月別アーカイブ / 2018年07月

本書は、哲学書としては異例ともいえるベストセラーを続けている、時代の最先端の哲学者マルクス・ガブリエルの著書だ。
しかし、哲学書がベストセラーになるというのは、現代人が心のどこかに急速な自然科学の発展に精神世界が追い付けていないことへの疎外感を抱え、また私たちが、近代的ニヒリズムの無意味論やニューロン構築主義に対する救いを哲学に求めていることの現われなのかもしれない。
私自身は、そんなに学問としての哲学に関心を持っているわけではない。
しかし、
自然科学的に理解すると、モノを見るということが、光子つまり電磁波が私たちの眼に衝突し、その電磁波が電気的刺激に変換され、脳の大脳皮質の視覚野でそれを像として知覚するという活動だとしたら、私たちがモノを見るということは、哲学者が「心的表象」と呼ぶような、こういった電気信号が繰り広げる「世界」という映画のようなものを見ていることなのだろうか?
更に、こういった見えているモノが、いったい脳の幻想ではなく現実に存在すると考えられるわけは?
外界が色彩のない素粒子といっそう高次の巨視的水準での素粒子の集合体とでできているとしたら、私たち自身も世界というひとつの巨大な容れ物のなかにある単なる素粒子の集積にすぎないのだろうか?

と、いったような素朴な疑問を持つ現代人は私を含めて多いのではないだろうか。
また、私に限って言えば、ニューロン構築主義のような思考にひきづられがちな部分があることも自覚している。
だから、できればこういった疑問や行き止まり感に対して、何がしかの答えの糸口を探している。

本書で、著者は、世界は存在しないという挑発的な表現を使っているが、それは著者の「世界」というワードそのものの哲学的定義から出発するものだ。そして、そういった論理を進める前提となる定義については、著者は丁寧に押さえながら論理を進めている。
一読したところ、自然科学や宗教における世界像に関しては、少し強引かなと思える箇所はあったが、おおむね、世界は存在しないという論理展開について理解できる所も多かった。特に宗教というモノの本質を考える際に、なるほどと思わせるものがあった。
しかし、一方、芸術における意味やエンドロール等の章では、一言で言えばどうも切れ味が鈍いような。
更に、本書では自然科学の世界像のなかで、人間の知性を超える可能性を秘めたAIのようなものには全く触れられていない。
もし今後、AIの知性が爆発的に進化した時にも、自然科学と人間と哲学の関係に変化はないのだろうか?

本文からの引用
『☆世界は存在しない
本書では、新しい哲学の原則を示してみせたいと思っています。この哲学の出発点となる基本思想は、ごく単純なものです。
すなわち、世界は存在しない、ということです。これは、およそ何も存在していないということではありません。
世界は存在しないという原則には、それ以外のすべてのものは存在しているということが含意されているわけです。したがって、いったん前もって、こうお約束することができます。わたしの主張によれば、あらゆるものが存在することになる――ただし世界は別である、と。
また、本書の第二の基本思想は、新しい実在論です。ここで言う「新しい実在論」は、いわゆる「ポストモダン」以後の時代を特徴づける哲学的立場を表わしています。
この新しい実在論が想定するのは、わたしたちの思考対象となるさまざまな事実が現実に存在しているのはもちろん、それと同じ権利で、それらの事実についてのわたしたちの思考も現実に存在している、いうことなのです。
これに対して形而上学は現実を観察者のいない世界として一面的に解し、また構築主義は現実を観察者にとってだけの世界として同じく一面的に解することで、いずれも十分な根拠なしに現実を単純化しています。
しかし、この世界は、観察者のいない世界でしかありえないわけではないし、観察者にとってだけの世界でしかありえないわけでもない。これが新しい実在論です。』
*構築主義:「およそ事実それ自体など存在しない。むしろわたしたちが、わたしたち自身の重層的な言説ないし科学的な方法を通じて、いっさいの事実を構築しているのだ」と主張するあらゆる理論の基底にある考え方。

