一種でしかないのであれば、そもそも「私とは一体何なのだろうか?」といった手に負えない数々の難問や、また、生物と非生物の関係性やそもそも「生命とは一体何なのか?」といった大きすぎる課題に対して立ちすくんでいる。

著者ユヴァル・ノア・ハラリは、私たちが立ちすくむその道の数歩前を明かりで照らしてくれた。たとえ、それが混迷の道であっても、真っ暗な闇よりはマシだろう。


前書「サピエンス全史」では、
『アフリカで細々と暮らしていたホモ・サピエンスが、食物連鎖の頂点に立ち、文明を築いたのはなぜか?
その答えを解く鍵は「虚構」にある。私たちが当たり前のように信じている国家や国民、企業や法律、さらには人権や平等といった考えまでもが虚構であり、そういった虚構こそが見知らぬ人同士が協力することを可能にしたのだ。』
『純粋に科学的な視点から言えば、人生には全く何の意味もない。人類は、目的も持たずにやみくもに展開する進化の過程の所産だ。私たちの行動は、神による宇宙の究極の計画の一部などではなく、もし明朝、地球という惑星が吹き飛んだとしても、おそらく宇宙は何事もなかったかのように続いていくだろう。現時点の知見から判断すると、人間の主観性の喪失が惜しまれることはなさそうだ。したがって、人々が自分の人生に認める意義は、いかなるものも単なる妄想にすぎない。中世の人々が人生に見出した死後の世界における意義も妄想であり、現代人が人生に見出す人間至上主義的意義や、国民主義的意義、資本主義的意義もまた妄想だ。人類の知識量を増大させる自分の人生には意義があるという科学者も、祖国を守るために戦う自分の人生には意義があると断言する兵士も、新たに会社を設立することに人生の意義を見出す起業家も、聖書を読んだり、十字軍に参加したり、新たな大聖堂を建造したりすることに人生の意義を見つけていた中世の人々に劣らず、妄想に憑りつかれているのだ。
それならば、幸福とは人生の意義についての個人的な妄想を、その時々の支配的な集団的妄想に一致させることなのかもしれない。
私たちの幸福は主観的感情と同一視され、幸せの追求は特定の感情状態の追求と見做される。対照的に、仏教をはじめとする多くの伝統的な哲学や宗教では、幸せへのカギは真の自分を知る、すなわち自分が本当は何者なのか、あるいは何であるのかを理解することだとされる。たいていの人は、自分の感情や思考、好き嫌いと自分自身を混同している。彼らは怒りを感じると、「私は怒っている。これは私の怒りだ」と考える。その結果、ある種の感情を避け、ある種の感情を追い求めることに人生を費やす。感情は自分自身とは別のもので、特定の感情を執拗に追い求めても、不幸に囚われるだけであることに、彼らは決して気づかない。
もしこれが事実ならば、幸福の歴史に関して私たちが理解していることのすべてが、実は間違っている可能性もある。ひょっとすると、期待が満たされるかどうかや、快い感情を味わえるかどうかは、たいして重要ではないのかもしれない。最大の問題は、自分の真の姿を見抜けるかどうかだ。古代の狩猟採集民や中世の農民よりも、現代人のほうが真の自分を少しでもよく理解していることを示す証拠など存在するだろうか?』

と、著者ハラリは述べている。そして
更に続けて、

『サピエンスはいずれシンギュラリティに至る。それは私たちの世界に意義を与えているもののいっさいが、意味を持たなくなる時点、テクノロジーや組織の変化だけではなく、人間の意識とアイデンティティの根本的な変化も起こる段階だ。そして、それはサピエンスが再び唯一の人類種ではなくなる時代の幕開けかもしれない。
また、未来のテクノロジーはサピエンスそのものを変え、私たちには想像の糸口もつかめない感情と欲望を持たせうるだろう。』

で、前書「サピエンス全史」は終わっていたのだ。

本書「ホモ・デウス」は、前書「サピエンス全史」を受けてホモ・サピエンス以後の人類の可能性についての著作である。

本文引用より、
『生命科学者たちは、生物は遺伝子やホルモン、ニューロンに支配されたただのアルゴリズムであることを明らかにしている。人間の心や意識は、脳の中でニューロンが信号を発し、あるパターンに則ってデータを処理しているだけなのである。我々は何一つ自由に選択しておらず、意識や意志を持った「私」でさえも、虚構なのだ。それならば、人工知能が人間の能力を凌駕するようになったとき、そしてコンピュータがあなた自身よりもあなたについて詳しく知るようになったとき、資本主義や民主主義、自由主義は崩壊するのだろうか?そのとき、あなたはこの世界に何を求め、何のために生きればいいのか?』

