先日 10数年ぶりに高校の同級生と食事をしました。きっかけはSNSでの再会。

10年ぶりに会っても、あの頃と変わらない私たちがそこにはいて、とても楽しい時間でした。

僕と彼は群馬県内の進学校に通っていたものの、理由は異なりますが、いわゆる「落ちこぼれ」の状態でした。

しかし お互いに10数年間、さまざまな経験をしながらも、また元気な状態で再会できたことは、とても嬉しいことでした。

そんな中昔話に花が咲き、彼と話をしていて話題にあがったのが、「授業レベル」の話でした。

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中学生の頃は特に問題なく、授業についていけたし、理解もできたのですが、高校の授業は全くついていけませんでした。

なぜだろう?

そう考えたときに、1つの答えが。

僕たちは学力はあったけど、学力がなかった。

この文章だと意味がわかりませんよね。
送り仮名をいれると、

僕たちは学(んだ)力はあったけど、学(ぶ)力がなかった。

高校の授業は予習前提の授業であり、自学自習の中で発生する疑問を解決する場所でした。

言い換えると、授業の中で料理を作るわけではなく、料理を事前に作り、それを持ってきて、おいしいかおいしくないかを先生に食べてもらう場所でした。

できる子をどんどん伸ばす場所であり、ついてこれない子は知らないよという場所でした。

でも 僕は思うのです。
学ぶ力をつけるためには、学び方を知らなくてはいけないのではないかと。
そして 学校という場所では、学び方を教えてもらえていないのではないかと。

大半の小中学校では、宿題や課題を出されています。今の小中学校は僕たちの頃よりもさらに大量の宿題が与えられています。

確かにこなすことにより、学(んだ)力はつくと思います。しかし、学(ぶ)力はつかないのではないでしょうか。

僕は目先の知識を増やすことではなく、学び方について時間をかけて学校で学ぶことで、本当の学力がつくのではないかと思います。

定着した知識を評価するのではなく、自発的に学ぶ力を評価する方向性が結果的に大きく成長するのではないかと思います。

学ぶ力を養うことができれば、家庭環境などに左右される割合が減少し、所得格差からの教育格差が発生しづらくなりそうな、そんな気がします。

誰でも学べる教育機関である学校こそが、学ぶ力を養う場所になることが重要かなと思います。