偏見です。
多分偏見です。

タイトルのとおりの話なんですけれど、
人って自分より下、下という定義はなんでもいいです。そのときの状況によると思います。

おっと、つまり自分より下がいると安心する生き物であるように感じます。下といっても、今いる組織の中の物差しだったり、社会通念上の物差しだったり。

下がいることで自信を形成している人が多いのではないかなーと感じています。

その根底には
自分はダメな人間ではない。
その根拠として 物差しの中で自信を形成する人が多いように感じています。繰り返しですね。

でも それって寂しいですね
とてと寂しい

だって それは誰かの犠牲の元に手に入れているものです。つまり 誰かは失っています。

誰かが下がって、上がることって寂しい。
そんな風に思います

社会のそれは一定ではないと僕は信じています。
つまり 誰かが下がらなければ上がることはできないという考え方です

ただ 実際 ファーストフードなど、あの価格で提供できている理由は誰かが損をしているような気がしてなりません。

消費者が強いからでしょうか

経済的な物差しだけではなくて、みんながそれぞれ幸せになる方法を考えていかなければいけないような、そんな気がしています。

利己よりも利他。
利他よりも超利己。

自分がしたいことが相手の幸せにつながる状態が最も幸せであると聞いたことがあります

社会は自分だけ、家族だけでは完結しません。
もっともっと広い視野を持って 世のために、坂本龍馬が言うように、なにかを成し遂げる人生を送ることが本当の幸せにつながる気がしてなりません。

ちゃんちゃん(終)

僕は不登校の子どもたちの支援していている人です

不登校って学校に行かなくなる状態です
大人でいえば 会社に行かなくなる状態です

大人のみなさんも 会社に行きたくないときってあるのではないでしょうか
そのときってみなさん どうしますか?

休みませんか?
どうしても行きたくないとき、休みませんか?

僕は休んでいいと思います
あ でも迷惑はかけない程度に
あなたしかできないことやわからないこと、大切なアポ、そこについていえば責任感は欲しいですね

でも 本当に行きたくなかったら休んでもいいと思いますけど。

まあ そこは本人の意志ですけれど、有給休暇があるのであれば 休んでいい仕組みはできているわけです。

でも 子どもにはないんですよ。
学校にはないんですよ。

体調が悪くないと 休めないんですよね
親が許してくれないんです
だから 昔お腹出して寝ていた人もいるくらいです...誰のことかな?w

おっと、
まあ いろいろ事情があることはわかります
今は共働き家庭が多いし、ひとり親も増えている。学校の授業にもついていけなくなるかもしれない。

だけど 学校を休む権利というものを、各家庭が子どもに付与してもいいと思います

もしあれば、不登校になる子どもは絶対減ります

不登校になる子どもたちは突然不登校になる訳じゃないんです

「昨日何かあったのかしら?」
ではないんです

頑張ってきて頑張ってきて、力尽きた
ただ それだけです

「みんなができていることなのに根性ないわね」
いやいや 違います 人はみんな違うので、その物差しはあなたの物差しです

今あなたの子どもももしかしたら すごく無理しているかもしれません
学校に休んでいい権利 有給休暇を是非子どもにあげてください。年間5日でもいいんです。

「あー今日なんかだるいから休むわ」
みたいな使い方を許してあげてください

子どもにとっては、もしかしたらみなさんにとってもそうかもしれませんが、学校に行くことは当たり前で、行きたくなくても行かなくては行けないものと思っています

そこを変えてあげるだけで すごくすごく子どもは生きやすくなります

大事なことは有給休暇を付与し、いつでも休んでいいよということを子どもに知ってもらうことです 

このブログを読んで 実践してくれる家庭が生まれ、子どもたちが生きやすくなればいいなぁそんな気持ちを込めて終わります

ちゃんちゃん(終)


おはようございます

僕は基本毎日、車で最寄りの駅まで向かい、通勤しています

朝が弱いこともあり、ほとんどの場合 ギリギリです w

間に合うかどうか。そんな日もあります。
そんなとき、左側の方でとまっている車があります。"入れてくれーっっ"と待っています。

"どうぞーっっ!!"と言いたい

だって 1台を入れたとしても 時間はそんなに変わらないし

しかし 入れてあげないこともある
ごめんっ..と通り過ぎてしまうことがあります

一方でたまたま早く出発して自分の中でとても時間的に余裕を感じるときは、"どうぞーっっ!!"をやり過ぎて、2台も3台も入れてあげてしまい、自分が前に進むチャンスを逃したりする w

自分の後ろにも車があって急いでいるかもしれないのに。そこはいつも反省しています。

基本スタンスとしては、「入れてくれー」と言われたら、「どーぞー」が僕のスタンス

しかし 自分に余裕がないときには それができなくなる

これは何も車の話だけではないのかもしれません

人は自分に余裕、しかも安心できる余裕がないと、手をさしのべることが難しいのではないのかなぁと感じることがあります

それは1つの事実なのかもしれません

ただ 僕はそれだけではない人もたくさん知っています。それが正しいとか正しくないとかではなくて。

余裕がない人は自分のことをまず満たさなければならないと思いますが、その余裕の量が問題なのかなと思います

人によって安心できる余裕の量はきっと異なっていると思います 

もし仮に余裕の量を定量化し、50の人が2人いて、客観的に同量。しかし 安心できる量が1人は50で、もう1人は40だとしたら、1人の人は10だけ手をさしのべられる。

不安かもしれないけれど、その理由のほとんどは明確ではなくて、漠然としたものであるように思います

その漠然としたものは きっと社会が作り出しているものです

その 社会を変えることは大きな力が必要です
でも自分を変えることはできます
自分で考えることができれば、漠然とした不安はなくなるのではないでしょうか

人はこの先が明確になれば安心して行動するはずです 少なくともわからない状態よりはずっといい。

話のスケールが随分大きくなってしまって申し訳ありません...

まとめると、
人は余裕がないと人に手をさしのべられない。でも 余裕がないと思っているのは、漠然とした不安が原因であり、自分で考え未来を少しでも明確にしていくことができればステキかも!

という話でした。

ちゃんちゃん(終)

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