努力している。頑張っている。

自分が認めたのであれば、それはきっと、努力しているし、頑張っているのでしょう。

でも比較するものではないかもしれない
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実際、努力の量は定量化することはできるはずです。例えば 勉強であれば、1時間勉強した、2時間勉強した、そんな風に。

定量化できるのであれば、比べることはできるはずです。でも 比較するものではないし、相手に努力が足りないとか、伝えるべきではありません

なぜなら 相手はあなたじゃないし、あなたは相手じゃないから

僕がなぜこんな風に考えているかお伝えさせてください。

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僕はNPO法人の代表を務めていて、子どもの教育格差の課題に取り組んでいます。

教育格差が生じる要因に、学校外の教育機会の有無があります。学習塾や家庭教師などのサービスを利用できるかどうかという話です。

この要因を話す際に、
「自分は学習塾には行っていなかったけれど、進学校(高校•大学)に進学した。だからその部分は大きな影響はない。本人のやる気次第ではないか」

むむ

実は僕もそう思っていました
勉強はやった人の頑張りだ!!って

たくさんの母子家庭に会うまでは。
今の活動を始めるまでは。

あなたは学習塾に行かなくとも自分で学ぶことができた。それはきっと、

家庭環境が整備されていたのではないだろうか

学習に集中できる環境があったのではないだろうか

生きていくことに不安を感じなかったからではないだろうか

ストレスに溢れた家庭ではなかったからではないだろうか

今はそんな風に想像できます

家庭が充実していれば、学校外教育なんて必要ないかもしれません

しかし今現実としてあるのは、充実した家庭ほど学校外教育を享受できている事実です

そして本来 学校外教育機会が必要な家庭であればあるほど享受できない事実です

その結果 格差の固定化が生まれています
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僕はこのような状況を知り、子どもを社会で支援していく必要があると考え活動を始めました

そして 知りました。
努力できる、頑張れるといったことも家庭環境に左右されるということを。
だからこそ思います、
努力は比較するものではないってことを。

あなたが努力していることは素晴らしいし、誇っていい。しかし それを相手と比べたり、伝えたりすることは違うかもしれない。

もしかしたら あなたが頑張れたこと、頑張れることも与えられたものかもしれないから


ちゃんちゃん(終)