月別アーカイブ / 2018年04月

この邦題も紛らわしい邦題だ。
というのも、本書は、「人工知能」に関して何かを述べるというより、将来的に人工知能がもたらすかも知れないと言われている「シンギュラリティ」という事象への予測の真実性に特化した内容になっているからだ。
まず、シンギュラリティ仮説とは、2045年あたりにAIの能力が人間を凌ぎ、機械的支配が進んで世界のありさまが大きく変容してしまうという予測のことだ。「シンギュラリティ」という言葉は1980年代に数学者ヴァーナー・ヴィンジが言い出したが、未来学者のレイ・カーツワイルが2000年代半ばに楽観的予測をおこない、さらに 2010年代に機械学習によるビッグデータ処理技術が顕著な進展を示すとともに、一挙に 国内外で有名になってしまった。かみ砕いて言えば、人間のような意識をもち、汎用の機能をもつ「強いAI」がおよそ30年後に出現するという話である。
この仮説について現在、主に三つの見方が存在する。
第一は、AIが人類に光明と幸福をもたらすという楽観論、第二は逆に災厄と不幸をもたらすという悲観論。両者はいずれも、シンギュラリティがかならず到来するという前提に立っている。
そして最後は、来るか来ないかよく分からないという、中立論だ。
だが、科学者でもなければAI研究者でもない、私も含めて大方の人は、立場的にはこの中立論なのではないだろうか。
ところが、著者は、上述の三つの立場以外の、「シンギュラリティ」と言われている事象の予測に対して、明確に否定的な立場を取っているのだ。
といっても、著者は、決してAI技術自体を否定しているわけではない。本来のAI技術が、「シンギュラリティ」によって変質してしまうことを批判しているのだ。

そこで、著者は、「シンギュラリティ」仮説を否定する根拠として、
1、技術的特異点について。
2、コンピュータの自律性について。
3、シンギュラリティ仮説とグノーシス主義との共通点。
4、グローバルなIT企業の政治的な野心。
を挙げている。
まず、1、技術的特異点に関しては、「ムーアの法則」に代表される、技術が指数関数的に成長するという予測は、物理的限界を無視しており、科学的根拠を欠いたものだと手厳しく指摘している。ある仮説が説得性を持つには、いくつかの相異なる仮説と比較することが不可欠なのに、そういう手続きがまったく踏まれていないと主張しているのだ。
更に、2、コンピュータの自律性についても、現在の人工知能開発における技術レベルを見る限り、コンピュータが、人間の力を借りずに際限なく進化し続け自律するとは考えられないと述べている。

私も、確かに、カーツワイルの唱える「ムーアの法則」の一般化については、ちょっと論理的に牽強付会的な要素が無きにしも非ずのようにも感じる。
だがそうであったとしても、著者も認めているように、技術というものはいつパラダイムシフトというものが起きるか分からないものである。とすれば、今、現在の技術レベルで先が見通せないといっても、一概に未来の可能性を否定できるのであろうか、私には疑問なのである。

ということで、本書を読んでみても、私には「シンギュラリティ」に対しての中立論的立場を変えるほどの納得感は得られなかったというのが事実だ。
その上、3及び4については、些かシンギュラリティの発現ということに関しての本来の議論とは、かなりかけ離れていると、私には思えた。
特に、4に関しては、些か無理筋な感が否めない。
唯、シンギュラリティが終末論のようなものに短絡的に結び付くことへの警戒心というものに関しては、著者に同意できるところである。

☆シンギュラリティと終末論
『シンギュラリティに賛同する人々は、人間が死や苦痛を逃れ、永遠に生きていくためには、世界と完全に調和し、外の世界の現実に適応させるべきだと主張する。しかし、言葉を変えるならばそれは、出口のない要塞の中に監禁されることを意味する。そして、完全に閉じ込められたと悟った時にはもう、完璧な世界が完成していて、自由なふるまいはすべて、違反行為とみなされてしまうのだ。私は先ほど、仮像という言葉を用いて、グノーシス主義が、その母体となった啓示宗教から離れていった経緯を詳しく示した。また、強い人工知能、もしくは汎用人工知能についても、仮像によって、本来の意味での人工知能からかけ離れていった経緯を説明した。結局、このシンギュラリティ自身も啓蒙主義におけるヒューマニズムの仮像なのだ。どちらも、人間が自然を支配するという希望、いや、途方もない野望を持っている為、一見すると同じものに思える。だが、仮像である以上、シンギュラリティは見た目こそ同じであるが、啓蒙主義とはまったく別のものに変化している。啓蒙主義には、ヒューマニズムの名のもとに進歩を限りなく続けていこうという理想がある。そして、そのためには外の世界へ自らを無限に開放していかなければならない。だがシンギュラリティは、完璧に作り上げられた結末の中に、未来を閉じ込めてしまうのである。』