『☆そもそも、この世界とは?
この世界全体とは何なのかを突き止めようと思うなら、さしあたってわたしたち自身が知っていると思っている一切のことをいったん忘れ、一から問い直さねばなりません。慣れ親しんだ確信をいったん手放して、地球外生命体や子供のように、そもそもわたしたちはどこに存在しているのかと問うてみましょう。
この世界全体はそもそも何だと考えられるべきなのかと問うより前に、この世界全体はそもそも何であるのかという問いに答えるほうが、ずっと意味があるように思われるからです。
まず世界とは、わたしたちとは無関係に、単にそのものとして存在しているすべてのもの、わたしたちを取り囲んでいるすべてのものの領域であると、そう考えてよいでしょう。
他方で、今日では、何らかの特殊な意味を込めて「宇宙」という言葉が用いられます。この言葉が指しているのは、ひとつの無限な拡がりに他なりません。
わたしの主張したいことは、宇宙は事実として存在はするがすべてではないということです。厳密に言えば、宇宙はごく特殊な限定領域にすぎません。
宇宙という言葉によって思い浮かべるものは、実験によって開拓できる自然科学の対象領域に他なりません。
ところが世界は、そのような宇宙よりも明らかに広大です。世界には、国家も、夢も、実現しなかったさまざまな可能性も、芸術作品も、それにとりわけ世界についてのわたしたちの思考も含まれているからです。つまり世界には、触って確かめることのできない対象がかなり数多くあるわけです。ここでわたしが披露している世界についての思考を読み、追考しているからといって、その間、あなたが世界から消え去って、いわば外から世界全体を観ていることにはなりません。世界についてのわたしたちの思考は、世界のなかに存在し続けています。
したがって世界を有意味に定義しようとすれば、すべてを包摂する領域、すべての領域の領域とするほかありません。世界とは、何といってもすべてを―この人生、この宇宙、そのほかすべてを―包摂する領域なのです。
*世界:すべての意味の場の意味の場。それ以外のいっさいの意味の場がそのなかに現象している意味の場。
*宇宙:実験によって開拓できる自然科学の対象領域。
*現象:「現われ」、「出来事」、「存在」を表す一般的な名称。現象は、数のような抽象的なものでありうるし、時間的・空間的な制約のもとに存在する物のような具体的・物質的なものでもありうる。
*意味の場:何らかのもの、つまりもろもろの特定の対象が、何らかの特定の仕方で現象してくる領域。
*対象:真偽に関わりうる思考によって考えることのできるもの。そのさい、すべての対象が時間的・空間的な拡がりをもった物であるわけではない。夢のイメージや数も、形式的な意味において対象である。
*対象領域:特定の種類の諸対象を包摂する領域。そのさいには、それらの対象を関係づける規則が定まっていなければならない。

つまり、
1、宇宙は物理学の対象領域である。
2、対象領域は数多く存在している。
3、宇宙は、数多くある対象領域のひとつにすぎず(大きさの点で最も印象的な対象領域であるとしても)、したがって存在論的な限定領域にほかならない。
4、多くの対象領域は、話の領域である。さらにいくつかの対象領域は、話の領域でしかない。
5、世界は、対象ないし物の総体でもなければ、事実の総体でもない。世界とは、すべての領域の領域にほかならない。』

