こんばんは。

僕は今年度より児童育成推進委員という、地域の子どもたちを見守る役割を担うことになり、新任の方向けの講習会に参加しました。

その中で登壇する方々がある2つの言葉を連呼されており、その言葉に大きな違和感を感じました。その言葉とは、

「ボランティア」

「子どもたちのために」

言いたいことはわかります。
確かに児童育成推進委員は、無報酬ですし、また子どもたちのために活動する、むしろ表現としては間違っていません。

しかし 大きな違和感を僕は抱きました。

一昨年より、僕はNPO法人を運営しており、確かにボランティア活動の部分もあるし、子どもたちのために活動しています。

しかし、こちらの活動には全く違和感を感じていません。

なぜだろうと考えたら答えが出ました。

それはズバリ!

僕がしたいからしている

ということです。

僕の活動の発起の大きな理由は、母子家庭の子どもたちのチャンスが、貧困や家庭環境により制約されているという怒りからでした。

この問題を解決したい、そう思いました。

そのために何が必要か考えたときに始めたことが、学習動画サイトの運営です。
これは誰かに頼まれたものではなく、
僕がしたいと思ったのです。

インターネットが普及した昨今。
「動画」を用いれば、貧困などで教育の機会が不十分である子どもたちに学びを届けることができると思ったからです。

つまり、僕がしたいことが、結果的に子どもたちのためになるかもしれないだけで、子どもたちのためにというところがスタートではないのです。

利己主義利他主義につながるだけなんです。

ボランティアだってそうです。
例えばある大学生がいいました。
「私は不登校の経験がある。当時の私のように苦しんでいる子どもたちの話を聞きたい」
これは子どもたちのためではなく、自分のしたいことです。この大学生が目の前にいる不登校の子どもたちの話を聞くことで、その子どものためになるかもしれない、そんな可能性があるということです。

多分なんだってそうなんです。

多くの親は、子どもたちや家族のために働いていると言います。しかしそれは、家族を守りたいという自己の欲求のはずです。だから、頑張れるはずなんです。

「誰かのために」という言葉は、その誰かのためにならなくなった途端、やる気はなくなります。心の炎を燃やし続けるためにはまずは「自分のために」という思いが大切かもしれないなと思います。

自分のためにと思うことができれば、実現や解決に向けて、努力ができる。
本質に近づけるのかなと思っています。

利他だけではモチベーションも、ボランティアもきっと続きません。

以上です!

※この内容は今日の僕が思ったことであり、正しいとか正しくないとかではありません。