「そろそろ、人工知能の真実を話そう」  著 ジャン=ガブリエル・ガナシア 

🚀🍓

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朝日新聞デジタルより

本書で、著者は、結論的には、ビットコインを初めとする仮想通貨は、長期的には「FX取引」(外国為替証拠金取引)と同様な位置付けになっていくのではないかと見ている。仮想通貨は将来的には「通貨」としてよりも「投資商品」として位置付けられるようになるのではと考えているのだ。つまり、将来的にみて通貨としての役割はとても限定的になるだろうと予測している。
そして、その理由は、仮想通貨には以下のような課題と問題点があると考えているからだ。
①、ダーティなイメージの広がりと信頼性の低下 ②、保有、採掘、取引構造の偏り ③、発行上限やリワード半減の仕組みの持つ弊害 ④、ブロックサイズ問題と分裂騒動 ⑤、仮想通貨に対する規制導入の動き ⑥、健全なコミュニティー作りの失敗 ⑦、バブル的な兆候、である。

著者である中島氏は、長らく日本銀行に勤務しかつ国際決済銀行(BIS)に出向していて、決済や通貨の研究に長く携わってきた経歴の人なので、通貨というものに対して現実的な観点からも、やや保守的になるのは当たり前のことであろう。また、著者自身が、仮想通貨の根底にあるリバタリアン的な発想には潜在的にも抵抗感が拭えないのかもしれない。
しかし、一方、中島氏は、ビットコインの中核技術である「ブロックチェーン」については「金融の仕組みを根底から覆すかもしれない潜在力を持っている」として、大きな期待を寄せている。
だが、ここでもブロックチェーンの持つリバタリアン的要素を薄めた形での、各種アレンジが加えられた現実的な姿でのブロックチェーンの利用を予測しているのだ。

☆第3章 ブロックチェーンこそ次世代のコア技術より
『このように考えると、金融分野に分散型台帳技術を導入する場合には、①参加者の範囲を絞りこむクローズド型とし、②合意形成は、取引の高速処理が可能な実用的ビザンチン・フォールト・トレランス(PBFT)系のアルゴリズムや当事者間による取引承認によって行い、③必要な場合には、ノードによって役割を分け、④トランザクションの検証・承認には特にリワードは与えず、⑤取引当事者以外には取引内容が見られないようにプライバシーの制限を行う、といった方向性が自ずと明らかになってきます。』
『このように予想されるブロックチェーンのアレンジメントは、ビットコインの使用からは大きく異なったものとなっています。ビットコインでは、誰もが当局に管理されることなく、世界中で自由に価値を移転できるようにするという、いわば「取引の自由」や「参加の自由」に重きを置いた設計思想になっていました。これに対して、今後、金融分野で導入されるとみられるブロックチェーンでは、「取引の安全性や信頼性」「取引のリアルタイム性」「早期の決済完了性(ファィナリティ)」などが重視されていくことになるものとみられます。』

事実、こういった金融分野でのブロックチェーンの実証実験も活発に行われている。
・リナックスが進める「ハイパーレッジャー・ファブリック」
・R3コンソーシアムが進める「コルダ」
・リップルが進める「インターレッジャー・プロトコル」
のような代表的なブロックチェーンの実証実験がすでに多数の金融機関が参加して行われている。

また、加えて、本書では、各国の中央銀行が、ブロックチェーン技術を使ってデジタル通貨の発行に踏み出す可能性やその実証実験についてにも詳しくページを割いて解説している。
それは、中央銀行が、「銀行券」(現金)と「中央銀行の当座預金」の2種類の中央銀行マネーの機能をデジタル通貨として、提供しようという試みのことだ。
更に、本書で、中島氏は、それ以外にも国際送金や証券決済の分野のような金融分野にもブロックチェーンの活用を予測しているが、それらもあくまで使い勝手やコスト面での優位性を主眼として、ブロックチェーン技術を次世代の技術としてとらえているからだ。

