無価値感とは 自分は価値がない人間だなぁって思う感覚です 感じたことありますか

実際 外目から見れば 求心力を持って活動しているようにみえる僕は、無価値感を根源にしている部分もあります。何かしなければ価値がない、そんな恐怖感も抱いていたりします

さて 僕のことはこのくらいにして どうして無価値感を感じてしまうのか その仕組みについて書いていきますね
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その仕組みを考える前にまず “価値”について考える必要があります

価値とは 人や社会などから「いいね!」といってくれる、または思ってくれるものです
つまり 自分以外の外部から評価されることです

それでは無価値とはなんでしょうか

純粋に対義語として理解すれば、
無価値とは 外部から評価されないことです

つまり 無価値とは 人や社会が「いいね!」と思ってもらえない状態です 
言い換えれば「よくないね...」ということです

まとめると、価値とは、
”今ある”社会のニーズに応えているか そして “今ある”社会の理解に適応しているかで決まるということです

“今ある”がポイントですね

そう考えたときに “今ある”社会のニーズ状態に沿っていなかったり、理解されないときに無価値感を感じることになります

子どもの問題でいえば、不登校になったときとかも当てはまります
学校に行くことが社会のニーズだし、学校に行かないということはなかなか理解されません

あなたや子どもが本当は価値を持っているとしても、価値ある行動や判断をしていたとしても、今ある社会が適応できなかったり、それを理解できなかったりするのであれば、無価値に感じてしまうことになります

ここが難しいですよね
ほとんどの人は理解できるものか、もしくは周りに合わせた形でしか、価値を感じることができないので

じゃあどうすればいいのか
解決する手段はは2つあります
•社会が気づくことを待つのか

もしくは

•それとも気づかせるのか


気付かせるためには、ただ単にストレートに発信するだけでは不十分で、今ある社会のニーズを見極め そこに合わせた適した表現が必要になってくるので、難易度は高めです

でも 気づくことを待っていたら いつになるかわかりません

だから 僕は断然 気づかせることをオススメします

ものすごく大変なことだけれど、少しずつ変わっていく社会を中心で見ることができるのは面白いですよきっと


社会を変えるために そして自分のためにも、
行動しましょう あなたにはきっと価値がある

ちゃんちゃん(終)


善意で社会に貢献している人がいます

一般的なボランティアとはまた違う、心優しい人たち  彼らに救われる人も多く存在するでしょう

決して否定されるものではないし、素晴らしいことであることは間違いありません

しかし ソーシャルビジネス、NPOを経営している僕はある危険性を感じています

それは、
"自己犠牲で成立する仕組みを肯定する社会に繋がってしまう"

ということです

「別にいいじゃん..」
そんな声が聞こえてきそうですが、なぜ危険なのか説明いたします

善意をお持ちの方のほとんどは、分野に問わず、子どもたちなどにサービスを"無償"で提供しようと考えています

それ自体はもちろん尊いです
しかし 以下のようなデメリットが考えられます

••••••

•善意でやっている人たちの中には、支援されて当たり前と考えたり、なぜ支援してくれないのかと考え、社会のせいにする人がいる

•社会起業家として サービスを継続 発展させていくためにお金は不可欠であるにも関わらず、上記のような考え方が社会に普及し、お金が獲得しづらくなる
→NPOがボランティア団体として認識されることは、大きなデメリットです それが当たり前になることは本当に危険です

•その結果 サービスが発展せず、運営もままならなくなる 本気で社会を変えたい人が活動を辞めてしまう恐れも

•最後に善意で活動している人たちが活動を何かしらの理由で停止したとき、サービスが社会からなくなってしまう

••••••

なぜ僕がこんなことを言うのかというと、

僕は社会にいいことをしたいわけではなく、
僕は社会を変えたいと思っているからです

そのためには仕組みを作らなくてはならず、そなためには優秀な人間が必要ですし、そこにはお金は必要になりますし、善意だけではなかなか難しいと考えています


時間があるときに したいことをする
求められるときに求められることをする
できることをできるときにする


それでは社会はきっと変わりませんし、それでは課題は解決しません

サービスを発展させ 社会に必要なものにし、マネタイズもしっかり考えていくことで、団体が提供するサービスが継続•発展する中で、本当の意味で社会を変えていくことができると僕は思います

例えば、障害を持つ方が作るパンを最初は善意で買う人がいるかもしれませんが、本当に美味しいパンにならなければ売り続けることが難しくなることと同様です

"無償"や"善意"でやることは悪くはありません
ただ それをただ単純に継続するわけではなく、それは仕組みにすることを考えていくことが重要であると思います

是非 社会課題に取り組む方々にはそれを理解して 活動を実施していただけたらと思います。

最後になりますが、私たちが運営するターサ•エデュケーションは子どもの可能性をフェアにすることをミッションに、子どもの貧困 社会的養護 不登校の分野で活動しております。

そして、活動を継続•発展させていくために、現在マンスリーサポーターを募集しています。みなさまのお力が、子どもたちが未来にときめく社会をつくります。
ご支援 ご協力 よろしくお願いいたします

うちの子は...
うちの夫は...
うちの部下は...

言ったのにやらないっっ!!

そんな話をよく聞きます

気持ちはわかります 
5年前は僕もそう考えていました

後輩に...
妻に...
子どもに...

なんでやらないの?
すぐできるじゃん!!

そう思っていました

でも今はそう思わなくなりました。
理由がわかったからです

それを今回書きたいと思います
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まず前提として、
「言ったのにやらない」の言葉の本当の意味は、

「言ったのに(すぐに)やらない」

となっている場合が多いです
※「やらない」は「変わらない」に代えても同様です。

つまり 言ったんだから、すぐやりなよ!すぐ変わりなよ!という想いがあります。

しかしながら人間の多くは納得しなければ変わりませんし、行動しません。
そして納得するためには、新しい考え方や行動に対して"思考"という時間が必要です。


刺激 → 思考 → 行動


その長さは人によって、もしくはその人の経験によって異なります。

従来から似たような考え方を持っていた人なら速いでしょうし、違った考え方を持っていれば負荷が大きいため、遅くなります

ただ 「言われる」ということは、多くの場合、違った考え方を持っているケースだと考えられます

その結果 「言ったのにやらない」という言葉をよく聞くサイクルになっているように感じます

※逆に言ったのにやる人は、前述した似たような考え方を持っている人、うまく学校や会社に適応できる人、もしくは何も考えていない人だったりします..

これが僕が考えた「言ったのにやらない」仕組みです 
もし自分自身が「言ったのにやらない」と思ったときは、今相手は思考している状態と捉えて、寛容な心で関わってもらえたらいいかもしれません


最後になりますが、昨今ほとんどの仕事がAIに代替されてしまうかもしれない...といった話をよく聞きます 
しかしAIは思考することが苦手です
そう考えたときに「言ったのにやらない」人たちは将来の社会の救世主になるのかもしれませんね

終わります

ちゃんちゃん(終)





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