『☆存在するとはどのようなことか

*存在すること=何らかの意味の場に現象すること。
そして、世界とは、すべての意味の場の意味の場。それ以外のいっさいの意味の場がそのなかに現象している意味の場であり、もってすべてを包摂する領域である。
すると、存在するいっさいのものは、世界のなかに存在していることになります。世界こそ、いっさいの物事が起きる領域にほかならないからです。世界のそとには何も存在しません。世界のそとにあると考えられるものも、そう考えられるものとして世界のなかに存在しています。
かくして、存在するということには、つねに何らかの場所の規定が含まれていることになります。存在するとは、何かが何らかの意味の場に現象することだからです。
だとすると、こう問わなければなりません―世界が存在しているとすれば、その世界はどのような意味の場に現象するのだろうか、と。
世界は、世界のなかに現れては来ないことを簡単に確かめることができます。
視野を例にして考えてみると、視野という領域のなかでは、けっして当の視野それ自体は見えません。そこで見えるのは、眼に見える対象だけです。せいぜいできそうなことは、視野を絵に描いて表現しようとすることくらいでしょう。ここで、たとえば眼前に拡がる視野を寸分違わず絵に描く才能が、わたしにあるとしましょう。このときわたしは、わたし自身の視野を描いた絵を、じっくり見ることができるでしょう。けれどもこの絵は、もちろんわたしの視野そのものではなく、わたしの視野のなかにある何かにすぎません。これと同じことが、世界にも当てはまります。わたしたちが世界を捉えたと思ったとしても、そのときわたしたちが眼前に見ているのは、世界のコピーないしイメージにしかすぎません。わたしたちには、世界それ自体を捉えることはできません。世界それ自体が属する意味の場など存在しないからです。

世界は存在しません。もし世界が存在するならば、その世界は何らかの意味の場に現象しなければなりませんが、そんなことは不可能だからです。

そして、わたしたちが世界についての像を描けないのは、外から世界を眺めることができないからだということに関連しています。トマス・ネーゲルの卓抜な言い方を借りてすでに述べたように、わたしたちは「どこでもないところからの眺め」を獲得することはできません。現実を眺めるということは、つねに何らかの地点から行うほかないからです。わたしたちは常にどこかに居るのであって、どこでもないところから現実を眺めることは決してできません。』

『☆自然科学の世界像
科学的世界像がうまくいかないのは、科学それ自体のせいではありません。科学を神格化するような非科学的な考え方がよくないのです。どのような科学も、世界それ自体を明らかにするわけではありません。
精神を無視して宇宙だけを考察すれば、いっさいの人間的な意味が消失してしまうのは自明なことです。しかし悪いのは宇宙ではなく、わたしたち自身です。つまり近代的ニヒリズムを支えているのは、わたしたち自身が犯す非科学的な間違いに他なりません。すなわち、物それ自体を宇宙のなかに現れてくる物と取り違え、それ以外のすべてを生化学的に惹き起こされた幻覚と見なすという間違いです。このような幻想を黙って受け入れてはいけません。』

『☆宗教の意味
宗教の源となるのは、いかにしてこの世界に意味が存在しうるのか―それも、わたしたちが好き勝手に捏造することなく理解できる意味が存在しうるのか―を理解したい、という欲求です。こう考えてみれば、宗教とは意味の探究の一形態であると言って間違いありません。
宗教の源となるのは、最大限の距たりから自身へと回帰したいという欲求です。人間は自身を放擲して、自分など無限なもののなかの些細な一点にすぎないと考えることさえできます。このような距たりから自身へと回帰するとき、わたしたちにはおのずからこんな問いが浮かんできます。
わたしたちの人生にはそもそも意味があるのだろうか。それとも、意味があるようにと願うわたしたちの希望は、無限のものという大海のなかの水滴のように空しく消えゆくものなのか、と。
かくして宗教と源となるのは、この迂回の運動―わたしたち自身から全体へと向かい、そこからわたしたち自身へと回帰する運動―が無意味ではないという印象、この運動が全体にとって何らかの意味をもっているはずだという印象なのです。
―中略―
わたしたちには、すべてを知ることはできません。何といっても、すべてを取りまとめて組織化している原理が存在しないから、つまり世界が存在しないからです。
したがって、そのような原理としての「神」を考えるのであれば、そのような意味での神も存在しません。わたしたちは、けっして自らが何ものなのかを知っておらず、むしろいつでもそれを探究している状態にあります。この自己探究を単純な答えで打ち切ってしまおうとすれば、何らかの形態の迷信と自己欺瞞になるほかありません。
宗教は、世界を説明するのとは正反対のものです。世界は存在しないというテーゼに近いところに宗教が立っているのも偶然ではありません。
この世の生は夢であるというヒンドゥー教の教えから、「わたしの国はこの世には属していない」というイエスの有名な言葉、それに仏教に言われるこの世からの解脱に至るまで、そのような例には事欠きません。
ごく挑発的に、こんなふうに言うことさえできるかもしれません。
神は存在しないという洞察、つまり神はわたしたちの人生の意味を保証してくれる対象ないし超対象ではないという洞察にこそ、宗教の意味はあるのだ、と。
宇宙ないし人生を統べる偉大な主が存在すると考えるならば、それは自らを欺いていることになります。そのような世界全体など存在せず、したがってそれを統べるはずの者も存在しないからです。
しかし、宗教ないし神についての話が無意味だということにはなりません。むしろ逆に宗教の意味は、わたしたち人間の有限性を認めるところに見て取ることができます。宗教は、まず最大限の距たりの立場をとってから人間へと回帰してきます。人間は、神に取り組むことによって精神の歴史という冒険に乗り出したのでした。』
「なぜ世界は存在しないのか」   著 マルクス・ガブリエル