だから、
『管理主体も発行主体も存在していない仮想通貨と中央銀行という信頼される発行主体によるデジタル通貨のうち、人々はどちらの方を信用し、幅広く使っていくことになるのでしょうか。生き延びる通貨はどちらになっていくのでしょうか。筆者には、その答えは「言わずもがな」のように思えますが、読者の皆さんはどう考えるでしょうか。』
というように、あくまでも中央銀行が信用・信頼の最後の拠り所であるという前提に立った結論に至っている。これは、著者の立ち位置からしても、当然の結論であろう。

だが、その中央銀行がブロックチェーン技術を取り込むということさえ、ブロックチェーンにとってはそれが進化する過程の一部に過ぎないとしたらどうだろう。
そもそも、技術というものは、その技術が革新的であればあるほど、現在想定されている未来通りになるという保証はないのだ。
また、中央集権的な組織やシステムという方法でなくても、それらが保証していた「信用」という機能が得られる方法が存在するという事実に一旦気づいた人々は、それらの方法を発展させて行きたいと考えることはないのだろうか。
技術は、時として発想や思考までも変えてしまう可能性があるものだから。


「After Bitcoin 仮想通貨とブロックチェーンの次なる覇者」  著 中島真志

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のんチャンネルより

本書は、2012年にノーベル生理学・医学賞を受賞した山中伸弥教授と2018年に国民栄誉賞を受賞した将棋棋士の羽生善治氏の対談だ。
羽生氏は、知る人ぞ知るAI(人工知能)に関して深い造詣を持つ人だ。「人工知能の核心」という本までNHKスペシャル取材班との共同で出している。
また山中伸弥教授は、ノーベル生理学・医学賞の受賞者であり京都大学IPS細胞研究所所長という肩書だけではなく、同研究所への研究支援を、自身がファンドレイジング(寄付募集)マラソンを走ることや、クラウドファンディングによって実現させるなどのユニークな一面も持ち合わせている人でもある。
こういった両氏が、この対談では、お互いに相手に質問し合うという設定で、将棋の世界の変化についてや、AIや生命科学の進展によって人間がどんなふうに変わっていくのかを話し合っているのだ。
AIや生命科学については、私も以前からある程度の予備知識もあったので、両者の対談でも取り立てて目新しい話はなかったのだが、やはり山中教授によるIPS細胞についての詳細で具体的な話や羽生氏の将棋ソフトの現状認識からの人間に出来てAIに出来ないことへの洞察に関しては、とても貴重なものだった。
その対談のなかから、一部抜き出してみた。
『☆AIは「怖いもの知らず」
山中「するとAIにも創造的なことができるということになるのでしょうか?」
羽生「それも創造性をどう捉えるかによります。創造的な出来事の99.9%は、「今までになかった、過去にあった出来事の組み合わせ」だと思うのです。だから、創造とか独創といっても、将棋で言えば「過去にあった指し手の、今までになかった組み合わせ」なんです。‥‥ただ、それは人間の発想に基づく創造とは明らかに異なる創造だと考えています。」
羽生「人間は継続性や一貫性に慣れ親しんでいます。そこには安心や安定がありますね。それが人間の「美しい」と感じる美意識の基になっているんじゃないかという気がするんです。逆に言うと、それまで見たことのないもの、経験したことのないことには不安や危機感を覚えるわけです。‥‥けれども、AIにはもともと恐怖心がありませんから、そんな継続性や一貫性に基づいた美意識から自由に、ただただ過去のデータに基づいて最適解を計算していきます。だから人間だと絶対に選択しないような「危険」な手を指してくるわけです。」
山中「コンピュータは怖いもの知らずですからね。」
羽生「ソフトの開発者に「ランダムな変数をどんどん入れたら、AIにも創造的な仕事ができるのではないですか」と聞いたところ、ランダムな変数を少し入れたくらいでは、私たちの言う真の意味での創造にはまったく結びつかないということでした。だから、これからAIの開発が進んでいっても、なかなか人間的な創造をするのは難しいのではないかと言われています。」

