こんばんは。

前回のブログ、「誰かのために」というモチベーションそしてボランティアの限界についてたくさんの方々から共感をいただきました。


素直に共感は嬉しいのですが、
「なぜこんなにも多くの人が共感するのだろう?」そんな疑問が湧いてきました。

そして なぜこの人が共感するのだろう?
そんな違和感も本日体験しました。

自分でブログを読み返し、2つの捉え方があることに気づくことができました。

1つの捉え方を持ってくれたのは、僕がブログをとおして、伝えたかった人たちです。
それは、

◯「誰かのために」と頑張っている人
◯「誰かのために」が最高にステキだと思っている人

誰かのために熱い思いで実際に活動されている人へ届けたい思いでした。応援の意味も込めていました。

しかしですね、共感した人の中には、上記にあげていない人もいらっしゃいました。それが2つめの捉え方であり、こんな人たちです。

◯「したい人」だけがやればいいと思っている人
◯ボランティアすることが嫌いな人
◯「誰かのために」ということ自体がキレイゴトであると考えている人

まとめると、つまりこういう人です。

「そうそう、したい人がやればいいんだよ。したくない人にわざわざやらせる必要は全くない。そもそも自分には関係ないし、そして見返り(お金)もなくボランティアするなんて馬鹿らしいよ」

自分は特にしたいことはないけれど、損したくないとか、普通に生きたいとか、そうおっしゃっている人に多い印象です。

僕はそういうことを言いたかったわけではありません。僕が言いたかったことは、
誰かのためにと気合をいれて、頑張ったとしても、それはその誰かのためになるかはわからない。だから、自分がしたいこと、してあげたいことをする、そういう意味で自分のためにするということを伝えたかったのです。

自分のしたいことだけ、自分のために生きることは悪いことではないと思いますが、そういった姿勢の方が多数を占める限り、青少年育成推進委員しかり、PTAしかり。
こういった活動への「強制」はなくなっていかないのかもしれませんね。

だってそうでしょう?
誰もやらなくなったら、
じゃあどーすんの!!
となるわけですから。

とっても難しいテーマですね。泣


ちゃんちゃん。(終)