月別アーカイブ / 2018年03月

本書はフィナンシャル・タイムズ、ザ・エコノミスト、ブルームバーグという経済誌においてBest Book of the Yearを獲得した著作だ。
以前から気になっていたが、やっと読む機会に巡り合えた。

世界金融危機に関しての本は山のように存在するが、そんな類書とは一線を画す著作である。著者であるジョン・ケイの言わんとしていることは極シンプルなことの様に一見思えるが、表層的で複雑な装飾に目を眩まされていると根源的なシンプルであるべき本質がなおざりにされることは案外多いように思える。しかし、そういう根源的でシンプルな本質に出会えた時には、目から鱗が落ちるような感じにもなるのだ。

まず、ジョン・ケイは、他の産業とは違う特別な存在であるかのように語られる金融業界の神話を切り崩し、巨大銀行の業務の大半が社会にとっていかに有害無益であるかを解き明かしている。それどころか、今の金融業界で行われていることは、実経済に寄与するという本質から離れ、金融業界内という閉じられた身内のなかで他の業界人を出し抜くことだけで莫大な利益をあげていると断じている。

本書序章より
『本書『金融に未来はあるか』の第I部では、金融化をもたらした政治的変化、知的枠組み、そしてより幅広い技術、経済面のシフトについて描写していこう。世界金融危機の驚くべき特色の一つは、政府と納税者が金融業界を守るのは当然の義務であるというふうに、どうも業界のほとんどの人々が考えていたらしいことだ。金融機関、その活動、そして業界で働く人々の法外な報酬さえも、ほぼ現状を維持できるように守る義務があると。それにも増して目が点になったのは、この言い分が政治家と大衆にも幅広く受け入れられたことである。「金融は特別」という概念は、議論の余地のないものとされていた。金融界の外にいる知識人の多くには、金融業者がいったい何をしでかしたのかよく理解できなかったことも手伝って、この考え方はますます強まった。
だが金融は特別ではない。それに、金融には独特の地位があるという論理を無批判に受け入れようとするわれわれの態度は、大きな弊害をもたらしてきた。すべての活動には独自の慣行があり、その活動に携わる人々には固有の言語がある。私がこれまでに関わってきたすべての産業が、自分たちは特異だと信じているし、それには一理ある。業界で働く人々が考えるほど特異性は大きくないにせよ、である。それにしても、金融業界はそうした思い込みがずば抜けて激しいのだ。
この業界は主に業界内で取引し、業界内で会話し、業界内で生み出した業績の尺度に照らして自己評価をする。経済学の二つの流派、すなわちファイナンス理論と金融経済学は、こうした現象に捧げられている。
ローレンス・サマーズはこれを「ケチャップ経済学」、つまりケチャップの価格を、ケチャップ本体の価値を無視し、何クオート(1クオート=約1リットル)入りかだけに着目して比較するようなものだと揶揄した。サマーズといえばさまざまな学術分野に卓越し、ビル・クリントン米政権で財務長官を務め、ハーバード大学長の座を追われ、オバマ米政権で国家経済会議(NEC)委員長を務め、米連邦準備制度理事会(FRB)の議長候補に名が挙がりながら拒否された人物である。サマーズは本書『金融に未来はあるか』の中に幾度か登場する。
「ケチャップ経済学」というサマーズの軽蔑的な物言いは、金融の独自性を否定し、特異で専門的な知的道具を持っていなければ金融活動と金融市場の仕組みは理解できない、という考え方を一蹴するものだ。サマーズが出した挑戦状を、本書はあらためて叩きつける。金融はその他すべての産業と何ら変わらぬビジネスであり、鉄道や小売り、電力供給など他の産業に適用されるのと同じ原則、すなわち同じ分析手段と同じ価値測定基準に照らして判断されるべきものだ。私はこれらの産業から得た教訓を、遠慮なく金融にも当てはめていきたい。
金融も単にビジネスの一つであるとする観点に立つと、「金融とはいったい何のためにあるのか?」という疑問が湧いてくる。本書『金融に未来はあるか』の第II部では、専らこの疑問に切り込んでいく。この産業は市場の参加者ではなく市場の使い手から見て、どのようなニーズに応えてくれるのだろうか。
金融化に伴い、金融に投じられる資源の規模は著しく増加した。高給取りも増えた。だが金融活動の質はどう変わったのだろうか。
金融は主に四つの道筋を通じて、社会と経済に貢献し得る。第一に、決済システムは、われわれが賃金や給与を受け取り、必要なモノやサービスを買う手段であると同時に、企業側もこのシステムを通じてそうした目的に資することができる。第二に、金融は貸し手と借り手を引き合わせ、貯蓄が最も有効な使い道へと向かうよう導く役割を果たす。第三に、金融のおかげでわれわれ個々人は生涯にわたる、あるいは世代間の資産管理が可能になる。第四に、金融は個人と企業の双方にとって、日々の暮らしや経済活動につきまとうリスクを制御する手助けとなる。
これら四つの機能──決済システム、借り手と貸し手の引き合わせ、家計の管理、リスク制御──が、金融が提供している、あるいは少なくとも提供し得るサービスである。金融革命がどの程度役に立ったかは、金融の目的である決済、資金配分、個人資産の管理、そしてリスク制御をどの程度進展させたかによって測られる。
経済における金融業界の重要性は、これとは異なる方面から説明されることが多い。金融業が生み出した雇用の数や、金融業で稼いだ所得、場合によっては金融業から得られる税収によって語られることもある。ここには大いなる混同がある。社会にとっての金融業の真の価値は、提供するサービスの価値であって、業界で働く人々の懐に入る収益ではない。こうした収益は近年、巨額に上るようだ。ここ数年で金融業について数千ページに及ぶ文章が執筆されたが、たった一つの根本的な疑問、つまり「なぜこの業界はこれほどまでに儲かるのか」については、まったくと言っていいほど紙幅が割かれていない。
いや、問うべきは「なぜこの業界はこれほどまでに儲かって見えるのか」かもしれない。紙切れを交換し合う活動が全員に利益をもたらすはずがない、という常識的な感覚こそが、収益の大半が幻想にすぎないことを解き明かす鍵かもしれない。金融業界の拡大は、その大部分が新たな富の創出を意味しておらず、経済のどこか別の部分で生み出された富をこの業界が横取りし、そのほとんどを業界で働く人々の一部が甘い汁として吸ったことの裏返しである。
今日の金融業界には目に余る事例があふれているが、とはいえこの業界に関わる大半の人々に罪はないし、目に余る行為とも無縁だ。彼ら、彼女らは決済制度を動かし、金融仲介業務が円滑に運ぶようにし、人々が個人資産を管理したり、リスクを制御したりできるように手助けをしている。金融業に携わるほとんどの人々は、全世界の支配者になりたいという野望など抱いていない。彼らは銀行業や保険業の比較的地味な事務処理に携わり、その報酬として比較的控えめな給与を受け取っている。われわれには彼らが、そして彼らが行ってくれる仕事が必要だ。』