という問題提起がされている。
認知革命、農業革命、科学革命と続いたホモ・サピエンスの歴史は、いよいよ、その後の人間至上主義革命からデータ革命へと進もうとしていると言うのだ。

『*人間至上主義革命
2016年の時点で、個人主義と人権と民主主義と自由市場という、自由主義のパッケージの本格的な代替となり得るものは一つもない。
2011年に西洋世界で猛威を振るった「ウォール街を占拠せよ」やスペインの15M運動のような社会的抗議行動も、民主主義や個人主義や人権に敵対するものでは断じてなかったし、自由市場経済の基本原理にさえ盾突くものではない。
中国は21世紀の経済大国になったが、この経済大国はイデオロギーの影はほとんど落としていない。中国は依然として共産主義であるというのが建前だが、実際には大違いなのだ。
それでは、イスラム過激派はどうだ?あるいはキリスト教原理主義や、メシアニック・ジュダイズム、復興主義のヒンドゥー教はどうか?
神は死んだとニーチェが宣言してから一世紀以上過ぎた今、神は返り咲こうとしているように見える。だが、それは幻想にすぎない。神は死んだ。
ただ、その亡骸の始末に手間取っているだけだ。
イスラム過激派は、自由主義のパッケージにとっては、真の脅威ではない。なぜなら、狂信者は甚だ熱烈ではあるものの、21世紀の世界を本当には理解しておらず、私たちの周り中で新しいテクノロジーが生み出している、今までにない危険や機会について、当を得たことは何も言えないからだ。
今日もなお、カトリック教会は何億もの信徒の忠誠と献金を享受し続けている。とはいえ、カトリック教会やその他の有神論の宗教は、創造的な勢力から受け身の勢力に変わって久しい。それらは斬新なテクノロジーや革新的な経済手法や先駆的な社会的概念を開発するよりも保守的な現状維持活動にせっせと励んでいるのみだ。
20世紀にイスラム教やキリスト教のような伝統的宗教が成し遂げた、最も影響力のある発見や発明や創造は何だったか?
これは難しい質問だ。なぜなら、選ぼうにも、候補がほとんどないからだ。20世紀にラビやムフティーが発見したもののうちに、抗生物質やコンピュータやフェミニズムと並べて挙げられるようなものがあるだろうか?
21世紀の大きな変化はどこから生まれ出てくると思うか?イスラミックステート(イスラム国)からか、それともグーグルからか?
たしかにイスラミックステートはYouTubeに動画をアップロードする方法を知っているが、拷問産業を別とすれば、最近シリアやイラクからどんな新発明が出現したのか?
そういうわけで、伝統的な宗教は自由主義の真の代替となるものを提供してくれない。
聖典には、遺伝子工学やAIについて語るべきことがないし、ほとんどの司祭やラビやムフティーは生物学とコンピュータ科学の最新の飛躍的な発展を理解していない。なぜなら、もしそうした発展を理解したければ、あまり選択肢がないからだ。古代の文書を暗記してそれについて議論する代わりに、科学の論文を読んだり、研究室で実験したりするのに時間をかけざるを得ないのだ。
だからといって、自由主義は現在の成功に安んじていられるわけではない。たしかに自由主義は人間至上主義の宗教戦争に勝ち、2016年現在、現実的に見て、それに取って代われるものは存在しない。だが、ほかならぬこの成功が、じつは自由主義の破滅の種を宿しているかもしれない。勝利を収めた自由主義の理想が、今や人類を駆り立て、不死と至福と神性に手を伸ばさせようとしている。
本書は、21世紀には人間は不死と至福と神性を獲得しようとするだろうと予測することから始まった。この予測はとりわけ独創的でもなければ、先見の明のあるものでもない。それはただ、自由主義的な人間至上主義の伝統的な理想を反映しているにすぎない。
人間至上主義に従って感情を信頼したおかげで、私たちは代償を払うことなく現代の契約の果実の恩恵にあずかることができた。私たちは、人間の力を制限したり意味を与えてくれたりする神を必要としない。消費者と有権者の自由な選択が、必要とされる意味をすべて提供してくれるからだ。
それならば、消費者と有権者は断じて自由な選択をしていないことに私たちがいったん気づいたら、そして、彼らの気持ちを計算したり、デザインしたり、その裏をかいたりするテクノロジーをいったん手にしたら、どうなるのか?もし全宇宙が人間の経験次第だとすれば、人間の経験もまたデザイン可能な製品となってスーパーマーケットに並ぶ他のどんな品物とも本質的に少しも違わなくなったときには、いったい何が起こるのだろう?