🍺🍺



新潟.PNG
Komachiより

未来学者という魅惑的だがちょっと馴染みのないこの言葉に魅かれてこの本を手に取った。
しかし本書の内容自体は、現実の実例をもとにして、あくまで実務的である。また、未来予測技術を現実に適用するための方法論的なステップにも充分紙面を割いている。しかし、本書で語られる未来予測技術は、そう簡単にマスターできる技術ではなさそうだ。
だが、確かに、ただ漫然と未来を思い描くよりも、本書に示されたような予測ステップに沿った方法を試行錯誤しながらも実践することで、ひょっとすると著者のような未来学者でなくても、未来予測から進んで、未来への戦略を立てられるところにまで辿り着けるのかもしれない。

『☆未来学者の仕事とは
未来学者の仕事は、予言を語ることではない。データを集め、台頭しつつあるトレンドを見つけ、戦略を考え、未来におけるさまざまなシナリオの発生確率を計算することだ。
こうした予測は、組織が破壊的変化に直面するなかでも、リーダー、チーム、そして個人が、質の高い情報に基づいて判断を下す一助として使われる。
つまり、今どんなテクノロジーが台頭しつつあるのか。それはわれわれや顧客にどのような影響を与えるのか。ライバルはこのトレンドにどう対処する気なのか。新たにどのような協力・提携の可能性が生まれるのか。産業全体ないし部分にどのような影響を与えるのか。変化の推進力となっているのは誰か。結果として、顧客の要望、要求、期待にどのような変化が生じるのか。
こうした問いに答えるには、他人の立てた予測に頼るだけでは不十分だ。研究者、他の経営者、各分野の思想的リーダーなどの見立てを評価し、取捨選択するための体系的プロセスが必要となる。
自分自身で未来を読むための方法論が必要だ。』

『☆未来を予測するための「6つのステップ」
1、社会の端っこに目を凝らす。
端っこからの情報をとらえられるように幅広く網を張る。
ここにはノードとノード同士の関係性を示すマップをつくり、「想定外のニューフェース」を絞り込む作業も含まれる。

2、CIPHER(サイファ)を探す。
端っこから集めたデータを分類し、隠れたパターンを発見する。
パターンはトレンドの手がかりとなるので、矛盾(Contradiction)、変曲(Inflection)、慣行(Practices)、工夫(Hack)、極端(Extreme)、希少(Rarity)を徹底的に探さなければならない。

3、正しい質問をする。
パターンが本物のトレンドかどうか見極める。ひとたびパターンを見つけてしまうと、探すのをやめたくなるものだ。
だが、反論を考えるのは予測プロセスに不可欠のステップだ。ほとんどの人が、自分の仮説や主張に穴がないか、徹底的に探ろうとはしない。