次にジョン・ケイは、リーマン・ショック後、金融業界の肥大化を抑制するために導入された膨大な規制も逆効果だと断じ、銀行を「よそ様のお金を預かる」まっとうなサービス業に回帰させていくための全く新しい改革案を提示する。

序章続き
『本書『金融に未来はあるか』の第III部では改革を取り扱う。規制改革ではなく、構造改革である。金融化の時代を通じて日々厳格さを増しながら、効果のほうは薄れる一方の規制が、いかに問題の一端、それも大きな一端を担っており、解決には役立っていないかを、私はつまびらかにしていこう。規制は少な過ぎるどころか、多過ぎるにもほどがある。必要なのはこれまでとはまったく異なる規制哲学だ。われわれは業界の構造と、そこで働く個々人にとってのインセンティブに注目するとともに、数十年、いや数百年も前から存在する、規制上および法的な制裁の適用を阻んできた政治勢力に切り込む必要がある。果てしなく続くかに見える複雑なルールの増殖に終止符を打たねばならない。今でさえ、おびただしい数の規制専門家が寄ってたかってもルールを理解できない有様なのだから。
金融業改革の目的は、実体経済のニーズにかなう金融サービスが、尊敬と優先順位を回復することに置かれるべきだ。金融以外の経済活動を意味する「実体」経済という言葉にはどこか皮肉な響きがあるが、ずばり核心を突いているのもまた事実である。金融業が発展し、コンピュータ化され、普通の事業や日々の生活から分離してしまった様子には、何やら実体とかけ離れた感じがある。
金融街での売り買いが国富をごっそりと吸い上げるのみならず、社会で最も優秀な人々の相当部分が売り買いに時間を費やしているとすれば、ハンバート・ウルフの詩のように「気がすむのなら、どうぞご自由に」とあぐらをかいていることは、もはや許されない。最後の数章では、どうすればもっと範囲が限定され、実体経済のニーズに直結した金融業に焦点を絞っていけるかを提示していこう。決済、借り手と貸し手の引き合わせ、われわれの資金の管理とリスクの低減といったニーズだ。われわれは金融を必要としている。しかし今日の金融ときたら、いくらなんでも、過ぎたるは及ばざるがごとし、である。』