*知能と意識の大いなる分離
今日までは、高度な知能はつねに、発達した意識と密接に結びついていた。ところが今では、意識を持たない新しい知能が開発されている。なぜなら、そうした仕事はみなパターン認識に基づいており、意識を持たないアルゴリズムがパターン認識で人間の意識をほどなく凌ぐかもしれないからだ。
SF映画はたいてい、人間の知能と肩を並べたりそれを超えたりするためには、コンピュータは意識を発達させなければならないと決めてかかっている。だが、現実の科学はそれとは大違いだ。スーパーインテリジェンス(人間の能力を超えるAI)へと続く道は、意識という隘路を通るものは、その一部だけかもしれない。何百万年にもわたって、生物の進化は意識の道筋に沿ってのろのろと進んできた。
非生物であるコンピュータの進化は、そのような隘路をそっくり迂回し、スーパーインテリジェンスへと続く別の、比べ物にならないほどの早道をたどるかもしれない。
パターンを記憶したり分析したり認識したりする点でもコンピュータのアルゴリズムが人間を凌いだら、何が起こるのか?
意識を持たないアルゴリズムには手の届かない無類の能力を人間がいつまでも持ち続けるというのは、希望的観測にすぎない。この幻想に対する現在の科学的な答えは、以下の三つの単純な原理に要約される。
1、生き物はアルゴリズムである。ホモ・サピエンスも含め、あらゆる動物は厖大な歳月をかけた進化を通して自然選択によって形作られた有機的なアルゴリズムの集合である。
2、アルゴリズムの計算は計算機の材料には影響されない。ソロバンは木でできていようが、鉄でできていようが、プラスティックでできていようが、二つの珠と二つの珠を合わせれば四つの珠になる。
3、したがって、有機的なアルゴリズムにできることで、非有機的なアルゴリズムにはけっして再現したり優ったりできないことがあると考える理由はまったくない。計算が有効であるかぎり、アルゴリズムが炭素の形を取っていようとシリコンの形を取っていようと関係ないではないか。

自由主義者は自由市場と民主的な選挙を擁護する。一人ひとりの人間が比類のない価値のある個人であり、その自由な選択が権威の究極の源泉であると信じているからだ。21世紀には、この信念を時代遅れにしかねない、3つの実際的な進展が考えられる。
1、人間は経済的有用性と軍事的有用性を失い、そのため、経済と政治の制度は人間にあまり価値を付与しなくなる。
2、経済と政治の制度は、集合的に見た場合の人間には依然として価値を見出すが、無類の個人としての人間には価値を認めなくなる。
3、経済と政治の制度は、一部の人間にはそれぞれ無類の個人として価値を見出すが、彼らは人口の大半ではなくアップグレードされた超人という新たなエリート層を構成することになる。

*「無用者階級」とは?
21世紀には、私たちは巨大な非労働者階級の誕生を目の当たりにするかもしれない。経済的価値や政治的価値、さらには芸術的価値さえ持たない人々、社会の繁栄と力と華々しさに何の貢献もしない人々だ。この「無用者階級」は失業しているだけではない。雇用不能なのだ。

