月別アーカイブ / 2017年02月


人を巻き込む。

言葉として記すと、シンプルなものです。
だから、なんだかできそうな気がする。。。

しかーし、僕には難易度高めです。

人を巻き込むということは、原則巻き込む側がいます。そしてその人は、きっとやりたいこと、成し遂げたいことがあるはずです。

いわばその夢に向かって進んでいる船に、
乗ってくれ!と声をあげるわけです。

乗りますかね?
みなさん乗りますか?

もし乗る場合にはきっと条件があるはずです。

誰だったら乗りますか?
どんな夢だったら乗りますか?
どんなメリットがあったら乗りますか?

例えば、僕がいて、僕が言って、僕がメリットを伝える。しかし、人間は十人十色。僕と同じように考える人には、なかなか出会えないものだし、僕以外にも同じような活動している人はきっとたくさんいる。

だから、僕が人を巻き込むなんて簡単に言うべきではないのかもしれない。

でも、1人でできることには、量にも質にも限界がある。じゃあ どうすればいいのか。

1つの答えを先日教えてもらいました。
それが「混ざりたくなるようにするしくみを考えること」
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混ざりたくなるためには、どうすればいいのか?

まずは自分が抱く夢に向かって頑張る姿を見せることも1つの方法。応援してくれる人もいるかもしれない。

でも夢を追う中で、ときにはハードな日々を過ごすことになります。

そんな姿を見て、人は混ざりたい!と思うのでしょうか。

おそらく、思わないはずです。

頑張っている姿をみせて、その結果ヘトヘトになっている姿をみせる。
これでは、混ざりたいとは思いません。

わざわざハードモードの人生を歩みたがる人はなかなかいませんから。

だからそこには見せ方の工夫が必要なのかもしれません。(工夫ですよ工夫。)

想像してください。
みなさん どんなときに 「 混ざりたい 」と思いますか。


ここで少し昔話を。
僕が小学校のときにとても流行っていたテレビ番組がありました。僕はその番組を見ていませんでした。しかし、クラスではその話題で持ちきり。

さて、僕がとった行動想像できますか?

そうです。そのテレビ番組を見ました。

クラスのみんながあんなに楽しそうに会話をしていたから。そして僕もその話題に混ざりたくなったから。

つまり、つまりですよ。
人は楽しそうな集まり、楽しそうにしている人たちを見ると、混ざりたくなる傾向があるようです。

今までも十分楽しんでいるけれど、その楽しさがきっと周りに伝わっていないと感じます。

だから、これからの僕は楽しそうに活動することに決めました。大変なこともあるけれど、笑顔を忘れずに、心から今の活動を楽しみたいと思います。

利他主義から超利己主義へ。
うわべではなく、心から。

読んでくれた皆さん、ありがとうございます。







「自己肯定感」という言葉。
最近さまざまな場所でよく耳にします。
そのため、最近の僕のキーワードになっています。

「自己肯定感」という言葉の意味はなんでしょう。自己を肯定する、つまりありのままの自分を好きになることや信じることで得られる感情といったところでしょうか。

インターネットで調べたところ、

自己肯定感とは、「自分は生きる価値がある、誰かに必要とされている」と、自らの価値や存在意義を肯定できる感情のことをいいます。自分の良いところも悪いところも含めて自分のすべてを肯定できる、前向きな感情ともいえます。

自己肯定感の高い子供は、自分に自信があり、何事にも挑戦していく強い心を持っています。「折れない心」ともいえますね。

また、自己肯定感があると心に余裕があり、人に優しく親切に接することができるので、多くの人が周りに集まり、支えられて生きていくことが多い傾向にあるそうです。

出典はこちらです。


自分が考えていたイメージと遠からずといったところでしょうか。

前述したよく聞く自己肯定感。よく聞くということは、今重要性が意識されていると捉えることができます。今回は僕が考える自己肯定感高める方法を原体験をもとに考えていきたいと思います。

僕は小学生の頃、あえて自己肯定感という言葉を使うのであれば、おそらくとても低い子どもだったかなと思います。
理由は単純で、太っていたこともそうですが(今も結構太り始めていますが)、
僕には父がいませんでした。
つまり母子家庭で育ちました。
今ではそんなに珍しく感じないかもしれませんが、当時僕の周囲にはいませんでした。だからこそ、父がいないということが僕にとっては、大きなコンプレックスでした。

でも2つの出来事のおかげで、自己肯定感高めることができました。当時はそんなこと思っていませんでしたが、今思うとその出来事は僕の転機であり、変われた瞬間でした。

最初の原体験は、小学校4年生の頃。
担任だったI先生が妊娠し、産休に入りました。そこに僕のクラスの担任になった先生が臨時教員のS先生でした。

ある国語の授業のとき、確か「ごんぎつね」だったかな。
きつねのごんが銃に撃たれるシーンがありまして、S先生がその感想をクラスのみんなに投げかけたんです。僕は自分に自信がないから、挙手なんてしたことがなくて、モジモジしていたんです。その姿を見たS先生は、

