月別アーカイブ / 2018年04月

僕が普段勤めている高崎市は音楽の町だ。
休日になれば、どこかしらで、歌声や楽器の音色が聞こえてくる。

そんなときふと小学校の記憶が蘇ってきて、
大いに反省したため、忘れないためにタイトルの内容のブログを書いていこうと思う。

僕は昔からあんまり音楽に関心がない。
CDもほとんど買ったことがないし、当時流行している楽曲はなんとなくは知っていたが、そんな状況だったので、小中高大とその手の話題には苦労していた。

ただ、僕のいた小学校では高学年になると、運動会や地元のお祭りなどで鼓笛演奏をすることが決まっていた。

僕は身長が高いこともあってか、チューバという金管楽器をすることになった。(マウスピースも大きくて、よかった。実はトランペットなどのマウスピースは小さすぎて、僕は音を出せなかった)
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僕は生まれて初めての金管楽器で多少テンションは上がったけれど、できるかどうかの不安が大きい中、チューバを担当する他の2人と一緒に練習を重ねた。

そしてついに合同練習の日がきた。

そのときに驚くべき言葉を音楽の先生からいただいた。

「1人は◎。後2人は△だね。」

その◎は僕だった。
正直音楽に関心がない僕にとっては、理由なんて全くわからなかったけれど、当時は素直に嬉しかった。

それから 僕は昼休みなどを利用して、一生懸命チューバを1人で練習した。

他の楽器を担当する友達にも、
「ただみつのチューバの音は合わせやすい」など話をされて、さらにやる気になった。

その結果 僕と他2人の評価は変わることなく、僕は優越感を感じてしまっていた。

運動会やお祭りの鼓笛演奏も無事終わり、僕はとても満足し、もっとやりたいと思っていた。

そんなときに任意参加ではあるが、バンドフェスティバルという音楽イベントの募集用紙がクラスに配布されて、僕はすぐ応募した。

ただチューバで応募したのは僕だけだった。

僕はその頃はあまり深くは考えなかったけれど、今考えれば他の2人が参加しないことは必然だった。

僕は優越感を抱いていた。
でも反対に彼らは劣等感を抱いていたのかもしれない。

僕は先生が言ってくれた言葉が嬉しかった。
でも反対に彼らは苦しんでいたかもしれない。

このようなことは日常に溢れている。
テレビ番組でも、幸せな話よりも悲しい話の方が視聴率が取れると聞いたことがある。
それはきっと 今の自分に満足できるからだと思う。ある種の優越感、もっと大変な人がいるんだなって知ることで相対的肯定感を持つことができるのかもしれない。

これは決して悪いことだけではないとは思う。
しかし、相対的肯定感を獲得するためには、実際に苦しんでいたり、劣等感を持つ人たちがいることを忘れてはいけないと思う。

でもやっぱり、相対的肯定感がある限り、絶対に負けを見る人が出てきてしまうことは悲しいや。

ちゃんちゃん(終)

何にも考えないで、
いや何にも考えていないわけではないのだろうけれど、
漠然とした日々を繰り返していたあの頃、あの頃といってもつい5年前くらいまで、
こんなに自分が足りていないと思ったことはあっただろうか。

自分は特に知らないことも苦手なことも、生活をすることや仕事をする中で感じたことはなかった。

でも 自分がチャレンジして、自ら何かを始めたときから、足りないことやできていないことに気づくことができている。

いろいろな人に出会い、いろいろな経験をするからこそ、今までの限られた世界•視野ではなくなり、気づかされることが多いのかもしれない。

こんな日々は、よくも悪くも「まじかー」と表現されることが少なくなく、刺激的であるし、一方で大変だったりする。

でも 僕はやってよかったと思っているし、だから行動を起こしていない友人や知人にもお節介をしたりする。
 
人の優しさに触れる機会もあるし、自身の成長を感じることもできる。

継続の重要性もわかるし、思ったより社会をいじくるのは難しいことにも気づくことができる。

生きていく中で何を重きに置くかにより変化するものかもしれないけれど、足りないことに気づける日々は決して悪くはない。

今に満足している場合、こうしたチャレンジというリスクや負担をとる選択はしづらいと思うけど、満足しているからこそ、環境は整っている場合が多く、スタートはしやすいはずだから、やってみたらいいと思う。一歩を踏み出してみればいいと思う。

足りない日々を感じよう。
それは成長の証だ。

ちゃんちゃん(終)

タイトルは昔、僕が高校生の時に担任の先生から言われた言葉。

当時は意味がわからなかった。
教えることがお前の仕事でしょ?って思ってた。

でも今はちょっとわかる。
多分こういうことだ。

受け身ではない学び

大企業だったり、官公庁では定期的に研修が実施されており、学びの機会を社員や職員に提供している。大変ありがたい機会であるはずなのに、この機会を前向きに捉えず、意味がなかったと言葉に出す者もいる。

この学びの機会を生かせない原因は、その人自身にもある!と思えたときに、高校生のときの担任の先生の言葉が蘇ってきた。

すごく嫌いな先生で、あんまり会いたいとは思わないけれど、また言葉をとおして頭の中で出会ってしまった。

そしてこの文を書いているたった今、僕の考察ではなく、きっと先生は従順になれという意味でいったかもしれないなと最後にふと思った。

あーあ。

ちゃんちゃん(終)

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