*ホモ・サピエンスからホモ・デウスへ
自由主義的人間至上主義からテクノ人間至上主義そしてデータ至上主義へ。
データ至上主義は従来の学習のピラミッドをひっくり返す。これまでは、データは長い一連の知的活動のほんの第一段階と見なされていた。人間はデータを洗練して情報にし、情報を洗練して知識に変え、知識を洗練して知恵に昇華させるべきだと考えられていた。ところがデータ至上主義者は、次のように見ている。もはや人間は厖大なデータの流れに対処できず、そのためデータを洗練して情報にすることができない。ましてや知識や知恵にすることなど望むべくもない。したがってデータ処理という作業は電子工学的アルゴリズムに任せるべきだ。つまり事実上、データ至上主義者は人間の知識や知恵に懐疑的で、ビックデータとコンピュータアルゴリズムに信頼を置きたがるということだ。
データ至上主義は、母体である二つの学問領域にしっかりと根差している。その領域とは、コンピュータ科学と生物学だ。とりわけ生物学が重要だ。生物学がデータ至上主義を採用したからこそ、コンピュータ科学における限定的な躍進が世界を揺るがす大変動になったのであり、それが生命の本質そのものを完全に変えてしまう可能性が生まれたのだ。生き物はアルゴリズムで、キリンもトマトも人間もたんに異なるデータ処理の方法に過ぎないという考えに同意できない人もいるかもしれない。だが、これが現在の科学の定説であり、それが私たちの世界を一変させつつあることは知っておくべきだ。
この見方によれば、自由市場資本主義と国家統制下にある共産主義は、競合するイデオロギーでも倫理上の教義でも政治制度でもないことになる。本質的には、競合するデータ処理システムなのだ。資本主義が分散処理を利用するのに対して、共産主義は集中処理に依存する。
サピエンスは何万年も前にアフリカのサバンナで進化したため、私たちのアルゴリズムは21世紀のデータフローに対処するようには構築されていない。私たちは人間のデータ処理システムをアップグレードしようとするかもしけないが、それでは十分ではないだろう。「すべてのモノのインターネット」は、あまりにも大量で急速なデータフローをほどなく生み出すかもしれないので、アップグレードされた人間のアルゴリズムでさえ対処できないだろう。自動車が馬車に取って代わったとき、私たちは馬をアップグレードしたりせず、引退させた。ホモ・サピエンスについても同じことをする時が来ているのかもしれない。
データ至上主義は、人間に対して厳密に機能的なアプローチを採り、人間の経験の価値を、データ処理メカニズムにおける機能に即して評価する。もし同じ機能をもっと上手く果たすアルゴリズムが開発されれば、人間の経験はその価値を失うだろう。だから、もしタクシー運転手や医師だけでなく法律家や詩人や音楽家も優れたコンピュータプログラムに取り換えることができるなら、それらのプログラムが意識や主観的経験を持たないからといって気にする必要があるだろうか?
人間中心からデータ中心へという世界観の変化は、たんなる哲学的な革命ではなく、実際的な革命になるだろう。新に重要な革命はみな実際的だ。「人間が神を考え出した」という人間至上主義の発想が重要だったのは、広範囲に及ぶ実際的な意味合いを持っていたからだ。同様に、「生き物はアルゴリズムだ」というデータ至上主義の発想が重要なのは、それが日常生活に与える実際的な影響のためだ。発想が世界を変えるのは、その発想が私たちの行動を変えるときに限られる。
AIとバイオテクノロジーの台頭は世界を確実に変容させるだろうが、単一の決定論的な結果が待ち受けているというわけではない。本書で概説した筋書きはみな、予言ではなく可能性として捉えるべきだ。こうした可能性のなかに気に入らないものがあるなら、その可能性を実現させないように、ぜひ従来とは違う形で考えて行動してほしい。
多くの筋書きと可能性があるときに、私たちは何に注意を払うべきなのか?世界はかってないほど急速に変化しており、とても手に負えない量のデータやアイデア、約束、脅威が、私たちに押し寄せている。
古代には、力があるというのはデータにアクセスできることを意味した。今日では、力があるというのは何を無視するかを知っていることを意味する。
では、私たちの混沌とした世界で起こっていることをすべて考えると、何に焦点を当てるべきだろうか?
何か月という単位で考えるのなら、中東の紛争やヨーロッパの難民危機や中国経済の減速といった、目の前の問題に焦点を当てるべきだろう。何十年の単位で考えるのなら、地球温暖化や不平等の拡大や求人市場の混乱が大きく立ちはだかる。ところが、生命という本当に壮大な視点で見ると、他のあらゆる問題や展開も、次の三つの相互に関連した動きの前に影が薄くなる。