4、ETA(到着予定時刻)を計算する。
トレンドを解釈し、タイミングが合っているか確認する。これはいわゆるS字カーブを描き、屈曲点を探すという話に留まらない。
テクノロジー・トレンドが軌道を進む際には、二つの力が働く。一つはハイテク企業内部の変化であり、もう一つは外的変化である。後者は政府や隣接する業界の動きなどで、どちらも計算に入れる必要がある。

5、シナリオと戦略を考える。
「起こりそうな未来」、「起こるかもしれない未来」、そして「起こり得る未来」のシナリオを考え、それぞれに対応した戦略を立案する。
このステップではテクノロジーの進歩の時間軸と、それのもたらす結果に対する感情的反応の両方を考える必要がある。そして、それぞれのシナリオにスコアを付与し、そうした分析に基づいて行動計画を立てる。

6、行動計画の有効性を確認する。
あなたが選んだ行動は正しいかどうか。最後のステップでは、トレンドに対して選んだ戦略が、望ましい結果をもたらすことを確認しなければならない。現在と未来の両方について問いを投げかけ、ストレステストにかける。

この6つのステップのうち、最初の4つのステップはトレンドの見つけ方にかかわるもの、最後の2つはとるべき行動を決定するためのものだ。
新しいものは奇抜に思える。これから起ころうとする変化は、日々の生活の一部となるにはあまりにも突飛に見えるからだ。しかし、本書を通じて考えていくのは、次の問いだ。
「どうすれば、『もうすぐ当たり前になるもの』をそれほど奇抜と感じなくなるか」だ。

6つのステップは、その答えを見つけるのに役立つだろう。だがその前に、本物のトレンドと、キラキラ光るトレンディなもの(一時的な流行)とを区別する方法を身につけなければならない。

☆そもそもトレンドとは何か
テクノロジーによって、本物の潮流である「トレンド」と、一時的な流行にすぎない「トレンディ」を区別するのが難しくなった。それはトレンドが複雑でわかりにくい、あるいは目に見えないからだ。最新のアプリ、発売されたばかりのガジェット、話題のSNSなど、トレンディなものにわれわれはとかく夢中になりやすい。一方、テクノロジーによって組織、政府、教育、経済、文化の形がどう変わりつつあるのかを把握するのはずっと難しい。
どんな時も社会の端っこでは、やがて未来の生活に影響を与えるようなテクノロジーの変化が何百と起きている。
つまりトレンドとは、特定の産業や公共セクターや社会で持続的に発生している変化、あるいはわれわれ相互の関わり方の持続的な変化が、新たに表面化したものだ。
あらゆるトレンドは、日常生活の様々な側面ともかかわっているが、またトレンドには、明確かつ普遍的な特徴がいくつかある。

〇トレンドは、人間の基本的なニーズから生まれ、そのニーズを新たなテクノロジーが叶える。
〇トレンドは、タイミングよく登場し、しかも存続する。
〇トレンドは、出現した以降も変化を続ける。
〇そして、トレンドは、互いに結び付けることのできない多数の点として社会の端っこで出現し、主流へと移動していく。


☆未来を「6つのタイムゾーン」で整理し、テクノロジーのトレンドと「変化の10の要因」を絡み合わせる。

トレンドを見つけるのは難しい。トレンドの形成につながるすべて変化が地味であるとか、社会で当然とされているモノの考え方を否定しかねないものであるときは、なおさら難しい。
しかも、周辺分野の状況に目を向けず、1つの分野のトレンドだけを追いかけていると、目の前のまばゆいトレンディなモノに目を奪われ、変化の10の要因がはるかに大きな変化をもたらそうとしている様子を観察する機会を逃してしまうだろう。