「市村くん、なにか感じたことある?!」

と勢いよく、僕をさしました。

そこで僕は、

「ヤヒコのうそつきめ」

そう言ったんです。

そしたら、「えーよく読んでいるね!」と言い放ち、クラスみんなの前で僕を褒めちぎりました。すごい恥ずかしかったけれど、本当に嬉しかった。

この出来事により、僕は毎日授業中、挙手をたくさんし、発言をたくさんしました。

そして 僕はそのクラスで1番発言する人に気づいたら変わっていたんです。

2つめの原体験は、小学校5年生の頃。
僕は当時運動や球技が苦手でした。
そのため、小学校4年生も小学校5年生も卓球クラブに所属していました。偏見で申し訳ありませんが、卓球クラブには運動が苦手な人が集まっていました。

そんな僕が体育の授業でバスケットボールです。ミニゲームしてた際に、僕が敵チームからボールをとられないように、頭の上にボールを上げていました。(僕は当時学年で1番身長が高かった)
ミニゲーム終了後、集合して体育座りをしているときに、担任のF先生がみんなの前で、

「市村くんはバスケットボールの才能がある。ボールをとられないように交わす様を見て確信した。」

そんな言葉を発したんです。
上にあげただけですよ?

しかし、当時の僕はとても嬉しかったんです。

その結果、当時僕の通っていた小学校になかったバスケットボールクラブを作りました。そこの初代クラブ長になりました。クラブ人数も最も大きいクラブにしました。校庭にバスケットゴールがなかったため、教頭先生に交渉して、設置してもらいました。


この2つから僕が思う重要なことは、

子ども自身が気づいていない、いいところを褒めること

これが大事なんだろうなと思います。

僕の場合は低い位置に自己肯定感があったからかもしれませんが、やっぱり人に認めてもらえたり、受け止めてもらえたり、褒められたりすることって素直に嬉しいですよね。

特に子どもは、自分のしていることや考えていることが絶対に正しいとは思えていないと思うんです。だから、先生がいったからとか、お母さんがいったからとか、そんな言葉を使うのだと思います。

僕はこの原体験をもとに、自己肯定感が低い子どもたちがありのままの自分を好きになれるような支援も行なっていきます。

その場所がフリースクールこらんだむです。

主に不登校やひきこもりを対象としていますが、子どもたちの思いを尊重し、気づかない魅力を発見し、子どもたちそれぞれが自分自身を好きになれるように、信じられるように支援したいなと僕は思っています。

今回はかなりの長文でした。
最後まで読んでいただいた方、ありがとうございます。今度一緒にお酒でも飲みましょう!




こんにちわ!
群馬県の僕は平成29年2月17日より3日間、こちらのイベントに参加するため、東京に行ってきました!

R-SIC(Ridilover-Social Issue Conference)は一般社団法人リディラバが2013年より毎年開催している、社会事業に特化したソーシャルカンファレンスで、ソーシャルセクターの事業運営に関するノウハウの共有、セクター間の連携、ファンドレイジングの促進を目的としたイベントです。

このイベントには、各社会課題と向き合うトップランナーとの情報共有や、全国各地で課題に向き合う方々、また企業の方々など、さまざまなキャリアを持つ方々が300人以上参加したイベントです。

正直 本当にたくさんの方々と交流しました。
乙武さんにも会えました!
すごい価値ある機会でした。
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でも正直、本当に疲れました。
知らない場所、知らない人と関わることってわからないところで本当に神経使うなぁとこの心体が教えてくれています。とっても足の裏が痛くなりました。

そんな疲れの中、このイベントを振り返り、
2つ気づけたことがあります。

1つは、全員が僕が感じる社会課題に共感することはできないということ。
僕は自分の熱意や言葉、または信頼関係ができれば、すべての人に必ず伝わると考えてきました。そのため、例えば僕の想いに共感できない方がいた場合、僕の熱意や説明する力が足りないことだけが原因であると考えていました。

でも、どうやらそれだけではないようです。
先日たまたまルソー特集の番組を見まして、
そこで紹介されたルソーの言葉に

「人は経験していない物事に対して、自分に起こりうる可能性があると考えられるものにしか共感ができない。」

という内容のものがあるそうです。

その言葉があるから、伝えることを諦めるという意味ではなくて、それを知ることにより、さまざまな相手に対して、相手が何を知り、何を知りたいか。そこから何を伝えるかを絞り込んでいくことが大事だなと思います。


そして2つめは、早く成果を出そうとして、焦って楽をしないこと。
楽をするというのは、
例えば「このやり方はちょっと大変だから、違うやり方にしてみよう。」ということです。
もちろん工夫の範囲内であればオッケーですが、妥協というか、
「このくらいでいいでしょ」
は完全にNGという意味です。

各分野のトップランナーの方々は10年近く同じ分野に取り組まれている方ばかりでした。時間をかければいいわけではないでしょうが、課題に向き合い、正しい努力をしてきたからこそ、強烈な発信力を持てるのかなと想像しました。

何はともあれ、自身がまだまだ足りないことに気づいていた以上に、強烈に気づかされたので、体を壊さない程度に毎日半歩でも前進していきます。

僕の情熱が熱いうちに。


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