1、科学は一つの包括的な教義に収斂しつつある。それは、生き物はアルゴリズムであり、生命はデータ処理であるという教義だ。
2、知能は意識から分離しつつある。
3、意識を持たないものの高度な知能を備えたアルゴリズムが間もなく、私たちが自分自身を知るよりもよく私たちのことを知るようになるかもしれない。

この三つの動きは、次の三つの重要な問いを提起する。
1、生き物は本当にアルゴリズムにすぎないのか?そして、生命は本当にデータ処理にすぎないのか?
2、知能と意識のどちらのほうが価値があるのか?
3、意識は持たないものの高度の知能を備えたアルゴリズムが、私たちが自分自身を知るよりもよく私たちのことを知るようになったとき、社会や政治や日常生活はどうなるのか?』

著者ユヴァル・ノア・ハラリは、読者に、本書を読み終えた後もずっと、この三つの重要な問いは頭に残し続けるようにと述べている。
たぶん、それは、未来へ歩き出す時に、この道で良いのだろうかと常に問い続ける必要があるチェックポイントなのだろう。


「ホモ・デウス」 著 ユヴァル・ノア・ハラリ

🚅

環境省.PNG
のんオフィシャルブログより



2050年といえば、まだこれから30年以上も先の未来である。先日読んだ「シャルマの未来予測」のなかで著者であるルチル・シャルマは、20年以上先の未来の予測が的中することなどあり得ないと述べていた。
多分、予測が的中するかどうかという点では、その通りであろう。
しかし、
『長期的な視点でモノを考えると得るものが多い。本書はそんな発想から生まれた。2050年を予測することで、今後世界を形作るうえで核となる力は何か、ということが分かる。そのなかでもテクノロジーに注目したのが本書である。』
という、この著書の「今後世界を形作るうえで核となる力は何か」という視点は、大局的な視点として大事な視点ではないだろうか。

本文より抜き出し。
『☆テクノロジーの未来を予測する際に、目を向けるべきものは三つある。
・①過去の類似事例。②現在の限界的事例。③SFに描かれた未来。

☆第七の波。現在、第五の波であるビッグデータ、第六の波である「モノのインターネット(IoT)」が広がりつつある。一方、すでに第七の波が形成されつつある。それはAIだ。

☆なぜデジタル革命では生産性向上がみられないか?
・農業革命の影響が完全に社会に及ぶまでには1000年、産業革命の場合は数百年かかったが、デジタル革命はわずか数十年である。われわれが不意打ちを食らって混乱しているのも無理はない。
・19世紀後半のイノベーション(電気、自動車、水道、現代医療)は、その後1世紀にわたる急速な生産性向上をもたらした。一方、ここ数十年にわたるデジタル革命では、便利な製品は次々と生み出されているものの、労働者の報酬は伸びず、先進国には閉塞感が漂っている。だが、新たなテクノロジーによる経済成長はこれから本番を迎える。
・電気や自動車などのイノベーションも、具体的に世界のあり方を変え、経済成長を押し上げるまでには、数十年単位の時間が必要だった。それゆえ、今日のテクノロジーが進化を発揮するまでにも、まだ時間がかかる。
・安価な労働力が増えると、企業が新たなテクノロジーを導入する必要性が低くなる。それを回避するためには、これまでと違う働き方の仕組みが必要だ。つまるところ、デジタル・テクノロジーによる生産性や生産量の伸びが期待ほどでなかったのは、19世紀と20世紀の社会制度の壁にぶっかっていたからだ。

☆宇宙エレベーターを生み出す方程式。
・今日、原子核物理学、材料科学、化学、そして工学の諸分野においては、実験をする代わりに適切な方程式を解けばよくなった。これは、20世紀を通じて主に量子力学の応用が劇的に進展した結果である。
・基礎物理学の方程式は、短いコンピュータ・プログラムとしてコード化できる。
・今日の化学、生物学、工学は、すべての電子がみな完全に等しいという交換可能性によって成立している。
・この世界で観測されることを説明したり予測したりする分には、一般相対性理論と量子力学があれば全く問題ない。
・物理学的に、光速を超える情報伝達、占星術的・超能力的な作用の実現はあり得ない。また、ワームホール、ワープ装置、タイムマシンも不可能だ。一方、摩擦のない鉄道輸送、宇宙エレベーター、量子コンピュータ、脳と同様の機能をもった“3D”コンピュータ、知覚中枢の拡張、没入型ツーリズムは実現できる。
・老化や疾病の問題は、物質の理解・監視・制御によって克服できる。
・だが、現代のテクノロジーには、核戦争、生態系の破壊、そして人工知能戦争という三つの故障モードのリスクがある。