変化の10の要因。
1、富の分布。2、教育。3、政府。4、政治。5、公衆衛生。6、人口動態。7、経済。8、環境。9、ジャーナリズム。10、メディア。

それでは、6つのステップをもっと詳細に見ていこう。

☆ステップ1 社会の端っこ(フリンジ)に目を凝らす。
未来を探そうとするとき、たいていの人は伝統的な市場調査から始める。
だがそれは未来ではなく、過去を振り返ることだ。フォーカスグループに招かれる普通の消費者が新たなトレンドを話題にし、新聞やウェブサイトで記事になるころには、端っこのアイデアは主流に移行している。すでに考えた「起こりそうな未来」の補強材料を探しているだけなら、こうした情報源で必要な情報は入手できるだろう。広く受け入れられたリサーチ方法ではあるが、そこからは今この瞬間、端っこで起きていることは浮かび上がってこない。
もし、あなたが何かの未来を予測しようとしているなら、最初のステップはいくつもの交錯する変化のベクトルをしっかり見ることだ。違う考え方をする人を探す必要がある。
簡単に言えば、もっと大きな網をはる必要がある。
今見えている地平線の先にある「起こるかもしれないこと」や「起こり得ること」を理解するため、つまり未来Xの定義を広げるためには、「想定外のニューフェース」を見つけ、深く理解しなければならない。
まだ華々しい賞を受賞していない人、「40歳以下の40人」特集などに取り上げられていない人だ。
過激で斬新なアイデアを持っているがゆえに、議論を巻き起こしていることも多い。あるいは、まったく気づかれないところでひっそり研究に没頭しているかもしれない。そして、こういった端っこの頭脳は、未来Xを広く定義する。それゆえ、現時点の状況のもとで起こりそうなことや起こるかもしれないことではなく、起こり得ることを考えられるようになる。
端っこの想定外のニューフェースに注意を払うのは重要だ。彼らの生み出すものは、主流に到達したときに驚きをもって受け止められることが多いが、実はずっと以前に発見し、その動向を見守ることが可能である場合が多い。
そしてその為には、端っこのスケッチを描くことが役に立つ。

〇端っこのスケッチのルール
・理論上の話、あるいは質の低い情報まで含める。
・現在の障害は、未来には克服されるかもしれないと想定する。
・工夫次第では使えるもの(あるいは、少し違う用途に使えるもの)は、使われるようになると想定する。
〇ノードや繋がりをはっきりさせるために、次の「明確化のための質問群」に応える。
・この分野に直接、間接的にかかわっているのは誰か。
・この分野の実験に資金を出している、あるいは他の形で奨励しているのは誰か。
・この出来事によって直接的影響を被るのは誰か。
・このような変化を阻もうとする動機を持っているのは誰か。そうすることで何か得をする、あるいは損をするのは誰か。
・このアイデアをもっと壮大なこと、あるいはもっとすばらしいことの出発点とみる可能性があるのは誰か。

〇社会の端っこから中心にいたる、受容の七段階
・第一段階:そんなものは聞いたこともない。なぜ試す必要があるのか。なぜ関心を持つ必要があるのか。
・第二段階:聞いたことはあるが馬鹿げている。大きく成長することはあり得ない。
・第三段階:内容は理解しているが、自分をはじめ顧客や支持者や投資家や聴衆の役に立つとは思わない。
・第四段階:役に立つ可能性がありそうだ。情報を集め、市場にどれぐらい勢いがあるか見てみよう。
・第五段階:役に立つことは理解し始めたが、まだ社会にとって必要なものというより、目新しいものに過ぎないと認識している。初期採用者がどのように使っているかを、リサーチした報告書を見てみたい。
・第六段階:今では自分自身が頻繁に使っている。生活の一部となってしまった。
・第七段階:これがないと生活が成り立たない。これなしにどうやって暮らしていたのだろう。なぜ、このトレンドを見逃していたのか。

