一瞬、一瞬の尊さをついつい忘れがちになってしまう日常に、


腹が立つ時がある。


決して忘れてるわけじゃないのに、


目の前から無くなった時や、
失いそうになった時に、

ドーーンとやってくる。


まるで、麻酔から覚めたかのように「現実」という名のナイフに切り裂かれる。


人が死ぬのは辛いし、寂しい。



生まれ落ちたその瞬間から、
僕らは「日常」という名のモルヒネの中に浸かっているように感じた。



生まれながらに「死」という揺るがないゴールを意識して生きるたくましさは、なかなか持てたものじゃない。



だけれども、最近考える。


自分は何十年後にどいう死に方をしたいかって。

これはとても重要な事だと感じる。

なぜならそれは、紛れもない人生の最後のページで、必ずめくらないといけなくなる頁だからだ。




白紙のページを、ワクワクしながらめくるには、次のストーリーが予想出来そうで出来ない展開を用意しておかなければならない。

つまりは、人生を楽しむには、どれだけ先のストーリー、シナリオを想い描いて日々、ページをめくっていけるか、なのかなと思う。


人は、それを「夢」と呼ぶのだろう。

そういった意味で、最後のページをめくるその日まで、夢を描いて生きた方がバリューだよねって話し。



一昨日、ライブレストラン「BAR KEN」のマスター、健さんの訃報を知り、
ボクはスマホを片手に車の運転席で静かに黙祷を捧げた。


佐野を舞台に書いた「NoooRIKO」を収録した出来立てホヤホヤのEP「21gの純粋」を健さんのところに郵送させて頂いて、「佐野のテーマソングにしたいね!」って話しで盛り上がった年末だった。

サビで「さぁノ(佐野)リよく揺れようぜ ビートに合わせれBAR KEN KEN PA!」ってBAR KENを入れましたって報告したら、カウンター越しに喜んでくれていたのを思い出す。


出会いがあれば、別れがやってくる。

これはセットなんだって、気づかされた。


90年生きたとして、生涯は約4,700万分。

あり得ない仮定だけれども、
生まれた瞬間から1分に1人出会ったとしても、
この狭い日本の人口の1/2にも満たない人としか出会う事ができないんだよ。

すごい事だ、ほんとに。僕たちが出会った事。




音楽が繋げてくれた五線譜の上で。



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次はヘブンステージで。


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正直、温かいきゅうりは「むむ?」と思ったけれど、この不思議な納豆パスタの味は忘れられないなぁー。また食べたいよ、健さん!