☆政府が「脳」に侵入する。
・現在、米国防高等研究計画局(DARPA)は、デジタル装置を人間の大脳皮質につなげるプロジェクトに、6000万ドルを投じている。その神経インターフェースは「皮質モデム」と呼ばれる。
・病気になったり老化した組織は、3Dプリンターで作られた新品の組織と交換できるようになる。こうした再生医療の確立により、人類の寿命は大幅に伸びる。
・ゲノム編集により、まずは遺伝性の病気の根絶が目指される。その後、研究者はアルツハイマー病や様々な癌、心臓疾患のリスク抑制に取り組む。
・人間の脳はインターネットと直接つながる。脳と宇宙を隔てる壁は消え、様々な体験が可能になる。しかし、ウィルス攻撃やパスワード管理など、セキュリティ上の問題が浮上する。
・これからの30年で、生命を支えるすべての構成要素やシステムの関係性が明らかになっていく。
・酵素の研究によって、まだ存在しない材料が大量に見つかる。
・文字情報、写真、動画などのデジタルデータは、人類が知り得た最も高度かつ高密度な情報記憶媒体、DNAに保存されるようになる。磁気テープでいっぱいの巨大な倉庫は、角砂糖ほどの分量のDNAで置き換えられる。
・複雑な有機飼料を食べ、特定の燃料や化学物質を生み出す人工微生物が自律的ロボットに組み込まれ、製造業のあり方は根本的に変わる。

☆食卓に並ぶ人造ステーキ。
・2050年には、世界の人口は100億人近くに達する。しかし、農畜産業の進歩により食糧難は起きず、一人あたりのカロリー摂取は今よりもむしろ増加する。
・窓のない建物の中で、水も栄養素も照明も徹底管理された都市型野菜工場が普及する。また、同じく都市の建物内でマグロなどの魚の養殖が行われることで、魚が動物性タンパク質の主要な供給源となるかもしれない。
・一方、生身の動物を一切必要としない、細胞培養による動物性食品の製造も進む。少なくとも、ステーキと牛乳は工場で大量生産されるようになる。
・アフリカなどの貧しい国々では、これまで先進国の農業で起きていたのと同じように、小規模自作農の統合が進む。

☆医療はこう変わる。
・医療分野におけるテクノロジーのライフサイクルは猛烈に加速している。だが、変化の主導権を握るのはテクノロジーではなく、患者だ。その結果、医療は徐々に他の産業に近づき、患者は顧客として扱われるようになる。
・医療界でAIによる破壊的な変化が起ころうとしている。診断から難易度の高い手術まで、現在人間がおこなっている作業は次第に学習能力をもった機械が担うようになる。
・幅広い疾患を幹細胞治療で直すという夢が実現する。患者の症状に合わせて、最適な幹細胞をオンデマンドで用意できるようになるだろう。
・癌や結核などを予防するためのワクチンの研究と実用化が進む。
・信頼性の高いゲノム配列の費用は安くなり、難病診断などの遺伝子検査が普及する。
・薬剤と遺伝子の相互作用を研究する、薬理ゲノミクスの市場は急拡大する。標的療法は今後の医薬品開発の中核となるだろう。
・糖尿病や肥満などの代謝疾患や、心疾患、癌などの幅広い慢性疾患の原因となっているエピゲノムの変化は、巻き戻せるかもしれない。
・CTスキャンやMRIで撮影された精密な画像は、細胞や特定の分子を撮影する「分子イメージング」と組み合わせることが一般的になる。

☆太陽光と風力で全エネルギーの三割。
・太陽光と風力発電の欠点は間欠的であることだが、これは蓄電技術の進歩で補える。中でも、リチウムイオン電池やフロー電池の改良・普及が有望だ。
・主にアメリカ・ヨーロッパ、ロシア、日本にある老朽化した200基近い原子炉は、これから20~30年で廃炉になる。一方、核分裂ではなく、核融合を使う、まったく別種の原子力発電が可能になるかもしれない。核融合では、高濃度の放射性廃棄物や原子炉メルトダウンの脅威なしに、安全に無限の電力を供給できる可能性をもっている。
・未来に待ち受けるのは、エネルギーが潤沢にあり、効率的に使われる世界である。