☆ステップ2 CIPHERを探す。隠れたパターンを発見する。
これから登場するテクノロジー・トレンドを探すには、想定外のニューフェースが進めている、新たな研究を見ているだけでは不十分だ。
トレンドを指し示す様々なパターンを見つける努力をし、そのトレンドがなぜ登場しているかを明らかにする必要がある。この分析を通じて、トレンドが辿るであろう軌道、いつかそこに絡んでくるかもしれない他の人々や組織、そして端っこに潜んでいる、追跡を開始すべき新たな想定外のニューフェースが浮かび上がってくる。
広い範囲に網を投じた後は、ブレーンストーミングで出て来た様々な結果をCIPHERモデルで絞り込み、ノイズのなかからシグナルを見つける。シグナルはトレンド候補を指し示す。しかし、シグナルを聞き誤ってはいないだろうか。見つけたトレンドは正しいだろうか。CIPHERモデルを当てはめる過程では、ときに間違いを犯す可能性がある。
そこで、予測プロセスの第三ステップだ。本当に正しいパターンを見つけたのか、そして自分が見たものをそのまま信じてよいのかを評価するのである。

☆ステップ3 正しい質問をする。本物のトレンドかどうか見極める
予測プロセスの第一、第二のステップが終わった段階では、トレンドの候補が見つかっただけである。
ブームが過熱し、投資家がスピード狂のごとく猛烈な勢いで引っ張っていくなか、あえて距離を置き、反対の立場を取る必要がある。
つまり、トレンド候補を分解し、前提条件や知見に疑問を投げかけるのが、予測プロセスの第三ステップだ。
それは次の重要な問いから始まる。「このトレンドが、社会の持続的変化の表れであることを証明するには、何が真でなければならないか。」
要するに、「このトレンドは、産業、公共セクター、社会、あるいはわれわれが他者とかかわる方法をめぐる新たな持続的変化の表れである。」と証明しなければならない。
そのためには、自らの確信バイアスを再検証し、反対の立場からディベートするようにトレンドを分析しなければならない。その手法としては、大きな概念を小さな構成要素に分解し、その一つ一つについて誤っていると証明できないか調べていく「ディスアドバンテージ(略してディスアド)」のやり方を採用する。
こういった検証作業の結果として、説得力のあるディスアドをつくれていなければ、それはトレンドなのだし、たくさんの穴を見つけることができれば、それは一時的なトレンディに過ぎないのだ。

☆ステップ4 ETAを計算する。今がベストのタイミングかどうか。
予測を立てる人は通常、トレンドのタイミングを説明する際、S字カーブを使う。しかし、S字カーブは過去を視覚化するのには有効だが、リアルタイムにはそれほど役に立たない。スマートフォンのような新たなテクノロジーの普及を理解するのには有益だが、ルート上の事象を視覚化するのには使えない。そうした事象はそれぞれが独立変数であり、技術進歩と違って必ずしも積み重なっていくわけではないからだ。
ETAに影響を及ぼす要因
〇外的事象:テクノロジーが順調に進歩したばあいでも、トレンドの未来に影響を及ぼしうる隣接する出来事や状況。これについては、通常、テクノロジー企業のコントロールはまったく及ばない。
〇テクノロジーの内的進歩:トレンド固有の、あるいはトレンドに影響に直接影響を受けるテクノロジーの進歩。こうした進歩は通常、組織の中で起きるか、あるいは組織と外部の研究者の協力関係の結果として起きる。

☆ステップ5 シナリオと戦略を考える。もしA【事実、視点、構想】ならばB【結果】せよ。
トレンドが軌道上のどこにあるかを見極めたら、当然次のステップは「もしAならばBせよ」という表現に当てはめてみることだ。予測プロセスの第五ステップは、カーンの生み出したシナリオという概念を使い、事実を物語の文脈のなかに位置付け、未来に想定される筋書きをつくることだ。将来確実に起こるはずの事象を予測するのが目的ではない。起こり得る様々な結果をイメージし、現在取るべき戦略について賢明な判断を下す一助とすることだ。
優れた筋書きには「型」がある。型は細々とした事実をまとめて、物語として構造化するのに役立つ。そうすることで膨大なデータをそれほど苦労せずに理解できるようになる。
さらに、テクノロジーの未来について意思決定をするのは人間であり、その感情を理解しておく必要がある。われわれはどんなことが起きてほしいと望んでいるか、強く望んでいるのに実現しなさそうなことは何か。恐れているのに実現しそうなことは何か。
だから、少なくても「楽観的」「現実的」「悲観的」「破滅的」のような4つのストーリーを描いておく必要がある。
また「起こりそうな未来」「起こるかもしれない未来」「起こり得る未来」からのシナリオも必要だ。

