月別アーカイブ / 2018年03月

3月は変化が起こる時期ですね。
本日息子の卒園式がありました。
4年間幼稚園に通い、4月から小学校に進学します。新しい環境が4月からスタートします。

この新しい環境は、私や息子がなんかしらの努力をして獲得したものではなく、自然に与えられた機会です。大変なことはあるかもしれないけれど、人が成長するためには、変化というものは必要であり、その機会を与えられることは本当にありがたいことであると思います。

なぜなら自身が今満足している環境を自身から変えていくということは本当に難しいことだからです。

会社に勤めいている大人の方も、部署異動が行われる時期ですね。何年も同じ部署にいて、積み重ねてきた仕事に変化が起こることは大変かもしれませんが、こちらも自然に与えられた機会です。特にやりたいことがなかったり、自身が能動的ではない方にとっては、本当にありがたい機会であると思います。

この2つの事例の前提には、「続くこと」があります。続きが与えられることは本当にありがたいことです。続きがあるからこそ、変わる機会、そして成長する機会を手に入れることができるからです。

でもこうした素晴らしい環境はずっと続きません。いつかは終わりが訪れます。

その終わりまでに、いかにして自分で続きを作ることができるか、やりたいことを見つけるなどして、変わる機会、成長する機会を作ることができるかが重要だと私は思っています。

自らが機会を作れる人にならなければ、いけないよね、そう感じた息子の卒園式でした。

ちゃんちゃん(終)

困っている人が世の中には、きっとたくさんいる。

「きっと」と書いたのは、僕が想像できない部分で困っている人がいるはずだからだ。

世の中に存在する全ての困っていることを把握することは、きっと誰にもできない。

困っていることは、基本的に自身が困ったときに初めて理解できる部分がある。

僕が今NPOを作って、活動を始めることができた理由の一つは、僕自身が母子家庭で育ったという原体験があること。

この原体験があったからこそ、母子家庭の子どもたちの状況にアンテナが立ち、必要な支援を考えることができているのだと思う。

こう考えたときには、自身が困らないと困っている人に支援をしようと決断できないことになる。

しかしながら、困っている人が困ったままになるケースは多く存在する。
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例えば母子家庭で育った子どもは、頼れる大人が身近にいなかったり、お金がないことを理由に教育機会等を受けることができないなどして、大人になったときにも社会関係的にも、経済的にも困ってしまう、世代間連鎖という問題がある。

この場合 彼らは困っているので、母子家庭の子どもが困っていることを知っていたとしても、自分自身が困っているので、困っている人に支援をすることは難しい。

その結果 今存在する母子家庭の子どもは困ったままになってしまう。

つまり、困っていることを知っている人の大半は困っている人を救えない仕組みがある。

だから 僕は困ってはいけないと強く思っている。
僕は困ったら活動ができなくなる。
活動ができなくなれば、子どもたちを救うことができなくなる。

本来は政治的な面で解決できることが有効であると思うけれど、政治家になるには、また政治家を続けるには「票」が必要であり、また困っている人の大半は社会少数派であることを考えると、なかなか難しい。

世襲議員であれば基盤を持っているため、「票」を考えずにすむ場合もあるかもしれないが、しがらみもあるだろうし、また家庭環境が恵まれているケースもあり、本気で政策を実行することは難しいかもしれない。


長くなりましたが、こんな仕組みがあるのかなと考えてみました。だからこそ僕たちがやる必要はあるのかなと思っています。

応援よろしくお願いします!

ちゃんちゃん(終)






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