☆車は編まれ、住宅は印刷される。
・車は、炭素繊維を巨大な「織機」で編んで作られる。金属の部品をプレスしたり、溶接したりする必要はなく、従来のプロセスよりエネルギー消費は50%、水の消費は70%少ない。
・自らの形状を記憶して、自己修復したり、自ら部材に組み上がる「スマート材料」をはじめとした、様々な新材料が生まれる。また、昔からある材料も分子レベルで操作することで、性質を目的に合わせて変えられるようになる。
・「グラフェン」は、一原子層しかない「ナノ材料」で、シリコンの代替物として高性能チップや電池の製造に使えるかもしれない。
・これからの半世紀では、すべての家庭に3Dプリンターが普及することはまだないかもしれないが、製造業の大量生産の現場では、3D印刷は欠かせないツールになる。2016年にはその市場規模は67億ドルだったが、2040年には1兆1300億ドルへ成長する。
・大きなものでは住宅を含む建造物、小さなものではナノ材料と、非常に幅広い製品が3Dプリンターで印刷されるようになる。
・製造業においてリサイクルは必須となる。また、解体された電子機器や電気自動車、電池や家電などから金や銀などの貴重な材料を回収するアーバン・マイニングが一大産業となる。
・製品のカスタマイズ化が容易になり、単純作業のほとんどが自動化されるなかで、海外流出した製造業の多くは国内回帰する。

☆曲がる弾丸と戦争の未来。
・狙撃は、空中で軌道を調整できるフィン付きの弾丸によってさらなる進化を遂げる。これによってスナイパーは、標的との照準線上にいる必要がなくなる。
・ドローン、軽航空機、衛星のスパイ能力やミサイル誘導能力が高まるにつれて、非正規軍が山間部などに潜むことは難しくなり、都市部へ浸み出してくる。民間人の巻き添えを避けるため、狙撃手の重要性はますます高まる。
・陸海空において、人間の代わりに次第にロボットが使われるようになる。ドローン一つとっても、昆虫のように飛ぶスパイ用モデルから、落ち葉や木材を燃料にしながら何か月も稼働する補給用・攻撃用モデルまで、多くの種類が活躍する。
・ロボット技術がロケット技術と合わさることで、一段と「正確でスマートでステルスな」ミサイルが開発される。こうした武器は、国家以外の非正規軍の手にも渡り、自由主義世界は大きな脅威にさらされる。
・多くの国が衛星攻撃能力を保有するのにともない、緊急時に発射できる小型衛星が使われるようになる。また、宇宙から戦争を遂行するための、攻撃用兵器を備えた「バトルスター」も打ち上げられる。

☆ARを眼球に組み込む。
・街からは看板も信号も撤去される。現実世界をどの程度見たいかも自由に選べるようになり、見たくない人やモノを視界から消すことも可能になるだろう。
・スマートフォンの代わりに、誰もがARメガネを使うようになり、やがて、ARメガネもいずれはスマート・コンタクトレンズに変わっていく。その後は、簡単な手術によって「スマート水晶体」や「スマート眼球」をインプラントすることが普及するかもしれない。
・だが、こうしたテクノロジーは、監視社会の成立というトレードオフを免れない。デバイスのメーカーは、ユーザーの日々の活動はもちろん、首の動き、眼球の動き、刺激に対する反応まで、数々のデータを収集するようになるだろう。
・こうしたデータに、政府がアクセスを求めるのは間違いない。
・また、VRやARの業界を支配する会社の意に沿わないユーザーは、接続を遮断されてしまう。すると、ただの現実世界を一人漂流することになってしまう。

☆人工知能ができないこと。
・AIについての黙示録的ビジョンは捨ててよい。重大なリスクは、得体の知れない超知性の登場ではなく、私たちが自ら開発したデジタル・テクノロジーの使い方を誤り、人類の大半と地球全体に負の影響を及ぼすことである。
・AIによる変化の恩恵は万人で共有されるべきであり、また雇用の破壊などのコストは社会全体が引き受けなければならない。