☆ステップ6:行動計画の有効性を確認する。戦略をストレステストにかける。
未来予測の最終プロセス。自ら作成したトレンドに関する仮説と戦略に穴がないか、最終確認することだ。自分が正しいと考えていることをストレステストにかけ、とろうとしている行動の妥当性を再検討する必要がある。この最終ステップは、とりわけ新たなテクノロジーに関するシナリオで重要となる。
〇ストレステスト「FUTUREテスト」
F(Foundation)基礎、U(Unique)ユニーク、T(Track)追跡、U(Urgent)緊急性、R(Recalibrate)手直し、E(Extensible)拡張性

☆最後に、人類にとっての意味。未来をリバース・エンジニアリングする。
今まさにテクノロジーの現代版カンブリア爆発が始まろうとしているのなら、100年も経たずに人間の暮らしは今日とはまるで違ったものになるだろう。この技術進歩、すなわち様々な問題やトレンドは、組織にとって破壊的力となると同時に機会を創出する。
だが、それはともに地球に暮らす人類の未来にとって何を意味するのか。そうした枠組みのなかで、われわれが考えるべき問いが10個ある。
①、ボット、ブレーンネットワーク、AI、あるいは別のテクノロジーが罪を犯したら、誰が罪に問われるのか。責任は誰にあるのか。②、一流の外交官、特殊部隊の隊員、認知心理学者、テロ組織に所属する囚人の意識を結合したらどうなるのか。戦争において、人間の知識や経験が兵器として使われるようになるのか。③、未来には、誰があなたの顔、目、生体認証データの「所有者」となるのか。アクセス権を誰に付与するかを、どのように決めるのか。④、未来であなたの体がハッキングされたらどうするのか。肌、目、呼吸に関するあなた固有の情報が盗まれたら。⑤、特定のテクノロジーを体に埋め込んだ後、その製品が廃版になったらどうなるのか。企業が生産中止にしたテクノロジーのスペア部品や修理サービスを停止することで、それを使っていた人間が苦しんだり命を落としたりするのは許されるのか。⑥、信頼をよせるテクノロジーがハッキングをされ、信頼感を持てなくなったらどうするのか。そうしたデバイスなしに暮らしていくことができないとすれば、どうすれば信頼感を回復できるのか。⑦、われわれの社会は意図せずに、アナログ市民という未来の最下層を生み出しつつあるのか。匿名性は富裕層だけが持てる特権になるのか。⑧、現在のテクノロジーの使い方が未来には野蛮と見なされるような認識の変化は、どのように起こるのか。⑨、未来には機械があらゆる場面で人間を支援するようになる。そんななかで「人間」であるというのは何を意味するのだろうか。⑩、未来において、われわれが欲しがっていたものをすべて手に入れたとき、何が起こるのか。

未来は私の孫の世代、娘世代、私自身やあなたの前に、突如として立ち現れるものではない。われわれが今、現在進行形で生み出しているものである。われわれには来るべき事態を予測するだけではなく、自ら望む未来を創り出す能力がある。テクノロジーがより広範な分野でイノベーションを誘発し、端っこから生まれたトレンドが主流へと移行するなか、自らが身を置く分野や産業の方向性を決めるような行動を起こすことができる。』


今、著者が注目する集団「マジック・リープ」 ARデバイス 解放思考と集中思考


ちょっと考えてみよう、
例えば、ブロックチェーンはトレンドだろうか?
純粋なテクノロジーではないが、ベーシックインカムは、はたしてどうだろう?


「シグナル 未来学者が教える予測の技術」  著 エイミー・ウェブ

🍺☔

NO__m70uTf.jpg
You Tube より

↑このページのトップへ