☆居住用住宅金融は資本配分メカニズムの最大要素である。
『住宅金融危機の根本原因は、住宅金融セクターの構造変化にある。仲介の連鎖が伸びたことと、流通市場が活動が拡大したことは、資本配分の効率化に結び付かなかった。問題の根源は、金融革新(とりわけ証券化)に続く業界の構造変化と、金融機関の事業多角化への規制が取り除かれたことにある。』
☆アクションバイアスが金融を劣化させている。
『手数料構造が困ったインセンティブを生み出している。』
☆資産を守り育てるスチュワードシップという機能。
『投資チャネルの機能にはサーチ(探査)とスチュワードシップ(管理)の両方が含まれる。』
☆報酬をもらっているなら罪をかぶれ。

因みに、本書の原題は、Other People′s  Money。  他人の金。


『金融に未来はあるか』 著 ジョン・ケイ

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LINE NEWSより

現代社会は、細分化されている上にそれぞれの分野の構造は深化・複雑化している。
そのうえ、その細分化された多種多様な分野の知識や情報をくまなく手に入れるということがインターネットによって以前とは比較にならないくらい簡単になったと言っても、日常の生活の限られた時間の中で、そういった多種多様な分野に関し、正確な情報に基づいて、適確な自分なりの判断を下すまたは自分なりの意見を持つということがかなり負担であり、そして大変なことであることに変わりはない。
むしろ、今は情報が多すぎて、どこまでの情報を取捨選択すればよいのか戸惑うことすらあるのだ。
更に、それ以前として、限られた時間のなかでは、そういった多種多様な分野の一体どれが今の時代に本当に真剣に考察する必要がある論点なのかについて整理する必要もある。

そういう時代の多種多様な分野について、真剣に考察するべき論点を抜き出し整理し、そして、それをどういう方向から捉えて考えればよいのかという戦略を与えてくれるのが、大前氏の本書である。
しかし、私は、本書で語られている大前氏の戦略的考察も、あくまで論点に対する一考察としてみなし、その考察を鵜呑みにするのではなく、あえて意図的に、そういった考察の立ち位置とは別の立ち位置に基づく別の考察を探し出し、それらを比較検討する事で、更に論点に対する考察を深めるというような方法を取ろうと思う。
つまり、大前氏の考察を論点考察のたたき台とする方法だ。

本書では、2018年から2019年の日本の論点として20の論点を挙げている。
やはり、AIや国内産業や国内政治そして日本の外交、更に世界情勢が、論点として挙げられている。
なかでも私が興味深かったのが、なんと北方領土に関する論点だった。正直今までは、そう関心がある分野ではなかった。だから、本書に出てくる「ダレスの恫喝」という言葉すら私が初めて耳にした言葉だった。ということで、日本の外務省の北方領土に関する説明を今までは鵜呑みにするだけで、この論点に関する知識が大いに不足していたかもしれないことにあらためて気付かされた。とすれば、私にとっては、まずそこが、この論点のスタートだろう。判断はそれからだ。
だが、中東問題に関しては、さすがの大前氏も歯切れの悪さは否めない感じがした。
というよりも、この論点に関しては、それが誰であろうと明確な解決策など提示はできないのかもしれない。
しかし、科学技術の進展がどのような産業構造の変化に繋がるかということなどの考察は、大前氏とは別の立ち位置に立つ考察を求める必要がないほど、私には共感できるものであった。

「日本の論点 2018~19」 著 大前研一

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NB Press Online

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