☆プライバシーは富裕層だけの贅沢品に。
・ビッグデータから導き出されるパターンは膨大かつ曖昧なもので、人間の理解を超えている。社会は効率性の向上を手にするが、それと引き換えにシステムの背後にある因果関係の理解を諦めることに慣れていく。
・企業や個人の情報資産を預かる「データ銀行」が誕生する。
・フェイスブックやグーグルは、私たちが進んでデータを吐き出さなければ有料化する。また、プライバシーは飛行機のビジネスクラスや別荘のように、贅沢品となる。

☆テクノロジーは進化を止めない。
・蒸気機関から排出された二酸化炭素が、地球環境に思わぬ影響を与えたように、未来の技術も予期せぬ結果をもたらす可能性がある。例えば、テクノロジーと脳が密接に絡み合うようになったら、私たちの心はどうなるのだろうか。
・テクノロジーとは、すべて応急処置にすぎないことを理解する必要がある。テクノロジーはニーズを満たすと同時に、新たなニーズを生み出すのだ。
・テクノロジーによって何らかの問題が最終決着することもありえない。新たに挑戦すべきこと、解決しなければならない新たな頭痛の種は常に出てくる。また、数世紀に及ぶ絶え間ない技術変化が終わりを迎えることは決してない。』


「2050年の技術 英『エコノミスト』誌は予測する」  著 英『エコノミスト』編集部

🎸☺

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いわてスイーツフェアより

この本は、SF小説ではない。
しかし、全脳エミュレーショによって作られた「エム」というロボットについて、その考え得る社会的な営みを最大限に事細かく記載されているのに、なぜかSF小説を読んでいるような感覚に陥るという不思議な著書だ。
更に、エミュレートの元になっている「人間」についても述べられてはいるが、「エム」の物語を読みながらも、片時も、一方「人間」はどう生きているのかが頭から離れることはないという不思議な著書なのだ。

この「エム」というロボットについては、
「定義: エムは、特定の人間の脳をスキャンしてから、脳細胞の特徴や結合をそっくり模倣して構築されるコンピュータモデルで、人間の脳細胞と同じ特徴や結合に基づいて信号処理を行う。優れたエムは、信号の入出力をオリジナルの人間とほぼ変わらぬ性能で処理できる。会話を交わし、役に立つ仕事を実行することも可能だ。」
と、定義づけられている。
「アバター」とはまた違うが、共通する部分もあるようだ。

『本書は、二つの推測に基づいて展開していく。
一つは、次の時代を象徴する大きな変化は、「人工知能」の到来だというもので、今後は賢いロボットたちが、人間の労働者の仕事を一手に引き受けていくということだ。
そしてもう一つは、最初のロボットは全脳エミュレーショによって作られた「エム」で、今後ほぼ一世紀以内に登場するだろうということだ。

本書では、エミュレーションに関して具体的に次のような前提を立てている。
まず、高レベルの空間的・科学的解像度で人間の脳をスキャンしたら、つぎにそのスキャンを、個々の脳細胞の信号処理機能を忠実に再現したモデルと組み合わせる。それからすべての細胞の機能を人工的なハードウェアのなかで再現し、力学的に実行可能であり脳として十分に機能するモデルを構築していく。完成したモデルは、オリジナルの脳とよく似た形で信号の入出力を行う。この技術は、今後100年間のどこかの時点で実現するだろう。
エムがもたらす社会的影響を考えようとする一握りの人たちは、おおよそふたつのグループのいずれかに分類される。
天国か地獄かといったシナリオを描き出すグループと、新しい社会が到来した時代を説明するためには新しい社会科学が必要だと考え、何とか考案しようとするグループだ。
対照的に私は、今日では総じて学者たちが標準と認めている科学をそのまま土台として利用しながら、未来に関する斬新な予測を立てていく。従来よりも広い範囲を網羅して事細かく取り組んでいき、どうあるべきかではなく、どうなるかについての予測を中心に据えていく。本書ではシンプルな「ベースライン」シナリオを提供するが、実際の未来は、私が描くシナリオよりもさらに摩訶不思議なものになるかもしれない。』

久しぶりに、混乱する本に、出会った。


「全脳エミュレーションの時代(上下)」 著 ロビン・ハンソン

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NB Press Onlineより

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