☆人間にできるけどAIにできないことは何ですか?
山中「治療法にしても、この病気の場合、一般的にはこの治療がいいのは分かっているんだけれど、何かわからないけれど、この患者さんにはこっちの方がいいと感じる―そういう判断は、まったく理由を説明できないけれど、けっこう当たることもあります。そういった医師の直感とか勘のようなものが、実はあらゆる情報をもとに無意識で判断していることだとしたら、AI君も同じように判断してくれるかもしれないですけど、そういうことができるのかな。」
羽生「よく「暗黙知」と言われます。つまり医師や技術者が、自分でできていることだけれども、どうやっているかは自分でも説明できない。なぜこうしているかはわからない。そういうことは、けっこうありますねよ。そういう暗黙知に属することがAIにできるかどうか。結局、プログラムに書かなければいけませんからね。それは、これから先のすごく大きなテーマになりそうな気がします。」』

AIを搭載したロボットが人間の身体的動作の補助をする、またはそういう動作を完全にこなすという状況が生まれつつある。もはや製造業においては動作・行動の正確さミスのなさという点では、ロボットの方が人間より上という場合も多い。
そうなるといずれ芸術と言われる分野、例えば音楽・小説・絵画・彫刻・映像作品においてさえまでもが、技術・技巧の正確性においてはそういう状況になってくるのかもしれない。もちろん技術や技巧の正確性と芸術性とは全く別のものであるし、芸術作品における独創性という観点ではAIに対しては厳しい意見が圧倒的に多いだろうが。
だが、例えば音楽の分野で、ロボットが楽器を超絶的な技巧で演奏したりすることはいずれ充分可能になるだろう。そうなると、そういった技術的な面での上手い下手という基準では人間がロボットに勝てなくなるかもしれないのだ。
だとしても、そういったロボットの演奏が人の心を打つのかは分からない。そこには技巧以外の何かが足りないと思われるかもしれない。完璧な演奏技術や超絶的な技巧から生み出されるものではない何かが。つまり人の心に届くような生身の人間が生み出す何かが。


『☆いかに「回旋型」の人材を育てるか
山中「僕は日本や日本人のあり方を「直線型思考の文化」とか「直線型思考の民族」と呼んできたのですが、日本人はある目標を決めたら最後までやり通す生き方を好みます。もう、こうと決めたら、脇目も振らずに―。」
羽生「まっすぐに進む。集団としても、一気に同じ方向に突き進む傾向がありますね。」
山中「「この道一筋」という生き方が称賛されます。‥‥それに対してアメリカは、「回旋型思考の文化」です。ここかと思えばまたあちらと、自分の興味に応じて、ある意味フレキシブルにクルクルと回って移り変わることができます。そういう回旋型と直線型の両方の人がアメリカにはいますね。日本は今まで圧倒的に直線型の人が多い。アメリカは両方いるので、たとえばIPS細胞のような新しい技術ができたら、回旋型の人はすぐ飛びつく。‥‥」
羽生「なるほど。新しい技術の受け皿が広く整っているわけですね。」
山中「直線型と回旋型の両方が必要です。日本では放っておいても直線型の人は育ちますから、これからは日本でいかに回旋型の人材を育てていくかが大切になるでしょう。」
羽生「そういう回旋型のポテンシャルを持っている人たちは日本にも必ずいるんだと思います。あとは、そういう人たちが活躍できる環境、場所をどう確保するかですね。‥‥」
山中「確かに回旋型の人は落ち着きがありませんならね。僕もどちらかというとクルクルの回旋型で、興味がどんどん移って、自分自身も予想していないところに行ってしまう。‥‥僕は実際、臨床整形外科医から薬理学、分子生物学、がん研究、ES細胞と研究テーマをコロコロ変えてきたのです。成果を出せない時に、自分の研究スタイルに自信を持てなくなったときがありました。
そんな時、ノーベル賞を受賞した利根川進先生の講演を聞く機会がありました。講演後の質疑応答の時間に思い切って手を挙げて、「日本では研究の継続性が大切だという意見が多いのですが、先生はどう思われますか?」と質問したのです。利根川先生自身、免疫学から脳科学にスパッと研究テーマを変えていますからね。そしたら「研究の継続性が大切だなんて誰が言った?面白かったら自由にやればいい。」先生がそんな風に答えてくれて、とても勇気づけられましたね。」
山中「回旋型の人が平均的なところから外れてしまうと、場合によっては変人扱いされてしまいます。普通の人から見ると日常的な行為がその人にはできなかったりするからですが、ある分野ではものすごい才能を発揮するかもしれない。日本でもアメリカでも、一定の人はそういう傾向にあると思います。そういう幅広い人材をそれぞれが伸びる分野で育てていくことが必要だと思いますね。」』

「人間の未来AIの未来」 対談 山中伸弥・羽生善治

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tellingサイトより


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