月別アーカイブ / 2018年05月

生きていると、人に弱みをみせてはいけないと、思って生きている人が多い。

なんでだろう?

人に弱さを見せることにリスクがあるのかな?

どーなんでしょうか。

弱さを見せるということは自分ができないことを相手に教える行為でもある。

助けて助けてって言える行為でもある。

人は以心伝心を原則しないはずだから、言葉に出さないと、声にあげないと気づかない。

だから 本当に辛いとき、助けてほしいときは思いっきり声をあげてほしい。

もちろん、恥ずかしい気持ちも理解できる。

「おまえ、こんなことで困ってんの?情けないなぁ」

「おまえ、こんなことできないの?ダッセェなぁ。」

いろいろ聞こえてくるかもしれない。

でも 手を差し伸べてくれる人は絶対いるし、その結果解決するのであれば1番得するのはあなただ。

人からの見られ方はすごく気になると思うけれど、自分自身が困っているなら声をあげないと相手はわからない。

課題は時間や労力で解決することはあるかもしれないけれど、声をあげて人に頼ることであっという間に解決することは多い。

僕が思うことは、まずは声をあげること。
そんなに社会は無反応ではないし、無反応であるかもしれないけれど、声をあげることをしなければ、あなたの困難を知る人は誰もいない。

まずは声あげよう。
勇気を持って弱さをみせよう。

僕たちが手を差し伸べる。

ちゃんちゃん(終)

みなさま こんにちは。
GWも明けて5日経ちました。

いつものペースに戻ってきましたでしょうか。
頑張っていきましょう。

さて 先日僕は2年間務めたPTA会長を退任しました。我ながらいい笑顔です。笑
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話が脱線しましたが、今回は僕がPTA会長として、やってきたことや、やってよかったこと、またこうした方がいいのではないかと今更ながら思うことを3回に分けて残したいと思います。これからPTA会長になられる方もいるでしょうから、参考になれば幸いです。

今回はPTA会長の仕事編です。
以下3つにまとめましたので、ご覧ください。

(1) 挨拶
「PTA会長って挨拶することが仕事でしょ?」
実務上でいえば、半分正解といったところ。
たしかに挨拶する機会はたくさんあります。
僕が挨拶した機会としては、
  • 入学式
  • 合同会議
  • 総会
  • 敬老集会
  • 運動会
  • 入学保護者説明会
  • 卒業式
  • 歓送迎会
人前で挨拶することを嫌がる人は多いようですが、暗記する必要もなく、紙にまとめて読み上げることで全く問題がありません。

もし このブログを読まれた方で原稿が欲しいという方がいらっしゃれば差し上げますので、ご連絡いただければと思います。

(2)PTA本部活動
主に会議の運営や、行事の運営補助を行います。
会議の準備や学校との調整、また各種委員会への伝達等PTA活動を行う上で最も重要なポジションです。メンバーは以下のとおり。僕以外みんな女性でした。

  • 筆頭副会長 1名 
  • 副会長 3名
  • 書記 2名
  • 会計 2名

基本は筆頭副会長が指揮をとってくれていました。実際僕にはほとんど業務負担はありませんでした。
適切な表現ではないかもしれませんが、筆頭副会長が内閣総理大臣で、会長は天皇みたいな立場といえるかもしれません。

(3)校外活動(市P連、県P蓮、地区PTA会議等)
PTA会長は名目上、学校の代表として参加する会議やまた市P連、県P連の不定期な動員等に参加する必要がある場合があります。

僕の場合 市内の同地区の会長らと年3回ほど会議がありました。テーマはPTA活動から始まり、子どもの教育、昨年では部活動は必要なのか?というテーマで話し合いました。

僕はこうした校外の出会いはとてもありがたく、とても毎回楽しい時間を過ごさせていただきました。しかし、新しい人に出会って、コミュニケーションをとることは大変な部分もありますので、このあたりが負担に感じる方もいるかもしれません。

以上がPTA会長の仕事編でした。
細かくお話しするとまだまだあるかもしれませんが、おおよそこんなものかなと思います。


次回のブログでは、
PTA会長をやってよかったと思うこと

について書こうと思います。

ちゃんちゃん(終)




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今の時代はスペシャリストが求められています。

何でもソツなくこなす人ではなくて、一つの分野に特化した人材に価値がある。耳にしたことがある人も多いのではないでしょうか。

この考え方を前提にした場合、人と違った生き方をしている人に価値が生まれると考えることができると思います。

僕も基本的にこの考え方には 賛成しており、自分と周りが違うことを恐れて欲しくないと考えています。

タイトルとは異なり、
「みんなと違ってそれがいい」という言葉がしっくりきますが、現実としては肯定的に受け止めることができない場合が多いようです。

なぜならば、みんなと違う人にとっては、多くの場合、望んでそうなっているわけではないからです。

こうした場合には、「みんなと違ってそれがいい」という言葉は一転して無責任な言葉になってしまいます。

だからこそ本当の意味で「みんな違ってみんないい」状態というか、考え方を多くの方が本気で思える状態が理想であると考えています。

そのために何が必要か?
と考えたときに、平たく言えば、

「社会の当たり前やみんなの当たり前が自分の当たり前と合致しないことを知ること」

が大事かなと思っています。

例えば、学校に行くことは多くの方が当たり前であると考えていると思います。親も子どもも。

しかし その当たり前は社会やみんなの当たり前であって、あなたや私の当たり前ではないかもしれません。

みんなが当たり前にしているから。
そんなの当たり前だから。

そんな言葉に左右されなければ、自分の中で、一人一人が当たり前を持つことができるはずです。

しかし そう簡単にはいかないでしょう。
僕も実体験として思うことがあります。

では どうすればいいか?
僕の答えは、「物差しをたくさん持つこと」です。

限られた物差しに縛られるから、苦しくなる。
限られた物差しがあるから、当たり前が生まれるのではないかと思います。

学習することだけが、学校に行くことだけが、就職することだけが当たり前ではありません。

生き方の多様性を知ることが重要であると思います。

そのためには 情報を得ることがまず大前提。
知れば知るほど、自分が生きていた社会がいかに限られたものであったかを知ることができるはずです。

そして わかるはずです。
みんなの当たり前に自身が合わせることができなくても、幸せになれる方法があるということを。

みんなの当たり前が自分にはできないことで、自分自身が何もできない存在であると考えていたことが誤っていたことを。

是非 広げてあげてください。自分自身の視野、そして大切な人の視野を。

それが、「みんな違ってみんないい」の第一歩であると僕は思います。

ちゃんちゃん(終)


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